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藤原宮跡③(安倍文殊院)

さて、すっかり藤原宮は関係がなくなるその③です。

安倍文殊院

安倍文殊院に寄ったのはそこに古墳があったからです。


舒明天皇陵には行くつもりでいたので、グーグルマップで検索して、その途中にある古墳を探しました。

マップ上には文殊院西古墳と出ており、近くに🅿のマークもあったので、他のことは禄に調べずそこに向かいました。

それで着いたのが安倍文殊院あべもんじゅいんでした。
なんか聞いたことあるなーって思っていたら、現地のご由緒によると日本三大文殊院にして、安倍晴明縁のお寺でした。

安倍文殊院 境内マップ 

以下、マップにあったご由緒の文字起こし

三人寄れば文殊の智恵

当山の創建は大化元年 (645)、 日本で最も古い寺のひとつです。

御本尊様は「三人寄れば文殊の智恵」で有名な文殊菩薩で、像高は約七メートル、日本一の大きさです。

四人の脇侍を連れて海を渡り、お説法の旅に出かけている渡海文殊とかいもんじゅという姿で、国宝に指定されています。

境内には弁財天や安倍仲麻呂公、安倍晴明公がお祀りされている池の上の浮御堂うきみどう。また、国の特別史跡に指定されている文殊院西古墳があります。

当山は祈祷寺として千三百年以上の歴史があり、人々の願いを叶える場所としてたくさんの方が訪れ、信仰を集めてい ます。ご参拝の皆様には霊験あらたかなる当山のご祈祷を受けられることをおすすめ致します。



禄に確かめもせずグーグルマップに導かれるまま駐車場に入ると、そこは500円の有料駐車場でした。
奈良は駐車料金のかからない駐車場が多いので油断していました。寺社仏閣も参拝者用の駐車場は無料のとこが多いですし。

どうせ有料の駐車場に止めたのだから、文殊院を目いっぱい楽しもうと決意をして境内の散策を始めます。

と、すぐにお目当ての古墳は見つかりました。


西古墳


西古墳


国指定特別史跡とのこと

以下、解説文の文字起こし、

西古墳は、飛鳥時代に造立されました。

国の指定史跡の中で特に重要である「特別史跡」に指定されています。(古墳の特別史跡指定は数件で、明日香の石舞台古墳、キトラ古墳、高松塚古墳などがあります。)

西古墳の内部は、大化元年(645)当時のまま保存されており、石材は良質な花崗岩を加工し、左右対称に石組みがされています。また玄室の天井岩は一枚の石で、 大きさは15㎡あり、中央部分はアーチ状に削られてい ます。古墳内部の築造技術の美しさは日本一としても定評があります。

現在、この古墳には弘法大師が造られたと伝わる 「願掛け不動」がお祀りされていますが、本来は大化元年に初の左大臣となり当山を創建した安倍倉梯麻呂の墓と伝えられています。


特別史跡がとても特別なものなのは分かりましたが、さり気なく石舞台古墳とかの威を借りてる感じも素敵です。

いざ内部へ

とか思いつつ中に入ると驚きました。

羨道

羨道の時点で、石組みが綺麗すぎます。

石室

石室内はさらにすごいです。
現代の重機を駆使して最近造られた建造物なんじゃないの?と疑ってしまいます。


綺麗すぎる石壁
中には石仏が

石仏と賽銭箱がありました。
お地蔵さんかなと思ったのですが、よくよく見ると剣を持っているので、不動明王のようです。
って、うしろに願かけ不動尊って看板がありましたね。

お賽銭を入れて二礼二柏手一礼をしかけて、あ、ここは仏教かと思い直しました。手を合わせて礼をします。


本堂

本堂の拝観料は700円、本堂・金閣浮御堂というお堂の拝観料も700円、二カ所セットなら1200円。
セットがお得っぽいのでセットにしました。

小さな落雁らくがん一個とポストカード1枚がオマケについていました。映画館の入場者特典みたいでちょっと嬉しい。ちなみに落雁はかなり美味しかったです。

本堂と写真集と御朱印


落雁は食べてしまったので、ポストカードの写真だけでも

また御朱印と写真集もお授けいただきました。

力強い字の御朱印

御朱印は三種類あったので、一番プレーンな文殊様の御朱印をお授けいただきました。

写真集?は1200円とかだったかな。
寺務所には写真集と書かれてた気はするのですが、中身は仏像や寺宝の解説パンフレットという感じです。

写真集(と書かれてた気がする)

また写真集のオマケとして、写真集(A4)と同サイズのポスター?が三枚付いていました。

オマケのポスター三枚

左上が善財童子像ざいぜんどうじぞう、右上が騎獅文殊菩薩像きしもんじゅぼさつぞう、下が渡海文殊ファイブの皆様。

撮影禁止だったので堂内の写真はありませんが、本堂には写真集やポストカードにも載っていた国宝の仏像で構成された渡海文殊群像とかいもんじゅぐんぞうがありました。

渡海文殊群像とは、文殊菩薩一行が説法をする旅で雲海を渡る姿を表したものだそうです。
説明をしてくださったご住職のお話によりますと、安倍文殊院の渡海文殊群像は運慶快慶の快慶のほうの作とのことです。

