小説・途中まで

私の実体験を主軸にした小説がなかなか進まず、noteのコンテストに間に合わないと思ったので、途中までを記載する。
なお、「私の実体験を主軸にした」と書いたが、ところどころフィクションを織り混ぜたり、過大表現を入り組ませたりしているので、その点はご了承して頂けると幸いである。
完成したら来年のコンテストに出す予定で取り組む予定なので、そこまでには完成させたいと考えている。

あらすじ

大学卒業してすぐ、私は都内の季節物の問屋に就職したが、会社があまりにも労働環境が悪く、聞いた事がある「ブラック企業」の特徴にドンピシャだった為か、同期がすぐに辞めてしまう。落胆し、自分が持つ発達障害の特徴による上司からの叱責に耐えながら、「次は我が身だ」と思い、仕事に向かった直後、結婚したい程に推していた異性の推しが結婚した旨を聞き、精神が崩壊。
併せて、推しの第一子妊娠と出産の報せの直後から精神的に悪化し、職場の財政も破綻。
結果、25歳で350万円程の借金を作ってしまう。
これは、推しの結婚で精神が崩壊した男が転職し成功するまでの物語。

推しが結婚してしまった。

会社を辞めるか、自殺しようか、ファンを辞めるか。


その日の夜、僕はひたすら悩んだ。


結婚したい程好きな女性タレントが入籍したからだ。

しかも、僕以外の男と。


僕は思わず言葉を失い、自身の周囲を眺めてみた。


同期入社した男性社員が直筆で書いた退職届が、上司経由で自分の机の上に置かれた。


あまりにも事が立て込み、言葉が出てこなかった。


七夕の前の日に、同期が会社を辞めた。

誰よりも仕事に対しての意欲が強く、都内で鍛えてから関西へ…となる筈だった同期が、急に心身を病んで会社を辞めたのだ。


原因の一つが、彼が在籍する部署での「無茶振りとしか言えないレベルでの『極振り』」だった。


「成長の為だ」とか、「教育の為だ」とかの理由で、主任や係長が同期に全部振り、右も左も分からない同期にやらせて、責任をも擦り付けたのである。


流石に社内でも問題になっていたのだが、名指しされた部署が事態を改善するどころか事態を無視し続け、結果として同期が体調不良で職場を休む事になり、だんだんと疎遠になっていった。


その為、話を聞き、自分も研修時代に同期と同じ目に遭ったので、咄嗟に

「内定を辞退させて下さい。無理でも、今年中に退職させて下さい。」 

と言いそうになったのを、今でも覚えている。


そして、もう一つの原因は「会社と個人との意思の乖離」だった。


元々、同期は大阪支店での勤務を求めていたのだが、採用担当者と社長側の判断は東京本社兼本店・販売部での勤務だった。

同期に限らず、私も会社との意思の乖離があり、時に社長一家の圧力使って無理にでも押し付けてくる、何て事もあった。


そんなこんなで、同期が七夕の前の日に退職代行サービスを用いて退職届を提出。

そこで詮索と追跡の禁止を申し立てられたのだ。


会社側は、混乱する私の前でこう言い放った。


「会社は仲良し小好しではない。社員の関係は会社における家族の様なものでないといけない。」


どの口がほざいているんだ。


思わず言いそうになる程、私は会社側が彼を冷遇している様に見えた。


そんな事件から一晩が過ぎた七夕の正午。

休憩室でお昼ご飯を食べながらTwitterを眺めたら、ある情報が頭を過った。


推しが、30代の音楽関係者と入籍した。


沈黙と空白が全身を覆う。

そして、同じタイミングで電流の如く「推しが自分以外の男に取られてしまった」というショックが、身体中に走り、私は死にかけた。


ここから、ブラック企業の特徴や推しの諸々による私の精神異常と変化、身体中から発する異変と悲鳴が常に身体中や精神に鳴り響き、ダメージの蓄積が始まっていった。

「一身上の都合により、来月末付で…」

推しの結婚がきっかけで、私は、具合を悪くして、暫く休養を取った。

七夕の日の翌日、自分は会社から依頼を頼まれ、隣の駅にある家電量販店に行こうとしていた。

しかし、その最中。体に力が入らなくなってしまい、ふっと横を見たらば、線路すれすれの場所に立っている事に気づいた。

また、

「推しと結婚できなかった。推しが自分以外の男に奪われた。私が生きる意味なんてものは無くなった。もう、推しの応援をする事を辞めて自殺しようか。その前に会社を辞めたいな。同期も傷ついてるし、自分も先輩から冷たい目で見られてる事が多くなった。だから、最初から内定辞退をしておけばよかった。」

