見出し画像

旅の記:2023年8月のツアー⑲呑香稲荷神社(岩手県二戸市)

【2023年8月のツアー⑲呑香稲荷神社】 

九戸城松の丸跡に鎮座するのは呑香(とんこう)稲荷神社。「とんこう」とはアイヌ語で「かがやける丘」を意味するそうです。
延暦2年(801年)に出羽大物忌神社の御分霊として、二戸市の稲庭岳に祀られ、関東三稲荷の一社とも言われた。長徳年間(995年~999年)に宮野(福岡の旧名)に遷座するが、天正19年(1591年)九戸政実の乱の際には、戦乱を避けて津軽へ移っていた。九戸城落城後、宮野は福岡と改められて、当社も二戸郡に戻ってくる。天和2年(1682年)小保内源左衛門といものが霊夢を見て、現在の地に遷座、呑香稲荷の神号を授けられたという。南部の幼君が疱瘡にかかった際に、夢枕に稲荷大明神がたったあと病気が平癒したとして、神号が与えられたという言い伝えもあるそうです。
それ以降も南部藩の崇敬を受け、貞享3年(1688年)3代藩主重信が荘厳な社殿を建立し、さらに20年ごとに社殿修築が行われた。

槻蔭舎(会輔社学舎)。安政5年(1858年)に萩の小倉謙作という人が当地を訪れ、和漢学の講義を目的として呑香稲荷神社宮司小保内孫陸と会輔者を設立した。槻蔭舎は孫陸の茶室で、ここで講義が行われたという。その後も多くの人が携わり、当地の青少年育成に大きな影響を与えた。
社殿は明治初期に神明造りに改築されたそうです。
九戸政実神社。本社は政実最後の地、宮城県栗原市。九戸城二の丸に分霊されていたものを、平成13年(2001年)に移築された。
大作神社。主家の積年の恨みを晴らそうと文政4年(1821年)津軽藩主暗殺未遂事件を起こした相馬大作。僕は詳しくありませんが、ちょっと気になるので、調べてみます。
南部坂
九戸城松ノ丸

社務所の方がお留守だったので、御朱印はまたの機会に!

九戸村方面など、まだ行きたいところがありましたが、青森八戸から岩手二戸まで、南部の歴史を堪能できました。また来れたらいいな!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?