お笑いと暴力性とクンニリングと 映画『アネット』レビュー
レオス・カラックス監督の『アネット』を見ていると、「映画って本当に自由で素晴らしいなぁ」とつくづく感じさせる。少なくともあんなアバンタイトルとエンドロールのフリーダムさ加減を見せつけられたら、誰だってそう感じるのではないか。スパークスが手掛けた楽曲ともに、当のスパークスやカラックス本人もちゃっかり出演しちゃってどこかお祭りムードというか、メタフィクショナルな構造に舌を巻く。とにかく『アネット』を見た後だと、いかに大金をつぎ込んだハリウッドや邦画が、紋切り型の文法や制約によってガチガチに凝り固まっていて不自由なものであることがよくわかる。個人的に気に入ったのは始めの口上である。「笑ったり泣いたりするのは我慢して、頭の中でしてください。あ、ついでに呼吸もしないでね(意訳)」ときたもんだ。いやはや、こんな注意を行う映画なんて見たことがない。厚顔無恥にもほどがあろうね。
コメディアンのヘンリー(アダム・ドライバー)は、オペラ歌手のアン(マリオン・コティヤール)の熱愛の末、一人娘のアネットを設ける。順風満帆に見えた結婚生活も徐々に破綻の兆しを見せ始め……。
ヘンリーの芸は、個人的な感想なのだが全然私のツボに刺さらずちっとも笑えない上に、どこかとげとげしい。その芸風が仇となり後々彼を零落させる原因ともなる。彼は他者をあざ笑い、私生活やキャリアを自虐的にネタにしてまた自分自身をもあざ笑う。思いついたことをバンバン喋りまくる即興劇のスタイルなのだが、どこか攻撃的かつ暴力性が付きまとうのだ。笑いと恐怖は紙一重というが、ひとり舞台に立つアダムドライバーの姿から改めてそんなことを気が付かされる。お笑いとは、どこか相手や自分を傷つける前提の、結構な危うさを伴うエンターテイメントではないだろうか。ボケ役のどじや空気の読めなさを徹底的にフォローして笑いに転ずるぺこぱなどは、本当に例外中の例外だろうと思う。
最近ではアカデミー賞授与式におけるウィル・スミスとクリス・ロックのビンタ騒動のような出来事もあったが、劇中でもヘンリーは困り果てた上に暴力という最終手段に恃むようになる。余談だが、本作のクレジットのスペシャルサンクスの項目に、クリス・ロックの名前が挙がっている。
しかし何故楽しいはずのお笑いにかような「暴力性」を帯びるのだろうか。相手に喜ばせたい、楽しくさせたいというコメディアンの願望は、「相手の感情を支配したい、思いのままに操りたい」という病的な思いと表裏の一体だからである。ヘンリーはワンマンショーの成果を尋ねられて「観客を殺してやった(大受けだったぜ)」とのたまう。これも彼なりのジョークなのだろうが、見下したような言葉遣いというか、どこか敵対する感情が入り混じっている。彼らコメディアンにとってお笑いの舞台とは観客との勝負の場であり、そこで相手を笑かすこと(すなわち、観客に勝利すること)が出来なければ、それはコメディアンの敗北を意味するのである。敗北者はその事実をただ受け入れるか、またはなんらかの手段(例えば暴力)を行使した復讐の二択しか残されていないのである。
2度のベッドシーンでは、ヘンリーは配偶者に対してクンニリングスを施している。「へぇ、よほど好きなのかねぇ笑」などと思いながらこのシーンを見ていたが、ただのカラックスの性癖という訳でもなさそうな気がする。性器の愛撫は「相手に快楽を与えたい」という奉仕と支配の裏返しの行為ではないだろうか。先に書いたお笑いの場における「勝負」の思想を、ヘンリーは私生活にも持ち込んでいる。それがのちのち破滅にもつながってくる。もちろん、性器への愛撫は相手への屈服を意味しており、落ちぶれたヘンリーと人気絶頂のアンの関係性を説明する行為になっている。
このサスペンスが行きつく先は、意外なことに思いもよらぬ才能をもって生まれたアネットによって終止符を打たれる。両親の私利私欲による理由で彼女は利用され、搾取される。しかしながらアネットは強欲な大人たちの予想に反して思いもよらぬ反撃を行い、サスペンスのオチに多大な貢献をもたらし、不毛な暴力の連鎖を止めるのだ。アネットは作中のほとんどを恐らくCGでモデリングされた人形として表現され、両親との決別のシーンで漸く子役を起用して描写されるのもなかなか意味深長である。意味深長といえば、ヘンリーの顔のあざにも言及したい。彼のあざは時間が経過するのに比例してどんどん大きくなる。恰も何かの罪の意識や罰の象徴のようにも思える。
さて、『アネット』が面白い映画だったので他の作品も見たかったのだが、残念なことに過去のカラックス映画の視聴は相当困難である、と言わざるを得ない。DVDとかブルーレイのソフトは総じて品切れ、サブスク配信ではかろうじて『ホーリーモーターズ』や日本を舞台にしたオムニバス作品『TOKYO!』が見れるくらい。色々事情があるのだろうが、興味のあるクリエイターの過去作へのアクセスが閉ざされているのは辛いものだ。なんとかして欲しいなとは思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?