と思いながら、後悔することも増えた。

勿論、職場の雰囲気や上司の対応、初心者に対してわかりやすく説明しないという会社、その会社の人間ならではのやり方など、様々なものもあったのだが、それ以前に一番ダメージが大きかったのは、同期の退職と推しの結婚。それらがいっぱい合わさって、私は思わず独り言でこんな事を言ってしまったのだ。

「一身上の都合により、来月末をもって、この会社を辞めさせて頂きます。」

言うだけなら簡単だった。

何せ、推しの入籍日の同じ日に同期が退職届を提出したのである。黙っていられない。勿論、自分が嫌だ嫌だと言いながら、会社から

「せっかく用意したんだ。有り難く住め。」

と強要され、住んでいる会社寮(本社から片道約50分掛かる千葉県内のアパート)で、隣に自分の部屋の隣に住んでいた同期がいきなり具合を悪くし、そして会社を辞めたのである。

その事実が頭にこびりついていたが為、

「次は我が身。」

と思う様になっていった。

それどころか、同期より先に自分が音を上げて別の場所に転職するなんていう事も考えていたのである。

ここで

「そんなこんなで、僕は会社を辞めることにした。」言ってしまえばそこまでなのかもしれないが、会社を辞める事を考える依然に、停職先が見つからなかった。

自分が入社してすぐ、新型コロナウイルス感染症に伴う東京都内並びに首都圏内での緊急事態宣言緊急事態宣言の発令期間中だったため、停職先は見つからず、転職活動の 一時中断になり、併せて公的サービスや様々な転職サービス様々な企業が、時短やら、人件費削減やら、依願退職受付やら、様々な事をを申し立てていたのである。

流石に、それは…考えた自分は、思わず

「とりあえず、踏ん張らなきゃな」

と言いながら、耐えた。

引っ越ししたてで、光回線入れてから2年間は同じ会社に留まらなければいけないという事も考えなきゃいけなくなり、違約金も勿体ないと思い、様々な事態も相まって、自分は会社を辞めれずにいた。

会社から酷い仕打ちをされたとは言え、ここで辞めてしまったら、そう思った自分は、簡単にヘルプを言えなくなっていったのである。

それからというもの、推しの結婚から数ヶ月、私は推しの曲を大きく頻度を減らした。

推しが出演するラジオ番組を聞く頻度は今まで通り変わらず、毎週聞いていた。けれど、日に日に人自分とを比べ、自分は配偶者がいないっていうことに気づき、自分は自分よそはよそ、っていう考え方がさらに自分を傷つけたのか。私自身の中で様々な人格が生まれ、様々な虚言が生まれ、様々な妄想が生まれ、夜もまともに眠れなくなっていったのである。

そして、その不眠等も原因し、会社では電話応対や様々な業務で様々な人に怒鳴られ、主任からは、発達障害を持っているという事に気付かされ、本当に持っている事が発覚した時に、会社から

「もし面接の段階で、君が発達障害を持っているのであれば、間違いなく君を落としていた。」

との一言を言われたのが切欠で、私は

「もうこの会社にいる意味はないな」

と思わされた。そして、

「仕事は上手いけど、本来君が専門とする仕事は、うちの会社にはあんまり必要ないんだよね。」

と上司から言われた時、改めて気付かされた。

「私もこの会社、辞める必要があるな」と。

事を同じくして、推しがミュージカルをする事になり、東京の帝国劇場で開催されるそのミュージカルを鑑賞する準備をしていた矢先、その事が上司にばれ、

「チケット代金を払うからその場所に行くな」

と口止めをされた。

そういう事も起因となり、私は更に、この会社に留まるのを辞めようと決意したのである。

しかし、更に自分の心を傷つけてしまう事態が起きた。

推しの出番初日の夕方に更新された推しの公式ブログで、推しが第一子の妊娠をしているという事を報告したのである。

「もう、私以外の男のものじゃなくなった。」だけじゃなくなった。

他の男に、私以外の他の男に、推しが汚されたのだ。

この事が切欠で、私は更に精神をおかしくしていき、事同じタイミングで別の部署に異動という話になった。

そして、翌年の春。推しが第一子の出産を報告。

その間、私は異動でやってきた新たなる部署で何とか頑張ろうとしていたのだが、OBである老人たち全員に虐められ、扱かれ、叩かれ、主任を始めとする様々な人達からの指示があやふや且つ不親切で、指示通りに出来なければすぐに責められる。

