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ニコン・セタン(Nikorn Sae Tang)へのインタビュー 「タイ演劇のキーパーソン・劇場 」no.6

タイ演劇のキーパーソン・劇場 no.6
ニコン・セタン(Nikorn Sae Tang)2015年5 月26日@Lat Phrao

※2015年に、国際交流基金アジアセンターのアジア・フェローシップで、
「タイ演劇のキーパーソン・劇場」に関するレポートを執筆しました。
ニコン・セタン氏の作品が日本で上演されることになったのに合わせ、
その時の原稿を転載します。

8x8 Theatre のニコン・セタン氏は、2009 年のバンコク・シアター・ネットワーク×東京芸術劇場共同制作「農業少女」(タイ現代演劇バージョン)の演出家として、日本でも知られている演劇人だが、バンコクでは劇作家としても高い評価を得ている。タイでは数少ない、戯曲が出版されている劇作家で、私があるタイ人の演劇評論家に「日本でタイ戯曲のリーディング上演を企画しているのだが、誰か作家を推薦して欲しい」とお願いしたら、一番最初に彼の名前が挙がった。

タマサート大学の入試で、成績が良すぎたために(本人談)、元々の志望の演劇学科ではなく、ジャーナリズム・マスコミュニケーション学科に入学したニコンは、大学 3 年時に、聴講生という形で演劇の授業を受講する。演劇学科の生徒 8~10 名は全て女性だったため、男性の俳優が求められていたこともあり、その潜入は成功し、1 年に 5 作品程度の作品創作に参加。ある時は俳優、ある時は演出もしたという。

卒業後は、Bangkok Play House(800 席の大劇場。持ち主が変わり、今は、同じ劇場がM-Theatre という名前になっている)に就職する。6 ヶ月のインターンシップの後、舞台監督として約 3 年間働くことになるこの劇場で、ニコンは様々な舞台芸術と出会う。というのは、当時の Bangkok Play House は、商業的、芸術的の区別無く、世界中から優れた作品を呼び寄せて上演するという、ある種の文化発信基地のような存在だったらしい。ロシアのバレエ、イタリアのモダンダンス、イギリスの演劇、それからオーストラリアのクラシック音楽のコンサート、果ては日本の歌舞伎に至るまで、多くの海外の作品の稽古をニコンは自由に見学することができた。また、仮面劇や人形劇を含む子どもためのコメディーや、テレビ番組 Sam Kon Onla Weng の脚本を書く機会を、ニコンに与えてくれたのもこの劇場だった。

Bangkok Play House での、Peter Shafer の Amadeus の上演を最後に、ニコンは、一旦、この劇場を辞め、チェンマイの、ゴップ(ナルモン・タマプルックサー)が主宰するインターナショナル WOWカンパニーのラーマキエン(インドの叙事詩ラーマヤナが元になっているタイの古典文学)を、新解釈で上演する現代劇のプロジェクトに参加する。古典を現代に置き換えるという新しい経験を積んだニコンは、その後、チュラーロンコーン大学で 1 年、演劇の勉強をし直す。Theatre In Education を学ぶ傍ら、学内で、バーナードショーの「ウォレン夫人の職業」(Mrs Warren's Profession)等を演出する。

そして、いよいよ 1998 年に自分の劇団 8x8 Theatre を設立する。きっかけは、またしても Bangkok Play House で、当時、この劇場は、Alternative Theatre と銘打ち、新しい劇団に予算と場所を支援するということを始めたところだった。1999 年には、言葉に頼らない作品の作り方を学ぶために、1 年間のフランス留学(ルコック・スクール)を決意する。

順調に滑り出したかのように見えたNikornの劇団活動だったが、2年後、Bangkok Play Houseは土地の権利の問題で持ち主が変わり、Nikorn は稽古スペースを失ってしまう。2005~2006 年にかけては、Bangkok で自らの小劇場、8x8 Corner を立ち上げる。しかし、30 席程度のこの小さなスペースの経営は、Coffee Shop と Foot Massage で運転資金を稼ぐという経済問題、それから、貸しスペースであるために自由に使えないという芸術的な面での制約の問題から、手放すことになる。2015 年現在、Nikorn は、前述のチュラ大学、Burapa(Mupa)大学、それから Silapakorn 大学の演劇学科の非常勤講師をしながら、自身の演劇活動を続けている。

俳優、劇作、演出の内、一番好きな仕事は?という質問に、彼は俳優と答える。理由は、
「違う人生を生きることができる。客席からの反応があり、ある時は、観客を操ることだってできる。何より、演出や劇作に比べ、責任を持たなくていいから」

では、なぜ劇作や演出を続けているの?と問えば、こう答えた。
「自分の言葉を伝えたい。俳優では、他の演出家や作家の言葉を伝えられても、自分の言葉を伝えられないから」
そして最後に、あなたの作品に共通するメッセージは何か?という質問をしたら、そんなことは答えたくないという表情をしながら、渋々、こう言った。
「人と人は、つながることができる。 People can connect.」

私は、彼の最新作「Between」を見た時に、そこから、「People cannot connect.」というメッセージを感じていたので、その言葉はとても意外だった。けれど、きっと彼の求める、「つながり」というのは、もっともっと深い層でのつながりなのだろう。表面的にはつながっていないように見える人間同士のつながり。それは見えるものではなく、感じるものなのかもしれない。

関連リンク:国際交流基金アジア・フェローシップ 鈴木アツト

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