砂漠とノウム
遠い旅先で、同国の人に出会った事はあるだろうか。
人気のある国ではわりとよくあるけど、相手が困っている時以外は、なるべく声を掛けないようにしている。
折角遠い国へ旅をしているのに、聞きなれた日本語で話しかけたら、興ざめしてしまうのではと勝手に思慮してしまうからだ。
一方、海外の人は同郷人を見つけると話しかけるシーンを目にするが、実際にその時の気持ちがどうなのかは訊いた事が無いのでわからない。
けれど、出会う確率が限りなく低い国や街でそれが起きると、案外話しかけてしまうモノだという事を学んだ。
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チリの首都・サンチアゴから北へ600㎞ほどいったところに、コピアポという小さな街がある。
アタカマ砂漠の南端に位置するこの街は日本でもちょっと馴染みがあって、コピアポは以前、大きな鉱山落盤事故があった。
鉱員は約2ヶ月間も暗闇に閉じ込められたが、当時地下にいた現場監督の機転にも助けられ、30数名全員が救出された奇跡の事故だった。
*この救出カプセルは全世界で配信された(Google mapより)
このアクシデントは僕が訪問した数か月後に起きたので、日本でニュースを知った時はかなり驚いたが、調べてみるとわりと昔から崩落事故を起こしているらしい。
事前にサンチアゴでちょっとした打合せを終えた僕は、デシエルト・デ・アタカマ空港に降り立った。
空港に出迎えてくれたヘナロ(Genaro)は、地元に住む小太りの中年男性で、普段からとても穏やかで真面目な4児の父だが、わりとひょうきんな性格でもある。
空港の周囲は空と砂しか無いが、当日は気持ちのいい快晴だった。
空港から15分程度北にあるカルデラという小さな街が目的地なのだけど、予約が取れたフライトが思ったよりも早い時間に取れてしまったので、それまでなにをしようかと話していると、ヘナロは提案をしてくれた。
「ここからもう少し東に進めば、カルデラよりも大きなコピアポという綺麗な街があるんだが、見てみるかい?」
もちろん、答えはイエスだ。
カルデラのホテルにチェックインを済ませ、僕達は一路コピアポへと向かった。
コピアポは小さいながらも立派な観光地で、カルデラの沿岸一帯にあるエメラルドグリーンの海はとても人気だが、コピアポの中心部にはカジノがあった。
(Google mapより)
ラスベガスやマカオの様な規模には及ばないけど、何もないこの辺りでは、十分に大きな街だった。
移動中、ヘナロはアタカマ周辺に関する面白い話をたくさんしてくれた。
40年近くまともな雨が降っていない地域である事、銅山が有名でそれが街の大きな収入になっている事、砂漠は雨の代わりに”カマンチャカ(Camanchaca)”という霧が一帯を覆う事があって、それが命の水源になっている事、霧は酷い時には数メートル前ですら見えなくなる事も教えてくれた。
夕方にはコピアポに入り、市内で早めの夕飯を済ませたあと、バーへ向かった。
カジノがあるホテルのバーはしっかりとしていて、訳のわからない名前のカクテルは置いてなかったので安心した。
2人ともカジノはしなかったが、酒を飲みながらくだらない話で盛り上がっていると、僕は少し離れたカウンターに座っている女性に目がいった。
年恰好は同じくらいに見えた黒髪の彼女は、日本人そっくりだった。
最初はこんな場所にいるはずも無いと思っていたのだが、一度気になり出すと、とても気になった。
気の利いた声でも掛ければよいのだろうけど、僕は急にヘナロに日本語の挨拶を彼女に聞こえる様に大きめの声で教え出すと、少し驚いたように振り向いた。
「あの……もしかして日本の方ですか?」
予感が当たった僕はニンマリ頷くと、彼女は隣に座っても良いか尋ねてきた。
ヘナロは日本語を話せないので、英語を交えながら3人で会話をした。
彼女の名前はサキと言い、単身でこの街に半年近く住んでいて、今はホテルの仕事をしているらしい。
たまたま今夜はオフだという事で、バーに来ていたそうだ。
その時にどんな会話をしたのかは忘れてしまったけど、日本人と話すのは本当に久しぶりだという彼女との会話は弾んだ。