そういう環境に立たされ、私は

「もうこの会社なんて潰れてしまえばいいのに」

と毎日思いながら、精神をおかしくしながら、満員電車に揺られ、地下鉄東西線の門前仲町駅の近くにある大型倉庫に向かっていた。

因みに、次の話は肉付け不十分の為、これから加筆する。


主軸は推しの産休と第一子出産等を期に、長期休暇中や週末の勤務後に衝動買いや風俗店通いをしてしまい、金銭感覚が麻痺したり風俗店に依存したりしてしまう。
事を同じくして、会社が不手際で私の2回の賞与と数ヶ月分の給料から社会保険料と所得税の差し引きが出来なかった事が発覚し、手取り給料が平均マイナス数万円になってしまう。
そして、その年から翌年ゴールデンウィークまでの繁忙期、物流のストップや減収、売上の停滞で給料が減額。
おまけに残業も出来なくなり、どころか、残業代を支払わず、残業した分の賃金を賞与から差し引くと公表され、消費者金融に手を出してしまう。
そこから、クレカのストップ、借金返済等の問題を抱え、田舎の家族からの信頼をも奪われ、自殺して保険金で借金を返済しようか等と考える様になる。

「死にたいと想う気持ちに理由は無い。」

推しの結婚と妊娠・出産が切っ掛けで、心を病んでしまい、気持ちがおかしくなり、死にたくなった。

そこから、前回のリンク先に載せた小説を加筆した物語が入り、何とかしてハッピーエンドに向かわせようとする。

どんな感じのストーリーなのかは、リンク先の文章を読んで欲しい。

生きるのを辞めるか、仕事を辞めるか。

自分の推しが結婚して丸2年が経った。

その間に、自分の心身が悲鳴を上げ、気付いたら発達障害の二次障害が出まくっていた。


朝起きたらお腹が空いていない。

空腹状態で一滴もお酒を飲んでいないのに関わらず、気持ち悪く、かなりの頻度で吐き気を催す。

眠った感じがせず、眠気が止まらない。

眠る前より疲れている。

疲れているのに眠れない。

ぼおっとしている頻度が多く、無になりやすい。

…一部を列挙してみても、異常事態としか言えないが、自分の体調の変化はこれだけに留まらなかった。

呼吸困難に近い程の激しい胸の痛み、締め付けられる様な激しい頭痛と光への拒絶反応(日光が当たっている場所の近くに立つと頭痛が激しくなる)、職場の人間の顔を見ると全身の痛みが強くなり、呼吸が辛くなる。

そして、何より、お笑い番組を観ても面白く感じない状態が続いているのだ。


その為、外食や散財が増え、貯蓄が底を尽きそうになり、心もお金を満たされぬ状態に陥った。

同じタイミングで、減収による手取り減額、会社側からの有休・残業代未払い等があり、借金に手を出した。


結局、複数社でトータル250万円近い借金をしてしまい、使っていたクレジットカードも強制退会。

結果、足が回らなくなり、親に告白して、親からの信頼と信用を失った。


そんな時、毎日聴いているラジオ番組を聴きながら帰宅の途に就いている時、自分は電車内で困っているお年寄りの方に遭遇した。


「あの…、あの…、(隣町の駅)に行きたいんだけど…。」


一瞬、フリーズしながらも、無視しようと考えた。

でも、後々になって後悔するのも致し方無い。

だから、地図を見ながら、しどろもどろになりながらも答え、案内をした。


数分後。

あまりにも行き慣れていない場所を案内したので、どっと疲れてしまい、その場所から駅まで歩くのに一苦労したが為に、乗った快速電車内の座席で爆睡しそうになってしまった。

でも、その電車内(優先席付近)で推しにそっくりな妊婦さんとその子供(4歳位の男の子)が4、5人の若い男達に乱暴にされ、男達が暴力を振るおうとしていた様子が目に飛び込んで来た。


その瞬間、自分は「勇気を出して誰かを助けるが為に修羅になる自分の姿」に気付かなかった。

中のコーヒーを飲む為に持っていた水筒のステンレスの部分が、咄嗟に男達の頭部と腰、臀部等を強打していた。

虚ろな目で男達を見ては、水筒の底で男達の頭部を殴打し、背負っているリュックで背後から襲いかかろうとする男達の胸部を圧縮し、首を掴んできた男の首を掴んでは片手で握り潰してしまい、男達の悲鳴が電車内を木霊した。

男の首を握っていた僕の手から、まるで数枚重ねた板チョコが折れるかの様な感触がして、そこから男が頭から崩れ落ちる感覚がした。


「うわ・・・・っ!!な、何だよ・・・、コイツ・・・っ!!!!」


主犯格の男性の悲鳴が電車内を駆け巡る。しかし、帰り電車に乗り、ボイスキャンセル機能付・高機能ワイヤレスイヤフォンで録音していた「ウラのウラまで浦川です」を聞きながら男達を虚ろな目で見下し、残念そうに思う自分は、男達の悲鳴が聞こえぬまま、ただただ男達を一掃としていた。

