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リーフの歴史⑨ ~船井総研との出会い~

売り場での販売から、配送、カーテンの採寸取り付けなどなんでもかんでも取り組んでやっていた30歳前後のころ、会社に1通のダイレクトメールが舞い込んだ。「アメリカ西海岸家具流通業視察セミナー」の案内で、主催は大手コンサルタント会社の船井総合研究所だった。それになりに忙しい毎日を過ごしていたものの、このままのやり方に限界も感じていたころ、思い切って参加してみることにした。

日程は約1週間。サンフランシスコとロスアンジェルスを廻り、当地の家具ショールームや小売店などを巡るツアー。移動中のバスの中ではコーディネーターの三浦康史先生が見るべきポイントなどをレクチャーしてくれた。参加者は、日本全国から集まっていた。地方都市の地域ナンバーワン家具小売店幹部であったり、ハウスメーカーでインテリアオプションを販売しているインテリアコーディネーターであったりした。

ロスアンジェルス郊外のインテリアセンターを見た時は衝撃を受けた。大きなビルの中にたくさんの家具、照明、壁紙などインテリア関連のショールームが入居している。1階にはインテリアコーディネーターの事務所があり、エンドユーザーは単独では入れず、お気に入りのインテリアコーディネーターと同伴で館内を巡るシステムだった。そこを出た時に三浦先生の解説の中で「もうすぐ、大阪の南港というところに、このような業態のインテリアショールームができる予定です」という話があった。なんと、いま当社が入居しているATC(アジア太平洋トレードセンター)のことだったが、当時の自分にはそんなことは知る由もなかった。

「こんな施設が大阪に出来たら、今自分の店でやっているような売り方では全然歯が立たなくなってしまう・・・」と、漠然とした不安を覚える。その後の移動中にハイウエイ沿いのインテリアモールに立ち寄った。大きな幹線道路沿いに建つ施設で真ん中に大きな駐車場がある。ホームセンターの「ホームデポ」と今は日本でも拡大している「イケア」が核店舗として建ち、その周辺にウォーターベッド専門店だとか、子供家具専門店、照明専門店などの小型の特色あるインテリアショップが集積していた。レストランなどもあり、ここで丸一日過ごせそうな場所だった。このイメージがずっと自分の心に残る。

色々な刺激を得て大阪に帰ってきてから間もなく、船井総研の指導に入ることに決めた。MD表、品揃え、自社製チラシ。いままで体験したことのない業務がつぎつぎと出てきた。定期的に勉強会にも参加し、全国の家具店の経営者さんたちとの情報交換もできた。時代はちょうどバブル崩壊を迎えていたけれども、かってのブランド品指向からボリュームゾーンの品揃え重視に変えていたおかげもあり、打撃はそれほどでもなく、売り上げは当初の1.5倍ほどにまで伸びた。

しかし、好調はいつまでも続かなかった。5年ほどすると再び売り上げは低下し始める。そのころ、以前から話に出ていたお店の前の国道拡幅計画が持ち上がり、お店が移転することになった。移転先はずいぶん前に手に入れ、香港から来た職人さんたちが工場で座敷机を作っていた狭山池のほとりの場所。移転補償金のおかげもあり、売り場面積は500坪近い大型店を立てることができた。

しかし、新店になっても期待したほどは売り上げが伸びてこない。周辺には大型店が業界の枠を超えてどんどんと出店してきた。「このままではまずい。もし、あの大型店がいまのうちの隣にきたら、存在価値はあるんだろうか」と考えると、将来も心もとなかった。


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