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クジラの町、太地町について

久しぶりの更新です。
かなりサボっていました。

私は先週まで紀伊半島を旅行しておりました。
そこで、以前から気になっていた和歌山県太地町を訪れてきました。

この町は世界的に有名な町です。
その理由は、この町の主要産業である『捕鯨』と『イルカ漁』です。
そして現代では、そのどちらもが『時代錯誤』と言われ、町の漁師は反捕鯨団体等から猛烈なバッシングと妨害を受けています。

映画「THE COVE」や「おクジラさま」などが有名ですね。

ここには、私の意見を記述します。
「捕鯨」に対して、明確な立場をはっきりとは言えない立場で書いています。

何故、私がこの問題に興味を持ったかというと、オーストラリアへの語学留学中に友人と街の酒場で飲んでいたときに、3人組オーストラリア人男性に声を掛けられ、始めは楽しく飲んでいました。
そして、彼らの内の一人が、「どこの国出身?」と聞いてきたので、「日本だよ!」と答えました。
私はその時、「どうせ、アイラブジャパン!とかありきたりな事を言うんだろうな。」と呑気に思っていました。
しかし、彼らの表情は突然強張り、「日本の捕鯨についてどう思う?」と聞かれ、「え?...(あ!そうだ!シーシェパードはオーストラリアにも居るんだ!あ、もしかして、そういう人?もしくは、そういう思考の人?)」となりました。

ここで、私は留学生にありがちな自国最高アピールをしてしまいました。

「捕鯨は文化だ!だから良い!」

ろくな知識も教養も無かった私は、馬鹿みたいな事を言ってしまいました。
そして、そんな事を言えば、彼らは怒ります。なぜなら、反捕鯨団体もしくはその様な思考の持ち主だから。

気がつけば、彼らに囲まれ、首を絞められていました。
私はさすがにヤバいと思い、身を守るために「ただ、俺は動物を殺すのは好きじゃない、」と言いました。
そうしたら、彼らは途端に笑顔になり、だよねー!といったノリで再び楽しく飲み始めました。

僕はこの時、「2度とオーストラリアでクジラの話をしたくない!」「というか、そんなん、知らんわ!興味ないもん。」と思いました。
まあ、半分は自分の教養、知識の無さや冷静に状況を判断できる能力が無かったせいです。

またもうひとつの要因として、日本がIWCから脱退をした時に仲の良かったニュージーランド人とイタリア人の友人からメッセンジャーで通話が着て、「おい!日本はなんでクジラを殺すんだ!クジラを殺すな!」となかなかの勢いで言われたことです。
その時、私は、「私にはどうすることもできない。」「私自身はクジラを食べたことがない。」と自己保身の為の言い訳をしました。

正直、その2つの時点で私の中で「捕鯨」というのは、全くと言って良いほどに関心がなく、重要だとも考えていませんでした。
しかし、その「捕鯨」のせいで、身体的、精神的に苦痛を感じたので、何なんだよ!という感情は沸沸と沸き上がってきました。

次第に「捕鯨」について調べるようになり、様々な人種、思考の持ち主達の意見を見聞きしながら、自分の中で「捕鯨」とは一体何なのか?ということを形成していき、今回、太地町を訪れることにしました。

いくら机の上で調べても、その情報は操られたものかもしれないし、完全に客観的な情報はないので、自分の足で現地を訪れ、見て感じなければ何も分からない。と思ったからです。

★太地町を訪れる前に私は那智に居ました。
そこで泊まったゲストハウスのオーナーと仲良くなり、様々な話をしました。
彼はとても興味深いお話をたくさんしてくださり、非常に関心しました。

もちろん、「捕鯨」についてもお話ししていただき、様々な意見を聞くことができました。
その中で特に印象に残っているのが、

●「捕鯨」しいては、「命」に対する西洋(キリスト教)と東洋(仏教、神道)の宗教的な価値観の相違

●ヴィーガン、ベジタリアンと一緒に生活して感じたこと、見たこと等の経験談

●映画「THE COVE」の監督と偶然、紀伊勝浦の居酒屋で話し、仲良くなり、一緒に食事した話

以上の3つです。

まず、1つ目の「命」に対する宗教的価値観の相違。です。
彼の話を聞く限りでは、反捕鯨団体等の人達の多くは、キリスト教的な世界観の影響が強く、その価値観に沿った生き方をしている人が多いとのこと。
キリスト教的な世界観の中では命にヒエラルキーが存在します。
トップに神、その次に人間、そしてその次は、動物、植物。。といった感じです。
対して、仏教、神道の世界観では、命は皆平等であり、優劣は存在しない。という考えがあります。
そして、日本人はその様な価値観を小さい頃から自然と享受していると言っていました。

日本人は、食事の際、米粒1粒にも神様が宿り、決して無駄にしてはいけないと、教育されてきました。
全ての食物、命に感謝し食べる。「いただきます。」はその様な意味もあり、大切な習慣とされてきました。