そして、イヤフォン越しに浦川アナからの「だって、人間だもの。」コールの後、自分は、妊婦さんとその子供が自分の衣服の袖を掴んでいたのにやっと気付いた。

しかし、自分が妊婦さんとその子供に袖を引っ張られるまで気付かず、やっと気付いた時に目の当たりにしたのは、自分の周囲で男達が血だらけで倒れていた姿だった。

その後、電車は途中の駅で停まり、男達は血だらけで電車を降り、その足で鉄道警備隊により拘束され、そのままお縄に付いた。

一方、自分は目の前の人を助けるが為に咄嗟にやってしまった状況に脳が整理出来ず、ひたすら茫然としていた。

少しして、事態を聞いて駆け付けてきた鉄道警備隊の姿が見えたので、自分はイヤフォンのイヤーピースを外し、暫くは外の音を聞いて、状況整理に努めていた。

ASD(自閉スペクトラム症)とADHDを掛け持つ自分は、齷齪《あくせく》しながらもありのままの情報を鉄道警備隊の人に事情を伝え、妊婦さんやその子供からも状況を話して貰い、事無きを得ていた。

しかし、一歩間違っていたら、自分が犯罪者になっていたかもしれない、今度は周囲に迷惑を掛けてしまっていたかもしれない、等と考えると、

「自分は何て事を・・・」

と自責の念に苛まれてしまい、自分は崩れる様にしゃがみ込んでしまった。

周囲から歓声が湧く。しかし、咄嗟に「ある言葉」が自分の口から飛び出した。


「お前ら、傷付いている人を無視している癖に、助ける人に対して反応するんだな。お前らがアクションするべき場面で何やってんだよ…。この…、人殺し…。」


この一言が、周囲の心を深く突き刺したのか、周囲の人間は恥ずかしそうに停車駅で電車から降りて行った。


男の子から

「お兄さん、大丈夫?」

と背中を擦られながら聞かれていたが、流石にどう答えたら良いか分からず、目からは涙が止まらず、呼吸もままならない様子で呆然としていた。

零れ落ちた涙の粒がマスクの中で大きな水溜りを作り、口元が涙で濡れた。


その後、自分が助けた妊婦さんからの誘導もあり、中間地点の駅で電車が動き始めるまでに隣の席に座り、乗り換えの駅で一緒に降りた。

そこで、その妊婦さんとその男の子から連絡先交換を行い、駅のホームで落ち着くまで3人横一列で話をしていた。

助けた妊婦さんが自分の暗い顔を見ては事情を聞き、そこで、今現在の自分の状況を自虐を込めて伝えた。

勿論、自分が発達障害者で手帳持ちである事も、うつ病の傾向がある事も伝えた。

顔色から借金がある事も悟られた。

「…で、君は、自殺して保険金で借金を完済しようか考えていた…。手取りが少ないからと言って、ブラックな職場環境で苦しい思いをしたからと言って、親からも家族からも信頼を失い、縁を切られそうになっているからと言って、そう考えちゃ駄目だよ。生きて、無事な状態の君が生身で返す。…そうだ。ちょっと…付き合って貰えるかな?」

その妊婦さんから誘いを受け、私は3人で駅のホームと改札を出た後、親子二人に誘導されて駅前タクシー乗り場に向かい、「ある場所」へと向かった。

都内某所のビル内。

そこで、自分は…ある提案をされた。


「君、ここで働かない?君みたいな若手、大歓迎だよ。」


突然の提案に、驚きが止まらなかった。

詳しい事は言えないが、この提案を見て、応えたいと思い、考えた。

業務内容は今の職場以上に働きやすいパソコンワークオンリーで、過度な電話応対やコミュニケーションの必要が無い。

最低の手取りも今勤めている会社(最低:約14万7000円)の数倍である約65万5000円。

完全週休三日の年間休日135日以上。

しかし、引っ越しの代金や諸々の諸費用も無い中で、提案に応えるのは難しいのでは…と考えてしまった。

その旨を二人に話した後、その日は解散となった。


出来過ぎている。


そう思う自分がいた。

でも、その案件で自分が救えるなら…。

そう思う自分がいた。


しかし、この後、誘ってくれた妊婦さんに自分が救われる事を、自分はまだ知らなかった。

後悔が足枷になっていた。でも、自分と向き合うには、その足枷があってこそと思っていたからだ。

また、家族を傷付けてしまった。

また、家族からの信頼を裏切ってしまった。

早く事態を何とかしたい。その想いで動いていた自分が馬鹿だった。

やはり、僕は生まれて来ちゃいけない存在だった。
もしも二十数年前の段階で出生前診断というシステムがあったら、間違いなく「産まれて来るであろう子供=発達障害持ち」というレッテルを貼られ、淘汰の一環で捨てられてしまう存在と化してしまうんだろうな。
そんな今の僕に、この世を生きる資格も、自由に生きる権利も、まして幸せを掴む権利なんて、これっぽっちも無いんだろうな。

