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旅の記:2023年4月のツアー㉑本願寺鷺森別院(和歌山県和歌山市)

【旅の記:2023年4月のツアー㉑本願寺鷺森別院】

本願寺鷺森別院は浄土真宗本願寺派の寺院で、山号を龍谷山、本尊は阿弥陀如来です。文明8年(1476年)、熊野に参詣する蓮如に冷水浦の喜六太夫という人が帰依し、了賢という法名と親鸞・蓮如連座(二尊像)の画像をいただき、清水道場(現・了賢寺)を建立、当寺の前身となった。
蓮如が文明8年に熊野参詣をしたという事実はないそうですが、、当寺に現存する二尊連座像に蓮如自筆の裏書があるそうです。

その後、幾度か移転を繰り返し、1563年に現在の地である雑賀庄鷺森に移って鷺森御坊と呼ばれるようになった。

ここに来たかったのは、1580年織田信長との和議に応じて本願寺門主顕如が石山本願寺を出て、当寺に入ったという歴史があるからです。天正8年(1580年)顕如が入って天正11年(1583年)貝塚本願寺(現・願泉寺)へ移るまで、鷺ノ森本願寺として浄土真宗本願寺派の中心寺院となった。
天正13年(1585年)、秀吉の紀州征伐により衰退。江戸中期には紀州門徒によって再興されるが、昭和20年(1945年)和歌山大空襲で焼失。現在の本堂は平成6年(1994年)の再建です。

信長包囲網の一角として、徹底して信長に抵抗したが、武田信玄亡き後、包囲網は破綻。朝倉・浅井などが滅ぼされてしまい、本願寺もついには抗戦継続をあきらめ、朝廷を和平の仲介役として、信長と和睦。ここ鷺森に移るときは、どんな気持ちだったのでしょう。息子は父の意向も無視して、徹底抗戦を決め込むし。。

その後の本願寺が東西に分裂する過程が興味深いです。→(過去ブログ:西本願寺)

境内には鷺森幼稚園があります。







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