僕は僕で、こんなに遠い砂漠の街で同世代の日本人に出会うとは思っていなかったので、2人は妙な連帯感みたいなモノに包まれた。
その間、ヘナロは僕の隣で脇腹をつついては、気味の悪いおっさんのウインクをしたり、顎をクイッと動かしては、こちらを嬉しそうにずっとニヤニヤ見ている。
まったくどうしようもないヤツである。
とはいえ1時間程度で切り上げる予定が、いつの間にかそれ以上話してしまった。
ヘナロは2人が話す日本語の比率が高くなるにつれ、瞼が重くなっていった。
彼は時計に目をやると膝を軽く叩いて立ち上がり、明日の待ち合わせ時間を告げ、カルデラのホテルまではタクシーがちゃんと送ってくれるから大丈夫だと言い残し、帰宅した。
するとサキさんもそれに合わせる様にホテルを出ましょうというので、バーを後にした。
彼女はカルデラに向かう途中の街に住んでいるという事だったので、一緒にタクシーに乗った。
コピアポに来るまではもう少し時間がかかった気がするが、戻りの時間はとても短く感じた。
結局、サキさんは僕をカルデラのホテルまで送ってくれた。
ホテルの前は海岸沿いで、夜の海は街の小さな電灯に照らされ、とてもきれいだった。
サキさんは眠りにつくにはまだ時間が早いので、どこか近くで飲み直しませんかと誘ってくれた。
僕は時差ボケの事などすっかりと忘れ、快諾した。
少し歩いた先にある砂浜に設置されたレストランは薄暗かったが、月明かりもあって、なかなか悪くないと思った。
店は思ったよりも多くの客がいて、暑い夜の気候はどこか日本の夏祭りの後に、未だ余韻が残っているような雰囲気に似ていた。
サキさんは、こんな場所で日本の話をするのは世界で初めてなんじゃないかと笑う。
「でも、こういう偶然は実は偶然に見えるだけで、実はずっと以前からここで会う事が全て決まっていたと思うの」
そう呟く彼女の話と波の音とお酒が、心地良かった。
深夜25時を回った頃。
サキさんはそろそろ帰りましょうと言い、先程歩いてきた道の途中にいるタクシーを捕まえた。
「私は市内のホテルで働いていますので、もし滞在中来られることがあったら、是非またお会いしましょう。今夜はとても楽しかった」
そう言って手を振ると、僕は少し名残惜しさを感じながら別れた。
これは恋ではないと言えたが、恋に近い何かではあった。
翌日からの仕事は途中問題も発生したが、ほぼ予定通りに進んだ。
連日、現地の人間と夕食を取りながらの打合せになったので、僕はコピアポに行く機会を失ったまま、移動日前日の夕方を迎えた。
最終日は予備日にしていた事もあり、その日はわりと早々に仕事が終わったので、最後の夜はサキさんに会えると思った。
全ての打合せが終わった時、ヘナロにその旨を伝えると、ヤツはまた嬉しそうな顔でニヤニヤした。
その日は朝からずっと曇っていたが、移動中に道の霧がどんどん濃くなっていった。
そしてついに前が全く見えなくなった時、彼はハザードを点け、路肩にクルマを停めた。
どうして停まるのかと尋ねると、濃霧でここまで前が見えなくなるとこの辺りは頻繁に衝突事故を起こすので、こんな時は動かない方がベストだと言った。
濃霧は一度始まると数時間は収まらないので、カルデラまではなんとか徐行して行けそうだが、コピアポまでは到底無理だと言った。
僕はサキさんの連絡先はおろか、苗字すら知らないままだったので、初日に訊いておけばよかったと後悔した。
ヘナロは暫くの間停車して誰かに電話をしていたが、程なくして出発した。
フォグライトを点灯し、周囲の音を聞くために窓を開けて徐行運転し、前を見ながら言った。
「もしかすると、砂漠にいるカマンチャカ(霧の神)が嫉妬して、会わせないようにしたのかもしれないな」
そう言って口をへの字にし、仕方ないという顔をした。
ただ、僕も直感的になぜか彼女とは会えない気がしていた。
あの夜にたった一度だけ会った彼女の記憶は、今も色濃く記憶に残っている。
もしかすると、彼女は霧の神様が作った幻影なのかもしれないが、またいつか旅の途中で偶然再会出来る時を、今でも心の何処かで期待している。
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