この言葉を、今年の正月に下宿先に戻った際、親が帰路に着いている時に呟いたのを、今でも覚えている。

会社に入社して丸3年が経とうとする今、再び親からの信頼を失い、反省しながら静かに過ごしていた。
しかし、反省が自責に変わり、口を開いて呟いた一言が、より僕を傷付けてしまった。

「生まれて来なきゃ、良かった。早く死んでいれば良かった。というか、何で人を傷付けながら生きているんだろ、僕は。生きる価値なんて無い、害悪でしかない存在なのに、「社会不適合者」のレッテル塗れで、生きる価値や意味が無い人間が、何で…。」

次第に気持ちが塞ぎ込み、心が病み、酷く疲れが出てしまった。

それからは年明け初勤務だろうが、非対面勤務だろうが、笑えなかったし、笑わなかったし、笑顔の一つすら見せられない、そんな状態だった。
職場では他部署からの依頼が飛び交い、その依頼の殆どが実現不可能な状態だったので、断る事しか出来ず、毎度毎度と怒鳴られ、更に心を病んでしまった。

好きな女性タレントの誕生日の三日前。

強風が吹き荒ぶ中、動きやすく若干は防寒に適している服を着て、着荷作業に挑む。

しかし、終始強風が包み込み、足元は凍る様な寒さになって、安全靴と靴下で包まれた足ですら感覚を失う程の冷たさに変化。
その冷気はゴム手袋越しに両手にも伝わり、手も悴むだけに留まらず、気付けば、両手指も自由に動かなくなってきた。
しかし、上司は相変わらず自分の対応に文句や怒号を吐きまくり、自分は上司と全くと言って良い程、上司との会話をしなくなってきた。
どころか、上司との会話を避ける様になっていった。

併せて、同じ職場内にある他部署の主任からの冷たい対応と暴言も突き刺さり、自分は疲弊し切っていた。

問題は、その日の帰りだった。

電車内で、優先席に座っていた妊婦さんとその子供に暴力を振るう男達を一掃し、警察送りにしたのだ。
でも、その分、職場内やプライベート、家族間でのストレスや葛藤で傷付き、理想通りに行かない人生に絶望し、いつか自殺して事態を脱却したいと考えていた。

イベントから二週間後の2月最初の木曜日。
横殴りの吹雪が吹き荒み、電車のダイヤも狂う様な寒波の中、都内の海沿いにある会社は通常運転を起こそうとしていた。
しかし、朝礼開始の朝9時00分、自分は…会社にいなかった。いや、行こうとしていたが、辞めたのだ。
会社内では客からのクレームや他部署からの見境が無い依頼等が飛び交い、「残業代を出さない+残業したら残業出した分の賃金相当額をボーナスから減額」というルールが定まっていても残業する、定時で帰ろうとすると周囲の視線が強くて帰れない事が多い等の問題が山積して、通報したら労働基準法に抵触すること間違いなしの勤務体型の中で、自分は職場に行けず仕舞いになってしまった。

切っ掛けは、その日の朝7時50分に電車内で起こした「ある出来事」だった。

千葉県と東京を結ぶ某地下鉄の通勤快速電車内での事。

9号車・運転席側の優先席付近で、以前僕が遭遇した妊婦さんと同じ人が優先席で座っていた。
しかし、その席の真向かいの10号車連結部分間近の位置で、飲み会帰りで酔っ払いながら乗客を蹴ったり殴ったりする年老いた白髪のおじさんが人の波に押された事により癇癪を起こし、押したスーツ姿の中年男性数名に蹴りや殴りを重舞した上で、僕の真向かいにいたその妊婦さんを含む優先席に座っている人3人(残る2人は全員ヘルプマークを付けている)を強引に引っ張って立たせようとし、空いたスペースを陣取ろうとしていた。
たまたま、その妊婦さんの真向かいに僕がいたからか、僕は以前遭遇した妊婦さんと同じ妊婦さんとその隣に座っていた乗客を救いながら、問題を起こすおじさんに説得しようと試みた。しかし、おじさんが殴りかかろうとして来た為、僕は力付くで妊婦さんや周囲の客に蹴りを入れようとするおじさんの動きを封じながら、おじさんの握り拳と足を力付くで、全力で止めた。

•••トマトを潰したかの様な、グシャッとした感覚が自分の手から伝わってきた。

気持ち悪い感覚が全身に伝わった直後、急にイヤホン越しで録音したラジオ番組の音源に被さる様にザワザワ、ワチャワチャと周囲の声が五月蝿く感じた。どころか、その声があまりにも急激に大きくなり、気持ち悪く感じた。
そんな時、苦い顔をする僕の顔を優先席に座りながら真向かいで見ていた妊婦さんが僕の右耳からイヤフォンを抜き、耳元でこう呟いていた。

