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リーフの歴史⑧ ~家業を継ぐ~

約1年間のエンドウプランニングでの建築修行を終え、結婚を機会に、実家の家具店に入社したのが1985年のこと。当時、お店は展示面積で400坪近くあり、地域でもそこそこの広さだった。ところが、店内はあまりに雑然としていて、お店の3分の1ぐらいが物置と化している状態。仕入れも、昔ながらというか、展示会に行っては勢いで大量に買い付けてくるスタイルで並べきれない商品がそこここにあふれていた。

最初の1年はわけもわからず、言われるがままに配送の手伝いや販売に携わっていた。ちょうど、パソコンの前進、オフコンが登場したころで、紙ベースで整備していた顧客名簿をデーターベース化するのが初めて僕が行った、改革の仕事だった。そのうちに、仕入れや企画に携わるようになった。当時は、大阪に営業所をもつ、大手家具メーカー、卸問屋からの仕入れがほとんど。直接産地まで出向くのはもう少し後になってから。在大阪の家具メーカーの数社と交渉し、セレクトカタログを作り、店内にメーカーブースごとのレイアウトを設けて展示のやり方も変えていった。

土日になると、各メーカーの営業所から営業マンが販売応援に来てくれるので、それはそれで助かったのだが、置いている商品はどこの家具小売店でも並んでいる商品。必然的に、「値引き交渉」にさらされ、売り上げが上がっても利益が確保できない。当時の自分は経理にはまだ深くかかわっていなかったのだが、決算書も毎年決算期になるとようやく出てくるような感じで、月次の決算など、遠い世界の話だった。

「価格決定権」が自らにないことにいら立ちを覚え、品質的にも安心な大手メーカーの家具ばかり販売することが、経営的にはなかなか成り立たない現実に、どうすれば良いのか迷う時期が続いた。


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