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旅の記:2023年8月のツアー㉒東禅寺<南部家墓所>(岩手県盛岡市)

【旅の記:2023年8月のツアー㉒東禅寺】

建武年間(1334年~1336年)無尽和尚を開山として遠野市附馬牛に創建されたという東禅寺。盛岡南部氏の墓所のひとつ。山号を大宝山、曹洞宗の寺院です。この無尽和尚、ムジナから生まれたという伝説があるそうです。。
南部家13代守行が戦死した際に無尽和尚が焼香師となったことから、南部家との縁がはじまり、寛永12年(1635年)盛岡2代藩主・重直の時に盛岡城が完成すると遠野から移った。

九戸政実の乱の際に、九戸城内へ交渉に入り、降伏を勧めた薩天和尚。しかし奥州再仕置軍に騙され、投降した武将たちが打ち首になった。これに抗議して東禅寺で自害した、という言い伝えがあるそうです。しかし東禅寺が盛岡に移った時期を考えると違うかな?遠野にあった頃のお話でしょうか。他に「政実の息子を預かり上方に逃れた。その息子は徳川家康に仕えた」とか「近江彦根の青竜寺の住職になった」など、言い伝えがあるそうです。


本堂。ご本尊、曹洞宗ですからお釈迦様だと思うのですが、は本願寺顕如の妻・如春尼の寄進だとか。
裏手には
盛岡藩初代藩主利直の墓。利直の焼香師は三世大英和尚が務めた。他4人の藩主の墓所でもある。




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