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西川あつしと赤松広隆代議士 vol.5

前回のあらすじ:衆議院議員1期目の若き日の赤松代議士の東京秘書として働くことになった西川青年。代議士自身が1期目という事もあり、比較的まったりとした時間を過ごしていましたが...

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さて例の人事の話です。もう皆さんお察しの通りですが、93年の党大会にて1年生議員が書記長に大抜擢されるという、社会党らしからぬ、まさかまさかの目玉人事が行われ、赤松代議士はまさに時の人となりました。
当時の私には、野党第一党No.2の役職がもつ意味合いが正直今一つ理解できないままでしたが、目の前にホンモノのSPさんが登場した瞬間、それまでの安易なバイト気分は一転し、一気に秘書としての責務に覚めることとなります。

そこからは、とにかく忙しくなりました。代議士は上京しても院内と党本部の往復が殆どで議員会館の自室※2に寄ることも稀になり、逆に私が党本部まで出かける用が多くなりました。書記長に就任された代議士から最初に与えられた仕事は、毎日全ての新聞から社会党関係の記事を切り抜いて、党本部の書記長室まで届けること、と記憶します。この時、東京新聞=中日新聞だと知りました。

当時、毎週日曜午前はTV各局が政治家を招いての討論、対談番組を放映していました。特に社会党の古き体質を払拭しようとする若き書記長への出演依頼は殺到し、ほぼ毎週、各局を梯子しながらのスケジュールでありました※1。各番組出演料の相場がどれくらいだったのか、私には知る由もありませんが、「俺は社会党の党本部を代表してテレビに呼んでもらっているんだから、出演料は俺1人のモノではない。全額貯めておいて職員全員で旅行に行くぞ!」と仰っていたのは覚えています。確か行き先は「ハワイに連れていく!」だったと思います。
本当に実現しそうな人気ぶりでしたし、何よりもそんな事を言える懐の大きさにシビレました。(続く)

スタッフ注釈
※1 当時、NHKの日曜討論だけでなく、民放でもテレビ朝日のサンデープロジェクトやフジテレビの報道2001などの番組がありました。
※2 国会議員には、国会に議員控室という自分のオフィスが貸し与えられています。東京では主に、議員控室で仕事をすることになりますが、党の重役や大臣、正副議長などに就任すると、役職者専用の個室がまた別に用意されることになります。

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