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【『カラマーゾフの兄弟』読破の道_1】解けた三つの誤解

6/18(火)

 昨夜は、仕事のことで、すっかり凹んだ。できるだけ早く仕事を進めて、できるだけ早く進捗を見せて、チェックを貰って先に進むことが必要なことだと思い込んでいた。夜遅く、年下の先輩から、(すごく要約すると)「仕事が適当すぎる、君は忍耐力がない。自分でチェックしてから見せて。」と言われてしまったのだ。本当に彼の言う通りで、ほんとに細かなことまで、ずっと彼に頼りっきりだったのだ。これは仕事のやり方を変えないと生き残れない、とかなり焦った。泣きそうになりながら、カラ兄に縋り付く夜。すると、優秀な三男アリョーシャの能力を端的に示すこんな一節に出会う。

きまりきった頼みを繰り返す以外に何一ついい知恵をうかべることができずにいる、数多くの、いつも金に困っている気の毒な男女学生たちにくらべて、知性でも実行力でもぬきんでていることを示してみせるのだった。

「第一部、第一編、第三章」より

 僕には、この「きまりきった頼みを繰り返す」という部分がかなり効いた。無能な僕はこの気の毒な学生たちで、会社にはアリョーシャのように優秀な人が沢山いる。なんとかしてアリョーシャにならなければ。

6/21(金)

 仕事の仕方を変えて、しっかり準備してから人に聞きに行くように変えたら、自分のやったことを、悩んでいることを、きちんと説明できた。中国語のせいで説明できないと思っていたけれど、それは単に準備不足なだけだったのだ。自分の準備不足を棚に上げて、同僚の読解力に頼るなんて、かつての僕は、とても一緒に仕事したくなるような人間ではなかった。あの夜からは、自分で何度かチェックして、分からない部分も予測を立てて、自分なりの答えを用意してから、聞くようにしている。でも気を抜くとすぐに、誰も気づかないような細かい場所にこだわってしまう。全体を見ながら、適切なバランスを取ることは、なかなか難しい。もっと経験を積まないと。

 Xを見る時間は、5日間で全くのゼロになった。これは本当に素晴らしいことだ。見なくても何も問題ないし、気分もいくらか晴れ晴れとしている。今は、日本の様々なネットニュースやおもしろ動画みたいなのとは距離をとって、ロシアのある家族について思いを巡らせている。これから彼らがどんな風に人生を歩むのか、どう困難を乗り越えるのか、それとも解決不能な理不尽に苛まれるのか、とても続きが気になる。しかし今日も仕事が忙しくて、まとまった時間をかけて読むことができない。

6/23(日)

 読み始めて1週間が経ったカラ兄、目論見通り、牛の歩みではあるが、毎日のように読み進めている。ここまで読んで分かったことは、この小説のことを大きく誤解していたということ。そこには3つの誤解があった。

 一つは、面白くなるまでに時間がかかるということ。とんでもない、最初から全速力で面白い。書き出しを見てほしい。

アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフは、今からちょうど十三年前、悲劇的な謎の死をとげて当時たいそう有名になった(いや、今でもまだ人々の口にのぼる)この郡の地主、フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフの三男であった。この悲劇的な死に関しては、いずれしかるべき個所でお話しすることにする。

「第一部、第一編、第一章」より

 こんな興味をそそる書き出しがあるのか。これから僕らは、いずれ死ぬことが分かっている若者の話を読むことになるのだ。しかもその若者がとても感じが良くて、兄弟の中でも特に読み手からの指示を受ける描かれ方をしているのだ。なぜ彼が悲劇的に死ななくてはならないのか、その好奇心が、ページを繰る手を加速させる。

 もう一つは、兄弟が全部で6人くらいいると思っていたこと。なぜそんな風に思い込んでいたのかは、今となっては謎だけれど、多分、登場人物が多いという情報と、かつてどこかで、全6巻くらいあるカラ兄を目にしていたことが挙げられそうだ。しかし実際は半分の、三兄弟である。(これから増えたりしなければだが。)しかも、彼らのキャラ付けはとってもしっかりしていて、今のところ間違えそうになることはない。長男ドミートリイ、次男イワン、三男アリョーシャはそれぞれ個性を持った魅力を持っているし、それを丁寧に説明する記述も豊富である。

 三つ目に、読みにくいということ。これも全くの思い違いで、すごく読みやすい。会話文が多いし、ユーモラスだし、適切な省略(後述します)もある。読みにくいと言われる由縁は、登場人物のカタカナの長さと、ロシアの文化や教会の人々の生活、信仰の違いなどが、日本人にとって馴染みがないからであろう。僕にとっては、ヘルマン・ヘッセをよく読んでいたので、修道院の生活や、寒い地域での田舎町の風景を、想像した経験がある程度あったので、すんなり読み進めることができている。海外文学をある程度読んだ経験がないと、確かに読みづらいと感じるかもしれない。

 先ほどの、適切な省略とは、以下のようなもの。僕が今まで出会ってきた小説で、こんな書き方をしているのは始めてみた。これにより、伝記という体を為していることに説得力がでる。何も全部を覚えているのが人間じゃないし、それに、この内容が重要ではないことが一目で伝わってくる。この手法に、烏滸がましくもすごく感心した。やるじゃん、ドストエフスキー。

・これこれしかじかの時に彼が自ら望んで結んだこれこれしかじかの協定によって

・くわしいことは知らぬが、小耳にはさんだところでは、

「第一部、第一編、第二章(上記)、第三章(下記)」より

進捗

上巻:■■□□□□□□□□ 16%
中巻:□□□□□□□□□□ 0%
下巻:□□□□□□□□□□ 0%

カラ兄読破まで、あと94.6%

(進捗がパーセント表示されるのも、電子書籍の強みだ)

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