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婆ちゃんの25000日が途絶える


題名を書いていたらふと、500日のサマーを思い出した。
人は多感な時期に大恋愛ならぬ大失恋を経験すると、残る半生はトラウマみたいなモノが残る様な気がしている。
しかし劇中のヒロインであるゾーイデシャネルは可愛かった。
トラウマになったけど…


人が途方も無く長い時間、1つの事に対して熱を維持出来る、或いは継続出来る事の尊さが、最近になって身に沁みる。


最寄り駅に着くと、毎朝決まって同じ場所に座る婆ちゃんがいた。
ビル脇のちょっとしたスペースで、周りには袋詰めされた新鮮な野菜が並ぶ。


数年間、その光景を横目で見てきた。
ズボラな僕はいつも出社時間ギリギリで、婆ちゃんのいる脇を小走りで駆け抜けるのがルーティンとなっていた。

生活していると時にある種のバグの様な日があって、いつもの電車より数本早く乗れることが、年に数回あった。

ウソをつきました。

年に1回あるかないかです。

いつもより早い時間の電車は景色も違って見えて、気のせいだと思うけど、街行く人も少し眠そうだった。
そんな冬の朝はいつもの小走りではなく、ゆっくり歩いた。

その朝も、婆ちゃんは同じ場所にいた。
真隣に来た時に目が合うと、突然婆ちゃんは言った。

「あんれ。今日は走らねぇのけ!ひゃひゃひゃ」

婆ちゃんは見ていたのだ。

その無邪気な笑顔と一言で、瞬時に婆ちゃんの事が好きになってしまった。

「あ、うん…いつもより早く着いた!」

恥ずかしくて慌てて答えると婆ちゃんは頷き、また笑った。
僕は彼女に軽く手を振り、すぐ先のコンビニに入った。

タバコとホットラテを買い、近くにある喫煙所に向かう。

そしてしばらくの間、早起きした爽快感と暖かいラテと婆ちゃんの言葉のせいで、得も言われぬ幸せな気持ちになった。

時計に目をやる。
まだ大丈夫。
先程の場所に戻り、婆ちゃんに野菜を買いたいと告げると、少し驚いた顔をして言った。

「もちろんだよ〜!だけどよ〜もうあんま残ってねぇんだよ〜」

並べている野菜に目をやると、確かにそこにあるのはトマト2袋と、ほうれん草だけになっていた。

残り全部を買うと、200円まけてくれた。

「婆ちゃんはさ、何年ここで野菜売ってるの?」

慣れた手付きで新聞紙にトマトとほうれん草を包んでくれると、婆ちゃんは答えた。

「今年でもう68年だぁ。」

…しばらく固まる

68年間という途方もない時間、1つの事を継続して何かをした人って一体どのくらいいるのだろうか。

当たり前だけど、日数にすると25000日。

「ろ…ろくじゅうはちねん!?」

驚くと、婆ちゃんはまた無邪気にひゃひゃひゃと笑った。

「写真、撮ってもいい?」

僕はその68年の重みと凄さに、思わずサインを貰いたくなる様な感覚でつい、そう言ってしまった。

「写真かい〜照れるなぁ〜いいけどよ〜オレ歯ねぇんだよ〜!まぁ口閉じてりゃいいか〜ひゃひゃひゃ」

思わず吹き出した。

どうやら御年91歳界隈でも自虐ネタは流行ってるらしい。

その約1ヶ月後に世界は、日本は、東京は一変した。

25000日も続いた婆ちゃんの野菜が途絶えた。

今も朝になると、婆ちゃんが座っていた場所を見る。

コロナのニュースは最初どこか他人事のようにも見え、実感も沸かなかったけど、そこに婆ちゃんがいない事で初めてそのリアルが伝わってきた。

ウイルスが憎いと思った。

それでも婆ちゃんは元気で、またあそこに座り、毎朝懲りもせず小走りする僕を笑ってくれる日が来ると、信じている。

※これは後で知った事なんだけど、婆ちゃんは有名人でNHKにも出ていたみたいだし、お名前は石山婆ちゃんと言った。

一番婆ちゃんの雰囲気が出ているサイトを見つけた。



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