キリスト教的な世界観の影響を受けてきた人達は、人間は他の動物や植物よりヒエラルキーの中で上に属している、という価値観を持っているとのこと。
(これはフランス人から聞きました。)
なので、動物や植物の命を守るのは人間の仕事であり、そこから食物を得るのも人間の自由である、らしいです。

彼らの中には命の価値に優劣があり、この動物は保護、あの動物は食べて良い。などとなる訳です。

この考え方は、日本人には理解しがたい為に、???と理解できないことがあります。

また、知り合いのフランス人は、動物を食べることに物凄い嫌悪感を持っていましたが、卵は食べていました。
なので、「いやいや、それ、命(動物)やん!」と言ったら、「いや、これは神が恵んでくれたものだから。」と言っていました。

また、私が知り合った、もしくは共に食事をしたことのあるヴィーガンは、総じて、食べ残しが酷かったです。

彼らは、動物の命(限られた種ですが、)は大切にしろ!と言いながらも、その他の食物に対しては、日本人の感覚からは信じられないほど、酷いという印象を受けました。

この時にも、仏教的な価値観である「命は皆平等。」とキリスト教的な価値観である「命のヒエラルキー」を感じずにはいられませんでした。

次に、ヴィーガン、ベジタリアンと一緒に生活した経験談です。
先程も言いましたが、その人と一緒に生活したヴィーガンも食べ残しが酷かったみたいです。
理由は似たようなものだと思います。

また、そのヴィーガンの人は、「血」を見ることができないらしく、自身が軽度の切り傷で出血した時も、その傷口を見ることができず、友人が代わりに絆創膏を貼ったみたいです。
自分の「血」も見れないとなると、なんだか、やるせない気持ちになりますよね。
おいおい、頼むよ。といった感じです。

そして、彼の話で最も面白かったのが、映画「THE COVE」の監督と偶然居合わせた居酒屋で一緒に食事をして話したとこです。

始めは、隣に白人のおじいちゃんが一人でご飯を食べているので、ノリで話しかけてみた。ということらしいです。
そして、話していて仲良くなったら、そのおじいちゃんが、「僕の友人」と言って、様々な写真を見せてくれた訳ですが、その写真に一緒に写っている人が、全員名だたるハリウッドスターばかりなので、「え?おじいちゃん、何者?」となったわけです。
そこで、おじいちゃんが説明をしてくれて、「実は映画の撮影で日本に来ている。」ということを知ったみたいです。

ゲストハウスのオーナーは、そこで、おじいちゃんと色々話をして、「日本の自然は素晴らしい。そして食べ物も美味しい。」と言っており、さすがにクジラの肉は食べていなかったが、マグロの刺身は、おいしいと言って食べていた。と言っていました。

そこで僕は、???となりました。
「クジラはダメで、マグロは良いんだ。」と。
ここでもやはり、「命のヒエラルキー」を感じました。

そして、その食事中、おじいちゃんは本当に穏やかで、優しいし、面白かった、と言っていましたが、映画を観てビックリしたと。
映画の中でのおじいちゃんは、鬼の様だという印象を受けたみたいです。

ここまでが、那智で聞いた内容です。

★そして、太地町を訪れたわけですが、町の第一印象としては、景色は素晴らしく、雰囲気は凄く良い!というクジラとは関係のないものでした。

町の道の駅には、たくさんのクジラ関連の商品がならんでおり、地元の人が言うには、牛やマグロの肉よりクジラの肉の方が美味しい!と言っていたので試しにクジラの肉を食べてみました。
物凄く美味しかったです。

小学生の頃に一度か二度と給食で食べましたが、あまり美味しいという記憶はなく、むしろ、パサパサしてなんだか不味い、といった印象だったので、驚きました。
輸送などの時間の問題だったのかな、と思いました、

太地町には「くじらの博物館」があり、まずはそこに向かいました。
博物館の前には、捕鯨船も展示されています。

そして、博物館についてですが、非常に面白いところです。


クジラやイルカ、シャチの骨格標本や内蔵のホルマリン浸け、龍涎香があり、博物的知識欲を刺激されました。
クジラ等の生態を理解するには、とても重要な資料だと思いました。

この様な展示物に対して、反捕鯨団体やその様な思考の持ち主は、「クジラを殺すな」や「かわいそう」などと言いますが、まずは博物館の意義から理解するべきであり、その様な主張の対象にするのは適当な判断とは言えないということを認識するべきです。

自身の主張をする適切な場所をまず見極めることから始めなければ、誰も相手にはしてくれません。
また、相手の都合を考えずに、自身の意見だけをいうのも利口な行動とは言えません。
その様な行動の延長線上にあるのは、戦争です。

まずは、適切な行動から始めましょう。

博物館の展示物は、とても面白かったのですが、私は1つどうしても気になることがあり、それは、どの展示物のキャプションにも「英語表記」が無かったことです。
太地町のイルカ漁や捕鯨を非難する主な団体は海外の団体ですが、彼らへの適切な理解を促すためにも英語表記は導入するべきです。
自分が理解できる言語がないだけで、物事に対する関心は大きく損なわれますし、学習意欲も削がれます。
また、英語表記が無いが為に、彼らは、「何かやましいことがあるから、日本語でしか書いていないんだ。」という短絡的な考えに着地してしまう危険性があります。