戦隊モノのヒーローのように並んだ五体の仏像のセンターを飾るのが騎獅文殊菩薩像きしもんじゅぼさつぞう。獅子に乗った文殊菩薩です。獅子の顔がなんとも情けない感じで可愛いです。
他には善財童子像ざいぜんどうじぞう優填王像うでんのうぞう維摩居士像ゆいまこじぞう須菩提像すぼだいぞうがあり、どれも立像です。


金閣浮御堂きんかくうきみどう

金閣浮御堂きんかくうきみどう

金閣浮御堂きんかくうきみどうでは受付で金色の七枚つづりクーポンのような物をもらいます。
そのうちの一枚をお堂の正面にある賽銭箱のような箱に入れてお願いごとをして、ぐるりと時計回りにお堂のまわりを回ります。これを七回繰り返します。
ひとつの願い事を七回念じてもいいし、七つの願い事をしても可。

願い事七個の方がお得な感じがしますが、一つと七つ、どちらがどうという説明はありませんでした。
面白いのは願い事の仕方で、「○○になりますように」や「○○してください」ではなく、「○○しないように」「○○になりませんように」というふうにお願いをするのです。例えば「事故にあいませんように」みたいな感じです。ネガティブですね。

僕はあまり何も考えてないままにお参りを初めてしまい、しかも二週目で一週目とは違う願い事をしてしまったので、「○○しないように」という願い方の縛りがあることもあって、最後の二つか三つぐらいは願い事を考えるのに苦労しました。我ながら聖人かと思えるほどに無欲です。

金閣浮御堂の中は、安倍仲麻呂と安倍晴明が祀られつつ霊宝館にもなっていて、安倍晴明関係の品の展示などがありました。
ただこちらもやはり写真撮影NGでした。


写真集の中の金閣浮御堂霊宝館のページ


稲荷社


稲荷社

境内には稲荷社もありました。

稲荷社の鳥居

息を切らせて階段を上がり、稲荷社にお参りをしたのですが、すぐ後から人が来ました。
お社の前に一人立てば、もう横には並べないぐらいのスペースだったので、僕はすぐに降りてきました。
下に着いてから写真を撮ってなかった事に気付いたのですが、もう一度上に上がる元気はありませんでした。

白山堂

境内社の白山堂

境内には白山神社もありました。


以下文字起こし

白山堂

白山堂は、室町時代に建立されました。 流造屋根杮葺ながれづくりやねこけらぶきで 美しい曲線の唐破風をもった社殿です。
国の重要文化財にも指定されています。
御祭神は全国の白山神社に祀られる白山比咩神しらやまひめのかみと同一神である菊理媛神くくりひめのかみで当山の鎮守です。白山信仰と陰陽道は古くより深く結びついた為、安倍晴明ゆかりの当山に白山神社の本社が勧請されました。 菊理媛神は「日本書紀」によると伊弉諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみことの緑を取り持たれた神様で、菊理媛の「くくり」は「括る」にもつながり、古来より縁結びの神様としても信仰されています。「縁」は巡り合わせで もあることから、人と人を結ぶ良縁成就も御祈願下さい。


ちなみに白山信仰はくさんしんこうとは元は福井県にある白山はくさんという山をご神体とする信仰で、後に山岳信仰――いわゆる修験道の信仰のひとつになります。
だいたい綺麗な山は神様になりがちですね。で、その特別な空間に中に入っていって修行したくなる。

精神と時の部屋とか界王星とかにこもって修行をする展開にワクワクするのは我々日本人のDNAのせいなのかもしれません。


何か仏像。十一面観音でしょうか
こちらは弘法大師です。下に書いてるので間違いありません

実はこの安倍文珠院の境内には先ほどの西古墳とは別にもう一つ古墳があるのです。

東古墳(閼伽井古墳)


その名も東古墳です。そのまんまです。
一応別名として閼伽井あかい古墳という名前もあります。

これを書いてて、「閼伽井」がきちんと漢字変換されることに驚きました。
仏教用語ですよね。もしかするとわりと一般的な言葉なのでしょうか。


東古墳は、飛鳥時代に造立されました。
「閼伽井の窟」とも呼ばれています。

閼伽井とは「閼伽水の井戸」の意で、羨道の中程に古来より枯れることのない泉があったことが由来しています。

この泉の水は「閼伽水(智恵の水)」と言い、法要等に使う清浄な水として使用されていました。

※羨道とは、古墳の横穴式石室や横穴墓などの玄室と外部とを結ぶ通路部分。

石室内部

ここは中までは入れないようになっていました。
なので入口のところから撮影。

手前にある石の枠組みが井戸でしょうか

西古墳に比べると普通の石組みです。
建造年代が違うのかとも思ったのですが、説明文によると西も東も飛鳥時代とのこと。
とりあえず力の入れ方が違ったようです。西古墳はおそらくとても高貴な方が埋葬されたのでしょう。
とはいえ東古墳だって、一般的な古墳のクオリティからすればかなり綺麗で立派な部類です。
中に入れなかったのが残念で、なんとかズームを駆使して写真を撮ったのでした。

それにしても石仏の中にタヌキが混じっているような……。



すみません、もう藤原宮跡は関係ないんですが、④に続きます。

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