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旅の記:2023年6月のツアー⑧錦の御旗製作所跡(山口県山口市)

【旅の記:2023年6月のツアー⑧錦の御旗製作所跡】

慶応4年(1868年1月3日)戊辰戦争の緒戦となった鳥羽伏見の戦いが勃発、朝廷は征夷大将軍・仁和寺宮彰仁親王に節刀と共に錦旗を与え、薩摩藩兵に先導されて本営である東寺に入る。同年1月5日、伏見の戦場で官軍の証として掲げられた錦旗は、士気を大いに上げ、逆に賊軍とされた幕府兵や徳川慶喜を動揺させる効果があったという。しかし実際は薩長軍の正当性を誇示するため、岩倉具視が故事をもとに発想し、腹心の玉松操にデザインをさせ、半分を京都薩摩藩邸、半分をここ長州は山口にて錦旗に仕上げた、ある意味はったりだったともいえるものだった。
御旗の製造は藩内でも品川弥次郎、木戸孝允、平沢真臣など一部の人しか知らなかったという。当時この地にあった養蚕施設の一室で極秘裏に制作作業が進められた。現在は門と塀の一部があるのみ。制作時に余った記事が山口県立博物館に収蔵されているそうです。

日本初の軍歌と言われる「宮さん宮さん」にも錦の御旗は歌われていて、作詞・品川弥次郎、んで作曲が大村益次郎!?ということでが、益次郎、作曲できるんだ!。

ちなみに中世では官軍を象徴する旗に決まった形があったわけでなく、源頼朝は「伊勢大神宮」「八幡大菩薩」、後醍醐天皇は日輪と月輪の意匠が入ったもの、室町幕府は日輪と「天照皇太神」と入った錦の御旗と、足利氏家紋と「八幡大菩薩」とが入った武家御旗の2種類を用いてい、錦の御旗を使用するには天皇の綸旨が必要で、綸旨を受けた側が用意するものだったそうです。


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