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旅の記:2023年10月のツアー⑫闐信寺<佐竹義重菩提寺>(秋田県秋田市)

【旅の記:2023年10月のツアー⑫闐信寺】

闐信寺(てんしんじ)は慶長18年(1613年)に久保田藩初代藩主佐竹義宣が父・義重の菩提を弔うために建立した曹洞宗のお寺です。佐竹義重といえば「鬼義重」と呼ばれて、伊達氏や北条氏とも渡り合った猛将です。伊達・北条という二大勢力に挟まれて一時はピンチになるが、家督を息子・義宣に譲って、豊臣秀吉の小田原征伐に父子で参陣、秀吉から常陸国54万石の支配権を認められて、状況を挽回した。関ケ原では、義宣が石田三成と懇意だったことを理由に西軍を支持したのに対し、義重は東軍を支持。この対立により、佐竹氏は迅速な動きが取れずに、戦後日和見的な態度を理由に出羽国久保田20万石(実高40万石)に減転封された。改易にならなかったのは、義重が家康・秀忠親子と以前から誼を通じていたからという。
久保田移転後は、義宣とは別に六郷城を築き、町割りを行って、相次ぐ反佐竹一揆に対応していた。慶長17年(1612年)狩猟中に落馬して死去。享年66。このツアーが終わって、東京に戻ってまた水戸に行って佐竹関連を巡ったので、また義重さんの事は詳しく記することがあると思います。
明治4年(1871年)廃藩置県で久保田藩が廃藩になると、廃寺となるが、10年後に再興された。

なかなかわかりずらいところにあって、少し迷いましたが、到着!
仁王像は石造り
ご本堂
こちらが義重の霊屋。お墓は中に。また境内には一族や家臣のお墓があるそうです。
こちらは、、?


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