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チャンダナの夢


熱が生まれる瞬間が好きだ。

モノを作る、絵を描く、スポーツであっても、出来なかった事が出来た瞬間、何かが芽生える。

例え偶然であったとしても、出来たのは間違いなくあなた自身であり、そこに小さな熱が宿る。

熱を持った人は、また人を惹きつける。

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スリランカ西部にあるニゴンボ(Negombo)は、国内最大の都市・コロンボ(Colombo)より30㎞ほど沿岸を北上した場所にある、スリランカでも5番目に大きい都市である。

コロンボのすぐ隣には首都・スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ(=コッテ)もあり、この島の政治経済の中心は、主に西側沿岸に集中している。

などと偉そうに書いているが、僕は過去に一度とて「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」を噛まずに言えた試しがない。

バンコクの時だって、実際はクルンテープと呼ぶんだよね。
などとイキっていたけど、その後正式名称が

クルンテープマハーナコーン アモーンラッタナコーシン マヒンタラーユッタヤーマハーディロック ポップノッパラット ラーチャターニーブリーロム ウドムラーチャニウェート マハーサターン アモーンピマーン アワターンサティット サッカタッティヤウィッサヌカムプラシット

と知った時、サンスクリット語はおそらく僕とご縁は無さそうだなと思った。

通称・セイロン島で有名なスリランカは、紅茶は元より、コーヒーやゴム等も国の主要産業だが、目の前にある広大なインド洋では漁業も盛んな地域だ。

初めてこの国を訪れるまでは、暑くて平坦で人の多い島なんだろうと随分勝手な想像をしていたのだけど、セイロンには2000mを超える山々があり、国土は深い緑に覆われ、そして気候は年間を通じて日本の初夏が続くような気候だった。

日本から直行便でバンダラナイケ国際空港に到着すると、イミグレーションでは事前にネットで登録をしていたビザを照会され、少額の米ドルを支払った。

入国審査というのはどこでも厳重で厳格なのだけど、言われた通りにさえしていれば、ほとんど問題になる事は無かった。

各地を訪れていて体感するのは、日本のパスポートを持っていれば、どの国に行っても殆ど簡単な手続きだけで入国ができる。

一方で、イミグレーションの際にはいつ、どの国でも旅行者がトラブルになっている光景を見かける。
国交によっては入国に必要な書類が複雑だったり、事前準備が必要なのに現地で急に聞かされたり、国ごとに頻繁にルールが変わったりしているのが原因なのだろうけど、とにかく日本のパスポートだけはスムーズにコトが進む。
わりと見落としがちな事だけど、すごいコトだよなと思ってしまう。

預け荷物を受け取り、半分屋外になっている長い通路を歩くと、出口の送迎場にはチャンダナ(Candana)が、笑顔で迎えてくれた。
がっしりとした体格に幼い顔立ちの青年は、若さという言葉がとても似合った。

コロンボとニゴンボの距離が然程離れていないという事もあり、僕はよくコロンボ市内のホテルに泊まった。
いつもの到着時間は日暮れ間近になるので、その日はそのままコロンボへ向かう。

弱めの冷房設定で心地のよい車から見える景色は、ビビットな色を使う建物や乗り物が多く、どこかキューバにでもいるような空気を感じた。

中心部に近づくにつれ、コロンボ名物の大渋滞に巻き込まれている頃、彼のチョイスで出来たばかりだというドイツ料理に夕飯が決まり、市内のホテルでチェックインを済ませた足で、その店に向かった。

チャンダナは若いのに食に対して興味を持っていて、いつも市内の色んな店に連れて行ってくれた。
彼の実家はレストランを営み、子供の頃から料理に対して興味があったという。