「君•••、手元を見て。あと、もう力を抜いて。これ以上は、君が加害者になっちゃう。」

その言葉が響いたのか、僕は目をかっ開いて状況を見回した。
僕の目から見た、自分の両手は赤く染まり、まるでトマトを潰したかの様に、手が赤紫に染まる何かで染まっている状態になった。
所々、白い棒状の何かも露わになっていた。
そう•••、僕はおじさんの握り拳を握り潰しながら、グッシャグシャに崩壊してしまったのだ。
「•••っ!!!!!!!!」
あまりにも衝撃的な状態だったのか、思わず手を離し、動悸が止まらない中を呆然と立ちながら、震えていた。

何とか周囲の乗客の証言や車内防犯カメラの映像が決め手となり、僕は無罪放免で済んだ一方、おじさんが警察に連行され、暴行等の容疑で現行犯逮捕された。

おじさんを警察送りにしてしまった時、事情聴取の為に遅刻する旨を連絡する為の電話に出た上司が、あまりにも冷たい対応だったのが相手の妊婦さんの逆鱗に触れたから、その妊婦さんから
「今日一日、私の側にいなさい。いや、出来る限り、一緒に居なさい。そして、貴方が在籍している会社…もう行かせない。貴方が傷付く要素たっぷりの会社に身を預けられない。会社と貴方のご両親には、今から私の遣いと旦那を通して、強く言っておきます。」
と言われ、妊婦さんを連れて病院に直行した。
この事と、当時の僕の上司の反応が切っ掛けで、私は産気付く妊婦さんの手腕による強引な策略に乗らされ、引っ越しや借金返済の目処が強引な形で決まり、翌日予定していた部屋の掃除が引っ越しの荷造り作業を含んだ大掛かりな物にへと変貌した。
ちなみに、自分が助けた妊婦さんの旦那さんは年商が数十兆円の大手企業の社長で敏腕経営者。
旦那さんがいる中、妊婦さんはその日のお昼に第二子の女の子を出産。
その舞台を、自分は複雑に感じながらも立ち会っていた。
そして、産まれてきた子供を見て
『自分には未来が無いんだな』
と悟った。
微笑ましい4人の姿を見守りながら、自分は心身共に表情が曇っていく状況を味わった。
病室の規制退室後、終始俯いていた自分を見て、旦那さんが自分に向けて「ある一言」をぶつけていたのを今でも覚えている。

「君は、今…『自分には明るい未来なんて無い』とか思っていないかい?それは、絶対に違う。明るい未来は誰にもある。勿論、君が障害者手帳持ちで、うつの傾向が強く、複合型の発達障害者であろうと無かろうと関係ない。君は、もう自分自身を責めないで。」

その日は、妊婦さんの分娩に立ち会って、病院を後にするや否や役所で転籍と諸々の手続きを行い、退職届の執筆と引越し先の見学を行い、一日が潰れた。
新たなる引越し先は、都内の高級マンション最上階。
お風呂・トイレ・洗面所が別になっていて、リビングルームが滅茶苦茶広い(50坪)。
そして何より、オール電化で蓄電池も付いている。
オートロックや防犯カメラもあり、心配な防犯対策もバッチリだし、駐輪場も完備されている。
そんな部屋に、社長権限で無償(勤続20年目からは家賃を支払うという契約)で住む事が許された。

翌日。
この日も会社に行かず、休んだ。
否、私が籍を置いている会社に行こうとしない様に、旦那さんと息子さんの二人に見張られていた。
勿論、二人経由で職場にこの日も休む旨を伝えられたので、連絡すら出来なかった。
荷物を全て段ボールに詰め、ゴミを捨て、妊婦さんが用意した引っ越し先への手続きを行い、大掃除をしながら、トラックで荷物を輸送。
この日、引っ越し作業と掃除だけで一日が潰れた。

更に翌日。
朝早く目覚めると、親からLINEが来ていた。
親からの信頼を更に失い、絶縁か…と思っていたが、中身は違った。寧ろ、突然のスカウトに不安に思っていたらしい。
自分は複雑に思った。
『あれだけ「信頼していない」なの、「信用していない」なのと言うくせに、いつもいつも電話やらメールやらで連絡よこして来て。言っている事が反対だよ。何なんだ。何がしたいんだ。』
その想いと、万が一親との関係が上手くいかなかった時のバッドエンドだけが、脳裏を駆け巡っていた。

そのバッドエンドは、こうである。
親が家に来て、怒鳴られ、罵詈雑言を投げられ、親が帰路に就いた段階で部屋のビニール紐で首を括り、宙ぶらりんの状態で息絶える自分の変わり果てた姿だった。