日本人に対して、太地町の歴史やクジラについて説明するのも重要ですが、これからは海外の人達にも、その様な必要性があると思います。

博物館の後は、太地の町を歩き回りました。

町には至るところにクジラ関連の史跡や寺社仏閣があり、その中でも重要な所は「日本遺産」の指定を受けていました。
現代の捕鯨やイルカ漁について、私は白黒はっきり言えませんが、捕鯨文化については、大いに興味があり、この様な形で残していこうということに嬉しく思いました。

クジラを見張る岬や、クジラの顎の骨を鳥居に見立てた神社、クジラ供養の墓やクジラ漁、創始者の住んでいた居住地の入り口の史跡など、この町独特のものが多く面白かったです。

町を歩き回り、地元の人と話し、感じた町の印象は、「太地町は昔から自然と共に生きている。」ということです。
この町は自然の循環の一部になって生きていた。んだなと感じました。
昔は多くの地域がそうだったと思いますが、明治維新、欧米化、戦争にバブルを経験した日本では、この様な町は非常に少なくなっていると思います。
日本人の価値観もこれらにより悉く変化しましたが、これはまた別の話ですね。

★現代の捕鯨、イルカ漁について。

確かに時代に合っていない感じがするのは事実だと思います。
また、ベジタリアンやヴィーガンの気持ちも分からない訳ではありません。
現代は不必要な殺生も多いと思います。
また、動物の肉を食べなくても、生きていくことは可能になってきていると思います。

しかし、これらの主張をする殆どの人は、かなり偏った情報を信じて行動していると思いますし、完全に客観的な情報はない、ということも理解していないと思います。
与えられた情報だけで、世の中を判断すると、裏でその情報を操っている人の良いようにしか扱われない事を認知するべきですし、自分の考えが「絶対的な正義」だと思わない方が良いとも感じます。
正義と正義がぶつかれば、戦争になります。
この世に初めから悪なものは存在しません。
「正義」という概念は非常に不安定なものであり、状況によっては、かなり自慰的なものになります。

また、映画やSNSで反捕鯨を謳った映像があります。
写し出された映像が真実だとしても、その印象はどんな風にも操作できます。
人の感情は簡単に操られます。
ショッキングな映像もあり、それを見て、一時的にその映像を編集した人の主旨に共感したとしても、それが本当はどの様なものなのかを冷静に自分で判断しなければいけません。
一時的な感情に流されてしまっては残酷な結果になりかねません。

また、映画等はあくまでも「商業」です。
慈善事業ではありません。
お金が絡んでくる以上、どの様に利益を上げるか、どの様にお金を集めるか、という事があることを知らなければいけません。
これは当たり前の情報です。

有名人が、反捕鯨に協賛したり、ヴィーガンに傾倒するという内容を表明するのも何故なのかを考えなければなりません。
ただ単に称賛するだけでは、馬鹿と言われても仕方ありません。
「裏」が必ずあります。
裏の無い人間はいません。
なぜなら人間だからです。

また、何故、日本政府は世界の風潮に抗い捕鯨調査を続けるのかを考えなければいけません。
必ずそこには、利権が関係しています。
様々な理由をつくり、捕鯨を続けていますが、それは何故なのか、裏があるはずです。
与えられた情報だけを鵜呑みにしてはいけません。

そこを認識することができれば、「反捕鯨」を主張するべき相手も見えると思います。
自慰的な主張、行動で終わらないようにするためにも、また、感情的になり、利権に操られない様にするためにも、冷静に目の前の物事を見極めるべきです。

あなたの行動によって、得をする人は誰なのか?
これは人間社会において、非常に重要な意識だと思います。

私は、「捕鯨」についてよりハッキリした輪郭を持ちたいと思い、自身で調べ、実際に太地町を訪れましたが、この問題は、ただの「動物の命」の問題ではなく、「利権、利益」の問題だと思いました。
人間社会には多くの利権、利益に絡んだ問題がありますが、この「捕鯨」もその例外に漏れていません。

結局は「カネ」ということなんですかね。
この様な問題は、人類が存続する限り、永遠になくならないでしょう。

私にできる最善策は、正しく認識、会話できる相手と話し合いを重ねるべきで、自分の主張は絶対的な正義と考えて、他者の意見には耳も貸さない様な人達からは距離を取るべきということだと思いました。

「捕鯨」に興味をもち、太地町を訪れて、この様な考えに至るとは思ってもいませんでした。

読んで下さった方、ありがとうございます。

★こちらはあくまで個人の記事であり、意見です。
なので、私が全く理解できないコメントや、ただ言いたいことだけを書いたコメントに関しては即効で削除させていただきます。
その様なものに対応する義務はありません。

ちゃんと私のテキストの主旨を理解した上で頂いたコメントに関しては真面目に対応したいと思います。

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