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旅の記:2023年8月のツアー㉛上杉家廟所(山形県米沢市)

【旅の記:2023年8月のツアー㉛上杉家廟所】

法音寺を過ぎると米沢藩歴代藩主の墓所である上杉家廟所があります。元和9年(1623年)に上杉景勝が亡くなると、現在の廟所に埋葬され、以後12代藩主までここに埋葬されることとなった。
明治に入ると廃城令によって米沢城は解体、本丸に上杉謙信の霊櫃を御堂を建立し安置していたが、謙信もまたこの廟所に移ることとなった。
春日山城で亡くなった謙信の霊櫃は春日山城不識庵にあったが、国替えによって会津へ移動、そして関ケ原の戦いのあと、米沢城に再び移動した。上杉家にとって謙信がどれほど大切かということが分かりますね。棺の中の謙信も、「ど、どこいくんだい?」と2度も移動させられるとは思わなかったでしょうね。。春日山城の麓にある林泉寺には謙信の墓があってお参りしましたが、こちらう移っていることを後で知った次第です。

明治9年(1876年)に城内から謙信の御遺骸が移ってきたために参道も新たに作りかえられた。
上杉謙信廟所
左手、一番手前が景勝の廟所。実際は初代藩主にあたると思いますが、謙信公に遠慮して謙信が初代、景勝が2代となっています。
こちらは10代治憲、そう鷹山公です。
右手、一番手前が3代定勝。

2代(初代)景勝から9代(8代)重定までは火葬で埋葬、10代(9代)治憲から12代(11代)斉定までは土葬で、治憲の倹約令もあり簡略化され材質の落とされたものがつかわれた御堂になっています。

跡継ぎを指名せずに突然亡くなった謙信、激しい家督争いで当主となった景勝、秀吉がなくなる寸前に転封させられ、関ケ原では西軍につき米沢に移封、減俸による藩財政の貧窮などなど、謙信以降の上杉氏の歴史を想うのでした。

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