『やっぱり、僕は…、この世に居てはいけない、否、生きてちゃいけない、邪悪な生き物だったのか…。』

その想いが脳裏に浮かび始めた瞬間、部屋の呼び鈴が鳴った。

ドアを開けると、助けた妊婦さん(前々日、分娩に立ち会った)の旦那さんとその子供が、遣いの人と一緒にやって来た。
「おはようございます。ちょっとだけ、時間あるかい?」
突然の事に、茫然としながら硬直する自分。
その姿を見て、旦那さんが「ある事」を伝えながら、僕を車に乗せて、海沿いへと走った。

「実は、君が僕の妻と子供を助けてくれたお礼に、君を我が社に入れたいと考えているんだ。勿論、ただでとは言わないが、君がいる会社よりも休みを増やし、働きやすく優遇しようと考える。」
そう言われると、悩んでしまう僕がいた。
でも、今現在に在籍している会社は給料が少ないだけでなく、心も金銭面も荒れるだけでなく、親や周囲を傷付けてしまう。
その為、心のモヤモヤを抱えながらも、話を最後まで聞いた。

暫くして、涙が溢れ、少しだけ生きる気力を取り戻した。
「だ、大丈夫か!?」
その問いに、僕は今までの事を洗い浚い告白した。
すると、旦那さんは真剣な眼差しで僕の話を最後まで聴いた後、僕に向かって宣言した。

「だからこそ、君を入れたい。否、違う。絶対に来なさい。その会社に留まっていては、君が駄目になるから、早くウチに来なさい。」

「…は…、はい…。」

思わず、返事をしてしまった。
それだけ、私がいる会社が他人の会社よりもブラックで勤務環境が劣悪だった事が、痛い程よく分かった。

その日、自分は今までに在籍していた会社を退職代行サービスを用いて月末で辞める決意をした。
そして、週一回の勤務をしながら、残りが23日ある有休(その内、3月31日までに使用しないといけない有給休暇は2日間。)を使い切りながら準備を行い、新たなる職場での勤務に備えていた。

同期の男性社員も退職代行サービスを使って早期退職したので、自分にとっては身近な話である。

本来、退職届は退職予定日の30日以上前(約1ヶ月前)までに提出しなければならず、万が一、スピード退職をすると退職金が貰えなくなるリスクが生じる。
併せて、月の末日付で退職をしないと保険等の問題も生じる為、今の会社に入ってからは
『今日が駄目だったら、月末に退職届を書いて出そうかな』
とばかり考えていた。
けれど、転職先が見つからない、会社を辞める目処が付かない、散財や借金だけが積んでいく状態で生活が荒み、生きる事を全て諦めようとしていた今日、このままの状態が続けば間違いなく自分は数ヶ月で自殺か何かしらの病気で死んでしまうリスクが、往々にしてあるのも目に見えていたので、藻掻きながら、苦しみながら、拘束されるが如く職場に向かっていた。
だから、やっと退職届を提出する事が出来る環境に、自分の身を置けて、肩の荷が下りたので、私はホッとしつつ、感極まって落涙してしまった。

この日から自分は、あの日に電車内で暴漢から助けた妊婦さんの旦那さんの会社で、第二新卒扱いの正社員として、新たなる人生を迎える決心をした。
勿論、全ての支払いを旦那さんが一任し、旦那さんに給料の幾らかを返すという形で生活を行っていった。
その為、借金が一括返済され、その分を分割で給料から差し引かれる事になった。
支払いが危ぶまれたフィギュアも、無事に支払う事が出来、受け取りに成功した。

そして、新たなる職場での初勤務当日。

新たなる職場に立ち、荷物を整えた自分は、社長から仕事内容を説明された。

推しの所属事務所のパソコン業務全般で、しかも自分も所属タレントとして顔を売り込む…という事だった。

勿論、推しの所属事務所なので、デスクワーク中には推しとそのマネージャーが常駐しているだけでなく、時々推しが自分を連れて「研修」と称しての職場見学を行なう事が増えた。

転職から数週間。元職場からの鬼電。(現在執筆中)

退職代行サービスを用いて会社を辞めがてら、拾ってくれた女性の旦那が経営する会社に正社員として転職して、慣れないながらも働きやすい環境に心と身体がリフレッシュし、少しずつ元気になってきたある日の早朝。

