有神論と無神論のはざまで(読書感想文@小並感)

博論も完成稿を提出し終えたところでしばらく休みなはれと大学院事務の方に言われたので好きな勉強をしようと、毎朝の通勤ラッシュで読む本は何にしようかと思って、そういえば先々月末に大きな仕事をやり遂げて記念に買っていた本を読むことにした。

そこでピックアップしたのが、昨年末翻訳が出たジャンニ・パガニーニさんの『懐疑主義と信仰:ボダンからヒュームまで』ですね。

特に最近、ヒューム、ベールの比較に関心を持っていた私としてはど真ん中で、第六章と第八章を重点的に読まなばといった感じです。

今朝は寝ぼけ眼の通勤電車の中で、第八章「ヒューム、ベール、『自然宗教をめぐる対話』」を読んだわけですね。

『対話』と言えば、まあ話すネタとしては登場人物のデメアが怒って席を立ったとか、懐疑主義者フィロがクレアンテスに寝返ったとかそういう話ですが、研究上ではどの人物が(実在の人物の)誰を代弁しているのかという話が話題になりますね。そういう話題については詳しくは以下の論文を読んでもらえばと思いますが<https://philpapers.org/rec/YAJWDH>(ステマではなくマ)

さて、パガニーニさんはタイトルの通り、フィロをベールに喩えているようで、神の完全性を強調する人は悪の問題にどう対処するのかといった神の道徳的属性の問題とか、有神論と無神論の二者択一ではなくその両義性といった観点から論じているものと思われます。思われますというのは博論上がりでしばらく勉強したくない時に、通勤電車で寝ぼけ眼で読んだため、内容をざっくりとしか頭に入れてないのでしゃーないです。

まあでも、僕が去年考えていた問題(ヒュームの別の著作で、ですが)とリンクする部分があって、結局「神がいる」ことに同意することってどういうことなのか、神が善良だとして、世界を完全に作ったとして、現実の悪とどう折り合いをつけるのかとか、そもそも信仰とは何か、色々考えさせられました。

また、僕個人的にも去年はちょっと大変なことがあって、悲嘆に暮れることもあったのですが、同じ経験をした友人もそうであったように、僕はこの歳になって信仰の問題を突きつけられているような気がしています。

今年も引き続きこの問題は考えていきたいですね。あ、これ書評じゃないですよ。ただの読書感想文です。まとめが間違ってたらすみません。ご指摘はいくらでも受け付けます。

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