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無敵の用務員


ある人と同じモノを使っているのに、それが全く違うモノに見えた事はあるだろうか。

昔の通販なんかは、わりとよくあった。
中でも一番ひどかったのはトランペット。
映像ではすごくカッコよく演奏しているのに、3日でキミもこうなれるってガイジンのおっさんは言ってたのに、家に届いて箱を開け20年が経過した今でも、マウスピースすらまともに鳴らない。

親父にあげたら、2日で鳴った。

完璧にその人のコピーなんか出来ない事はわかっていても、真似をしたくなるのは、きっとそこに憧れがあるからだ。

それを、カッコつけると言うのだろう。

例え”似非”だとしてもいい。
それがいつしか自分の中に太い基礎の様なモノになり、少しずつ実りになっていくとしたら、どんなに楽しいだろう。

トランペット以外で。

______________

初めての就職先は、機械を販売する会社だった。

ちょっとマニアックな分野なので説明は割愛するけど、普段生活をしていたらあまり見る事はないモノを販売していた。

営業部に配属だったのでそれを売るのが仕事なんだけど、機械を知らなければ売る事はできない。

会社は理屈より現場で覚えろという教育だったので、入社数か月は製造する工場へ向かい、1から色々な事を教わった。

昔からモノを作ったり触ったりするのは好きだったので、僕にはとても新鮮で楽しかった。

幸い、会社は儲かっていて、工場では怒涛の納期ラッシュをこなす為、連日連夜の残業が続いていた。

日中は職人が重要な部分を組み立て、若手はそれを見学する。
残された簡単な工程を若手が引き継ぎ、仕上げをする。

ある夜、僕はたまたま1人残って残業をしていた。
工場は広いので、照明はスポットライトの様に一部を残して作業をする。
山のような配線を纏めるだけなんだけど、これが一向に進まなかった。

すると、工場の暗がりから用務員のオジサンがやってきた。

毎日植木に水をやったり、場内を清掃してくれる、70を超えた背の低い白髪のオジサンだ。
用務員さんは毎朝挨拶をすると、

「オウ、早いね。若けぇってのはいいな」
が口癖だった。

その夜は配線図通りに結束し、配電盤に繋いでいくという作業だった。
作業は簡単だけど、1つでも間違えるとエラい事になる。

オジサンは僕の前に来るなり、端子の付け方と、配線の束ね方のアドバイスをしてくれた。
その手つきは流れるような仕草で、言う事をきかなかった配線達があっという間に1つにまとまった。
なんで工場の用務員さんがこんな事を出来るのか不思議だったが、とにかくお礼を言い、それが出来るまで真似をした。

翌朝。
朝礼で、中堅の職人が若手に質問をした。

「昨夜残業してくれた若手の中で、未だ教えていない配線の束ね方をした人がいる。これは誰がやったのか」

僕は直感的に怒られると思い、黙ってしまった。

誰も挙手をしないので沈黙が続いたが、職人は続けて言った。

「そうか。誰がやったかはわからないが、完璧な束ね方だ。今後みんなも見習ってほしい」

いまさら挙手出来ない。

そんな事があったのでその日はモヤっとしたまま、お昼になった。
休憩室に行き、電気ポットからカップラーメンにお湯を注ぐと、出ない。
コードは繋がっているのに電源ランプが消えているし、お湯も冷たかった。
故障かよ…
朝から色々ツイてないなぁと思い、用務員室へポットを持っていった。

オジサンは相変わらず笑顔でオウと挨拶し、僕は今朝の朝礼の話をした。

彼は一通り大笑いしたあと、謝ってきた。
僕は挙手をしなかった事を話すと、オジサンはさらに笑った。
「教わってねぇ事をやりましたよとは言えねぇよな。ハハハ」

そんな会話を数分しただろうか。
さっき渡したはずのポットが、直っている。

話をしていていつ直したのか、全く気づかなかった。
「仕組みさえわかれば大体の事はなんとかなる。簡単なモンさ」
そう言って、修理が終わったポットを受け取った。

午後の休憩中、僕は職人さん達に用務員さんの事を尋ねた。
オジサンは以前職人として働いていたが、とある作業中に吹き飛んだ部品が目に当たり、片目の視力を著しく落としてしまった。
若手に任せた段取りミスが原因だったそうだが、それによって運転等が出来なくなってしまったので依願退職し、今は用務員をしているという事だった。

「ヤッさんはデキた人でよ。怪我した時だって一切文句を言わねぇんだ。若手にもう一度確認しなかった俺が悪いと言ってさ」

それからというもの、残業があるとヤッさんは度々様子を見に来てくれた。

「お、今日もまた機械を壊してんな!」
そう言って何をしても下手くそな僕を茶化しにきては、色んな事を教えてくれた。
視力が悪いなんて誰も信じないほど、彼の手にかかると色んなモノが踊っている様に見えた。

同じ工具を使っているはずのに全く違うモノに見えて、僕は思わず工具を見せてもらったが、それは紛れもなく同じ仕事をする道具だった。

ある日、新人の僕だけじゃ心許ないという事で、ヤッさんが出張の同行をしてくれた。
遠方への出張先で、僕が運転をした。

向かった先は、大きな研究所だった。
広大な場内ではあちこちで自社製品が使われていてたが、ヤッさんは地図も見ず次々に場所を案内する。

ヤッさんが点検に来たことを知ると、研究員達は待ってましたとばかりに色んな相談を持ちかけた。
ウチの製品に全く関係の無い相談も、彼は引き受けた。
時にはライバル会社の機械まで直してしまうヤッさんに、僕は少し呆れていた。

研究員の人達は、ヤッさんが退職してから色んな相談が出来なくなる事をとても哀しがっていた。
研究員の1人からは、ヤッさんが残したというマニュアルを見せてくれたが、そこにはビッシリと正確に色分けされたメンテナンスの方法が記載されていた。

ヤッさんは、どんな街に行っても近道を教えてくれた。
なぜそんなに知っているのかと尋ねると、近道はタイヤの跡が見えると言った。
僕はそれを暫く本気にしていたが、後日それは冗談だと言った。

会社のクルマを修理し、照明や窓、ドアも直した。
若い女性社員に頼まれ、その娘の子供が壊したオモチャも修理もする。

中堅の職人でも難しい工程に行き詰まると、ヤッさんはその度に呼ばれ、丁寧に対応した。

ある夜、ヤッさんは飲みに連れて行ってくれた。
酔った僕が生意気に給料が安いとグチを言うと、

「ワケぇと、ヤスいよなぁ。けどなそういうのは全部、お天道様に貯金していると思え。お前が覚えた知識は、必ず後になって返ってくる」

そんなに気長に待てねぇっすよと返すと、ヤッさんはガハハと笑った。

ある転機により仕事を辞める事になるまでの4年間、僕はヤッさんからとても多くの事を学んだ。

退職をする最後の日。
工場へ最後の挨拶周りをしたあと、ヤッさんのいる用務員室に入った。
相変わらずの笑顔でオウと挨拶し、お前がいなくなると寂しくなると言ってくれた。

せっかく教わった知識が無駄になりますねと言うと、彼は笑顔で言った。

「そんな事はねぇ。真剣に覚えたコトは身体に残る。お前が何処に行っても困った人がいたら、惜しみなく差し出せばいい。ただ1つだけ言っておく。それが仕事なら、ボランティアはするなよ。それが遊びならタダで引き受けろ。それはいつか必ず何かになって返ってくる」

僕は今でもヤッさんの様に器用には出来ないけど、今もずっと彼の真似をし続けている。

お天道様の貯金は、もう少しそのままにしておこう。

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