旅の記:2023年8月のツアー⑩三内丸山遺跡(青森県青森市)
【旅の記:2023年8月のツアー⑩三内丸山遺跡】
宮城県からから青森県に移動。まずは三内丸山遺跡へ。縄文時代前期中ごろから中期末葉(約5900~4200年前)の大規模集落の跡とされ、国の特別史跡、国際連合教育科学文化機関により「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録されています。
遺跡は八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端に位置し、存在は江戸時代から知られていたそうで、弘前藩の記録にも土偶が大量に出土したことなどが記録されている。
平成4年(1992年)、建永野球場を建設するのにあたり、本格的な調査が行われた結果、この遺跡が大規模な集落跡である可能性があることがわかり、平成6年(1994年)には直径1メートルの栗の柱が6本見つかったことで、県ではすでに着工していた野球場建設を中止して、遺跡保存を決定した。
時遊館にて展示物を見学
いかんせん大昔の事ですので、復元建物には様々な説があるそうです。出土遺跡は段ボール数万箱になったというので、相当の量ですね。日本各地から交易で得たとされる黒曜石、琥珀、漆器、翡翠などが出土していますが、日本だけでなく中国大陸のものとの類似性がある土器や飾り物があるとのことで、驚きですね。
野ウサギやムササビの骨が多く出るそうですが、巨大集落を支えるためにシカやイノシシはすでに資源として枯渇していた可能性があるそうです。また栗やクルミ、トチなどの種実類やエゴマ、ゴボウ、マメなどを栽培していた可能性があり、採取だけに頼らずに、多数の居住者を支える活動をしていたとして、従来の縄文時代のイメージよりかなり進んだものだそうです。
日本の成り立ちや日本人のルーツにはまだまだ謎が多いそうですが、こういった遺跡から想像すると面白いですね。
ちなみに大規模集落の終焉の理由も謎だそうです。。
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