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リーフの歴史② ~てんのじ村~

「家具から始める家づくり」リーフの猪倉です。

天王寺にできたあべのハルカス。上階から西を見ると眼下に大阪市立大学医学部付属病院が見えます。その、奥の路地に入り、細い階段を下ると、再開発の華やかな雰囲気から一変、昭和の香りのする地区に出ます。

「大阪市西成区山王」

昭和24年3月1日、私の祖父、猪倉勇助がこの地に木工所「マルイ木工」を設立しました。当時、作っていたのはソファの芯材となる木フレーム。現在では、どんな家具も全ての工程を一つの工場で行うのが一般的ですが、当時は分業制がまだまだ残っていた時代。少し前まで、よく仕入れに行っていた徳島などの鏡台(ドレッサー)産地もほとんどのメーカーが分業制を敷いていました。

堀江などにあった木材問屋から曳いた板を仕入れ、それを木どりし、ソファの心材になるフレームを作るまでが祖父の仕事。出来上がったフレームは「張り屋」とよばれる業者に持っていかれ、そこでクッションや布地を貼って仕上げます。祖父は職人そのもの。とっても寡黙であまりしゃべらない人でした。幼い頃の私がたまに工場と同じ敷地にある祖父の家に遊びに行くと、鉛筆をなめながら、帳簿を付けている姿、また外で、平たい2色鉛筆で板に木どりをしている姿の目にしました。

天王寺というのは、和歌山から見れば大阪への玄関口。祖父の工場の周辺には、特に和歌山出身の家具関係の工場が多くあったと聞きます。その中には、今では誰もが知ってるような大型販売店になったところもあれば、製造工場として成長を続け、そのうち、あまりにも都心にあることから行政から郊外への集団移転を進められ、それによって出来上がったのが現在の枚方家具団地や美原家具団地であったということです。祖父の工場でも、同郷の人々が多く働き、また丁稚として修業をしていました。そこから独立して今では、著名なインテリアショップのOEM先として立派な工場を構えているところも。大阪の家具業界のルーツであったともいえるのがこの界隈なのでした。

市大病院から階段を下った左手に祖父の工場があったのですが、右手には長屋が広がっていました。その長屋にはまだ売り出す前の芸人や音楽家などが多く住んでいた様です。私が子供の頃も、よくこの階段でトランペットの練習をしているどこかの楽団員が夕陽に向かって曲を奏でている光景を見かけました。そのような、芸人が多く住んでいたところからこのあたりは「てんのじ村」とよばれ、作家、難波利三が直木賞を受賞したときの作品ともなっています。

日本が高度経済成長期を迎えるころ、この近くには日雇い労働者の集まる施設があり「あいりん地区」と名付けられていました。当時はあまり治安が良い場所ではなく、何回も暴動がおこったり、自動車で走っていると「アタリヤ」さんが飛び出してきたリ、女性が一人で歩くなんてとんでもない。。。という場所でした。

幼少の頃の私は父親や、叔父(父親の弟)につれられ、ジャンジャン横丁辺りの串カツ屋や喫茶店に行くお供をしていました。子供ながらに、危なげな、怪しい雰囲気があったのを覚えています。しかし祖父によれば、戦前はとても平和でのんびりとした良い町であったということです。日本が戦後、焼け野原から復興に立上り、成長への道筋をひた走る中で、取り残された人々の受け皿としては必要な場所であったともいえます。今でこそ、国内外からの観光客も増え、労働者のための簡易宿泊施設(いわゆるドヤ)はこぎれいな「シェアハウス」や「ドミトリー」にその装いを変えています。キャリーバッグを引きながらスマホに自撮り棒をセッティングして写真を撮って歩くアジアからの観光客の姿を見るにつけ、隔世の感があります。

話は終戦直前に戻って。

終戦直前の大阪大空襲翌日に小学校を卒業した父は空襲の翌日、祖父と離れ、一人で祖母や兄弟姉妹の待つ、串本へと向かいます。本来なら天王寺駅から汽車に乗るところが、線路に直撃弾が落とされ、隣の美章園駅まで歩き汽車に乗ったということです。その汽車も田辺どまりとなり、行く当てもなく途方に暮れていたところに母親ほどの女性に声を掛けられ、近くの旅館に投宿、翌日ようやく和深まで戻れました。

終戦まで5か月ぐらいの間に串本をアメリカ海軍の艦砲射撃の嵐が襲った時に、トンネルに避難した父の姉妹(私から見れば叔母たち)は当時、父が年下だったにも関わらず、「僕をお父ちゃんだと思え!」といって、爆弾の炸裂する音に恐れおののく叔母たちを激励したということを、後年聞きました。

父ががんで亡くなる前、私と二人だけで串本周辺を旅行したことがありました。その時に現在の串本高校(当時の旧制串本中学校)の前を通った時に懐かしそうに「昔ここに通っていた」と筆談(父は喉頭がんで声帯摘出の為、声を失っていました)で聞いたことを思い出します。

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