己を使いこなしたい(27)

こんにちは。

己を使いこなすっていう感覚を持ったことはありますか?

1990年代に人気だった、3×3EYES というマンガのセリフなんですが、少しネタバレがあるのでネタバレOKという人だけ読み進めてくださいね。

こんな出会い

高校生の頃、とあるマンガを読んでいた時、「己という最高の僕(しもべ)をコントロールしきる事はできぬ!!」というセリフに出会って衝撃を受けました。

主人公がヒロインを救い出すため強敵と対峙することになりますが、強敵は本調子でもないにも関わらずまったく歯が立たず、元の仲間を失いながらも生き残ってホウホウの体で帰還します。圧倒的な実力差に意気消沈した主人公たちは、修行することを決意し、強敵の元弟子であった達人に教えを乞います。その達人による修行の一環として行われた組手の中で、達人が主人公に教え諭す場面でのセリフの一部です。

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常識に縛られるな!!
限界を考えるな!! 

いつでも思考は無限に広げろ!!
自分には無限の力があるのだと――
今は発揮の仕方がわからぬだけだと――

そう自分を信じるのだ!!

そうでなければたった一度しかない人生が終わる時まで
己という最高の僕(しもべ)をコントロールしきる事はできぬ!!

肉体に限界はあるが精神に限界はない
自分の力を信じよ!!  
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3×3 EYES

今でも通用しそうなセリフですが、この中でも、「たった一度しかない人生が終わる時まで、己という最高の僕(しもべ)をコントロールしきる事はできぬ!!」から受けた衝撃は痛烈でした。あれから30年を過ぎようする今でも頭の片隅に残っていて、こうして時々思い出します。

「己」を思う

当時の私は第一志望の公立高校の受験に合格できず、滑り止めで受験した私立高校に入学したばかりでした。小さな頃からおしゃべりで器用、要領も悪くなかった私は、何につけても大した努力もせずに楽しく取り組んでるだけでそれなりに結果を残すことができました。そんな中学生が初めて味わった挫折が高校受験です。当時の地方では社会規範に沿わない言動を好む、いわゆる「ワル」がかっこよく見えて「何かに本気になるのなんてかっこ悪い」ような風潮もありました。私自身、斜に構えて、全力で努力しなかったことを言い訳にすることで挫折から懸命に目を逸らそうとしていた痛々しい時期です。入学した高校では、第一志望不合格という、似たような経験を持っている同級生も多くて、傷を嘗めあえたことで、自らの挫折の恥ずかしさ、悔しさ、悲しさ、後悔といった、自分の気持ちを正面から受け止めることもできずにいました。

そんなタイミングで出会ったのが「たった一度しかない人生が終わる時まで、己という最高の僕(しもべ)をコントロールしきる事はできぬ!!」という言葉です。中学生なら、人が死ぬこと、死んだら生き返らないこと、時間が巻き戻らないこと、人生が1回しかないことは知っています。そして、実際に1度しかない現役での高校受験を失敗することで、私の1回は過ぎ去りました。そして、その原因は、己をコントロールしなかったからです。何しろ受験の2週間前に発売されたばかりのゲームを買ってきて寝る間を惜しむくらいに全力でクリアに挑み、クリアしたのが受験の1週間前、試験対策は1週間しかしませんでした。その時の私は「己」を自分の人生を生きる上での最高の僕(しもべ)にするには、ほど遠いところにいました。

30年が過ぎて、今は、己を最高の僕(しもべ)とすることが人生を生きる意義だとすら考えるようになりました。
その一日、己のことを最高の人生に値するように使ってあげられたのか、使いこなしてあげられたのか、無駄遣いしなかったのか、乱暴に使っていなかったのか。こんな質問が時々浮かんで来るんです。

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