誕生日、僕が変わる方向

クリスマスシーズン

僕はクリスマスが好きだ。

街も人も
みな浮かれている

なんだかワクワクする

何もなくても
何かあるような

何もないなら
何か自分にしてあげてもいいような

いつもと違う特別な季節。

そして、
2人が出会った季節。

彼女の誕生日

仕事で誕生日当日も
クリスマス当日も
会えないだろうから

銀座の高級なフレンチレストランで
コース料理を食べて
誕生日プレゼントを渡した

体調不良で休んでいたという1時間の遅刻、
何かあったのではという不安からスタートした
波乱の誕生日ではあったが、
用意したプレゼントは
成功だったと言っていいと思う。
さすが高級レストラン
1時間の遅刻など無かったかのようだった、
感謝。

そもそも
体調不良で休んでた
唯一の休日に
頑張ってオシャレして
駆けつけてくれて
ありがとう。
感謝しないといけなかったのに
できていなかったのではと
今思う。

プレゼントには
久々に
なんだかとても嬉しそうな
そんな感じだった

やられた…

そんなセリフも久々に聞いた気がする。

以前から欲しがっていたものを
サプライズ的に用意することができた
たったそれだけのこと。
でも、良かった。

来年はどうしよう…
今回のようなミラクルにはあまり期待はできない

一抹の不安はあるけど
ひとまず今は良しとしよう。

地雷ゲーム

僕はというと
終始そんな感じ

どこかに地雷があるのでは
そんな
気持ちで臨んでいる。

話題を振りながら
反応を見て地雷原を歩く

世間話は×
体調の話は×
仕事の話は◯
転職の話は◯
猫の話は△
病気の話は×
プレゼントの話は◯

そうやって◯の領域を確認しながら
時間をやり過ごす

ただ、やり過ごす

それはそれはとても息苦しい時間

結果

家まで送ってから
彼女の体調と仕事を理由に
早々に引き上げた。

特別な日に特別な人と
なるべく長い時間一緒にいたい
そんな気持ちよりも

今日この日をこれ以下にしたくない

地雷を踏んで嫌な思い出にしたくない

こべりついた最悪のイメージを払拭できず
そんな情け無い理由を優先した。

浅はかなエゴだろうか、、、

いや、今の僕にできる精一杯だ。

支える側が変わるとはこのことなのか

本で読んだ
支える側の変化
というのは
このことだったか?

こんなに悲しい状況が
いい訳がない

こんなに消極的な選択で終える1日が
2人にとって
いい訳がない

言い訳がない。

うつ病の亡霊

彼女は一生懸命に闘っているはずなのに
僕はうつ病の亡霊に取り憑かれている

亡霊なのだと

そこにいるのは彼女であり
亡霊など存在しないのだと

気付くこと

恐怖心を取り払うこと

それができる日が必要なのか…

ゴメン、頭ではわかっても
まだ出来そうにない。

今の2人にはそれはまだ早い、

うまくいかないという目の前の状況と
その先の確信だけがある。

ただ、この可能性だけは
心に留めておく。

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