ドイツ料理も思っていた以上に本格的で、美味しいご飯に盛り上がる様子を、彼はどこか誇らしげな顔で見ていた。

初めてスリランカを訪れた時からチャンダナが働く企業とは仕事で繋がっていて、とにかく興味本位のカタマリの様な男だった。

彼はいつも話す時、僕の目を真っすぐに見て話す。
理解出来ない事が少しでもあれば質問を続け、わかるまでそれを繰り返した。

そんなマメな性格もあって、仕事上での行き違いというのが殆どなく、とても優秀だった。

オフィスで出されるスリランカ料理は毎日多種多様で、たまに辛い料理が出てくるのが僕にとってはちょっとだけ難点だけど、どれも美味しかった。
その際、チャンダナから日本の料理について訊かれ、代表的なモノをいくつか説明すると、彼はとても興味深いと言った。

翌日からは、着々と仕事は進んでいく。
残念ながらスリランカではまだ本格的な仕事にはなっていない段階なのだけど、彼は1つ1つ丁寧に作業を進めていった。

オフィスで何気ない会話の中で、スリランカで獲れる魚はどんなモノがあるのかを彼に尋ねると、彼は嬉しそうに早朝の市場に行ってみないかと打診をしてくれた。


コロンボ市内からすぐにある魚市場は午前3時頃から始まっていたが、僕達は5時頃に到着した。

アジアの市場は色んな香りが混じる事が多いのだけど、雑多なモノを売っているベトナムなどの食品市場とは違い、想像していたよりもずっと本格的な魚市場には、多くの魚が並べられていた。

スリランカの人々は穏やかで人懐っこい性格だと思っていて、気合の入ったオバチャンに要らないものを押し売りをされる事もなく、こちらから質問をすると、海の男達は丁寧に答えてくれた。

海が近いと、鮮度が高い。
日本でも獲れる亜種の様なモノが多かった。
隣で丁寧に説明してくれるチャンダナに、この魚を使って、昼飯に刺身か寿司でも作ろうかと打診すると、彼の瞳はみるみる輝いた。

早速彼の職場へ持って帰り、おそらくニホンイトヨリの近縁種と、南方ではよく見るタカサゴ(グルクン)の2種を選び、チャンダナの前で説明しながら捌いた。

僕は寿司職人でもなければ和食のプロでもないけど、たまたま若い頃にやっていたバイトのおかげで、基礎的な事は出来た。

昼飯時、チャンダナを含むオフィスの連中は、『瞬間』という言葉が似合うほどそれらをあっという間に平らげた。

「馴染みのある魚がこんなに美味しいなんて知らなかった」

そう驚いた顔をして呟いた。

それ以降、チャンダナは毎朝市場で同じ魚を買ってきては、僕に捌いて欲しいと頼んだ。

ただ同じ魚というだけでなく、先日市場で選んだモノと同じ鮮度の魚を買ってくる彼の目利きに驚いた。

熱心な彼を見ているとなんだか嬉しくなり、暇があれば連日の様に付き合い、魚の洗い方や三枚おろしから骨抜きに皮引き、刺身の切り方まで覚えていったが、ニホンジンは1匹1匹、こんなに丁寧に魚を扱うとは思ってもいなかったというチャンダナの見ている世界に、それまでそれが当たり前だと思っていた僕の心を打った。

それからは、スリランカを訪れる度に日本から持ってきた調味料や調理道具を土産として手渡すと、チャンダナは嬉しそうにお礼を言ってくれた。
わさびおろしや砥石を貰って喜ぶ彼の姿は、冷静に考えると少し可笑しかった。

彼の興味はとどまる事を知らず、ある日彼の会社に掛け合い、日本向けに出来そうな製品をこの会社で作れないかという打診をし、社長は彼の熱意に根負けした。

その為には先ず日本に行って勉強したいという希望も通り、チャンダナ・プロジェクトがいよいよ進もうかという頃、コロナが全世界を襲った。

暫くの間、凍結されたまま時間は経過したが、毎月送られてくる試作品の数々を見る限り、彼の熱にコロナなど敵では無かった。

そう遠くない未来、彼が嬉々として日本で修業をする姿を想いながら、僕は静かにその時を待っている。

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