『(アラームの音に身体が反応し、徐々に目覚めながら)…ん…。(スマホを眺めながら)…え…?』

スマホに一件の通知が来た。相手は、元職場の上司と先輩だった。

しかし、辞めた職場からの電話であり、弁護士や法的機関がバックボーンに立つ退職代行サービスを使い、

「二度と連絡して来ないで下さい。連絡をする場合は弁護士を通じてお願い致します。」

と会社全体に通告しながら、退職届を書いて提出した筈なのに、元上司の人間から電話が掛かってくる。

そこで、私は着信拒否を行った上で、この事を今の職場の人間と使用した退職代行サービスに相談した。

相談した結果、注意事にある弁護士を通じての連絡を一切行わなかったとして、警察に被害届を提出して、事無きを得た。

けれど、その後も元職場からの電話が引っ切り無しに掛かってくるだけでなく、LINEも何百通も来ていたので、弁護士を通じて元職場に接触した。

勿論、今の上司もこの事を知っており、司法機関に通告した上で、会社経由で元職場からの連絡を聞いた。


開口一番に聞かされたのは、怒号だった。


「お前が会社を辞めたせいで、業務が成り立たない。どう責任を取るつもりだ。」


呆れて言葉が出なかった。

「社員はみな家族」と圧を掛けて言っていた上司本人の言葉と、同じ人間が発した怒号が相反していた。


そして、今の会社の人間に対応を任せて、一部始終を聞いていたが、前の職場を取り纏めている本社からの電話と、前の職場の上司からの言葉を聞き、私は応対する今の会社の上司経由で想いを伝えた。


「やっぱり、「社員はみな家族である。」という言葉は、嘘なんですね。信じて(前に居た会社の名前)に勤め続けていた私が、大間違いでした。(同期の男性社員の名前)が入社から3ヶ月で辞めた理由が痛い程分かりました。やっぱり、最初に居た部署の主任から言われた

「君を見ていると可哀想に思う。早く転職した方が、君の為だと思うよ」

という言葉の通りに動くべきでした。今までお世話になりました。併せて、貴重な体験を沢山させて頂き、ありがとうございました」


静寂がオフィス中に広まり、緊張感が走る。


あまりにも「酷過ぎるな」と思う言葉しか脳裏に思い浮かばなかったが、それ以上の仕打ちを仕掛けてきた前の職場に対して、相当なレベルだと思い、それ以上の発言を控えた。


事を同じくして、私がいるフロアの受話器から、一本の着信が走ってきた。


労働基準監督署、通称「労基署」である。

どうやら、私の退職に対して、前の職場が行っていた事への制裁措置と、前の職場に対しての刑事と民事の訴訟やその他諸々の手続きが出来る程の、前の職場が犯した過失が見受けられた事に対しての報告だった。


担当者曰く

「(私の名前)さんが通報して下さいました、(前に居た会社の名前)は労働基準法に定める幾かの項目に抵触しており、その殆どで、基準を違反していた為、労基経由で制裁措置の話を進めていく」

との事。


その言葉を聞いて、少し身体が軽くなった。

どころか、身体中が熱く、震えが止まらず、まるで、何かの大事やチャレンジをミスなく熟し切った後の、感極まるチャレンジャーの様な感じに涙が止まらず、鼻水も垂れ流し、あと少しの段階で呼吸困難になってしまう寸前と言った状態に陥った。


しかし、労基が立ち入ろうが踏み留まろうが、元職場からの鬼電と呼び捨てや暴言混じりのLINEは一向に止まなかった。どころか、勢いが増していた。

また、横暴且つせっかちで、分かりやすく指示しないくせに、自分の意図に少しでも反しているだけで責め、相手をとことん傷付ける事で有名な前の職場での直属の主任ら数名が特攻しに登場し、今の職場の入口前にヅカヅカと踏み入れようとした。

あまりにも過激なやり方を取ってきたので、弁護士を通して、警察に被害届を提出。

事と同じタイミングで、同期だった女性社員(元職場に現在も在籍中。)から、謝罪のLINEが届いた。

元職場の女性社員は、必死で私に対しての暴言や誹謗中傷を止めようとしたが、反動で他部署に飛ばされてしまったとか。


結局、私はその日、気持ちを立て直せる余裕が持てなかったので、スマホは開いてもLINEを開かずに仕事に挑みながらパソコンに向かい合い、何かあってからでは遅いと今の上司の配慮で、職場から半径数km先の高級マンション型ホテルの一部屋で一晩過ごした。

実は、直属の上司が複数軒もの高級マンションを所有していて、併せて、直属の上司の家族が経営する高級ホテルのプレジデントスウィートルームであり、今日までの苦労と功績が認められ、所属する推しの助長の声も併せて、満を持しての奢りだった。


…こんな感じである。
勿論、ストーリーには更なる肉付けをしたり、実際には経験していないが
「こんな事がおきたらなぁ」
と妄想してしまったエッセンスも入れたりするので、長くなるが、頑張って書こうと思う。

最後に。

よく「事実は小説よりも奇なり」という。
この作品を書きながら、或いは書き切るタイミングで、この作品を超える幸せな事実に遭遇してみたい、と、切に願う。

























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