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5.高校バスケで私が得たもの🏀💜(後編)

episode4「我慢」


自分たちの学年になり、ラストシーズンを迎えた9月。たくさんの方々の後押しをもらいようやく練習にも行くようになった頃、私は副キャプテンという位置付けになり、チームがスタートしました。同じチームなはずで、HCも同じ環境下にいたはずなのに、全くの別世界。何もかもが違ってしまって、毎日が不安でしかなかった。バスケットも今までの積み重ねがゼロになり、ただただひたすら「走る」ことしかしませんでした。

強いか弱いかと言ったら、チーム自体は強かった。けど、自分の成長にフォーカスしたら、ちょっとそれは明言できません。ただそれまであまり起こらなかった「怪我」がチーム内で多発しました。言葉で表現するなら「根性論」、キラキラしていた世界、スマートなバスケットはもうそこにはなく、ガツガツとした凶暴的なバスケットに変わっていきました。愛ゆえに起こる、「叱咤」なのか、「感情」なのかは当事者たちが1番よくわかっていたと思います。それでもチームは勝ってしまう。他のチームメイトたちがどう思っていたかはわからないけど、私は3年間の集大成として恩師に教わったことをコートで表現したいという気持ちでいたから、その時できることは全力でやってみたし、恩師のバスケットを継承したいって想いが強かったんです。そのためにコートに立とうという思いで何とか頑張ったのを今でも強く覚えています。

結局、新人戦では都優勝・関東準優勝。結果としては在学中で1番良かったかもしれない。けれど、素直に喜べない自分がいました。
その後、U18にも参加させてもらったり、すごく良い経験はさせていただいたにも関わらず、やっぱり心のどこかで燻り続けて3年生になったのでした。。。

episode5「怪我」


3年生になり、本当の本当にラストイヤーになったはずでしたが、新人戦後から腰痛に悩まされ、いつの日かスタートから外れ、自分が何を求められているのかも当時の私には理解ができず、やさぐれ始めていました。(笑)

春の都大会。右膝の内側側副靭帯の損傷、誤魔化しながらやるも痛みが強く仕事ができない。優勝。完治させられないまま、春の関東大会。新人戦より完敗で準優勝。他のチームの子達はちゃんと伸びていたように見えました。隣の芝は青いってことにしたい。。。

インターハイ予選。右膝の痛みは落ち着いていたので、そこそこ動けたはずが使われない。それもなぜかわからない。優勝。国体メンバーに召集される。HCは恩師。何が何でもやりたいので照準は国体に合わせてリハビリ。大分インターハイ、夏の練習中に何度か痛みをぶり返して、飛行機の気圧で痛みが爆発するレベル。ほぼ出ていない。2回戦敗退。

ウィンター予選3日前。接触でロッキング。ドクターストップかかるが、無理矢理やらされる。そして突然スタート。無理。優勝。

国体。ウィンター予選でプレーをしなければできたんだろう。。。国体練習もみんながバスケをする傍らコートサイドでリハビリ。優しさ出場。ベスト8。

ウィンター。本戦前に心が折れる。大学でもバスケを続けたい一心で、リハビリに励むが、ウィンターまで頑張れず。大会前にオペ。大会は観客席で応援。戦友たちがフロアから私を見つけて、声をかけてくれた。これにすごく支えられた。

そんな流れで高3終了。あっという間でした。

【私が高校バスケで得たこと】


「バスケット」って同じスポーツなはずなのに、HCが変わるだけでスタイルが大きく変化する。きっと他のスポーツでも言えることなのだろうけど、こんなにも変わるものなのかと、今回の更新で改めて思いました。

どちらにせよ、恩師との出会いには本当に感謝をしています。

私のバスケットボールに対する考え、取り組みその全てが覆されたのが先生のバスケットでした。
足のつき方、出し方、ボールの持ち方、ドリブルの着き方、パスの出し方、出す場所、出すタイミング、シュートの打ち方、構え方、セレクトの仕方、状況判断の考え方、バスケットにおいて欠かせないこと全てが1から学びました。

そして何より、そこで学んだことが、どんなにバスケットの流行が変わっていっても通ずることにいつも驚きます。
今までの競技生活の中で教わったこと全てを自分のものとして伝えようとした時、先生の教えは指導の中心にあるのではないかというくらいの大きなものになっています。

言い回し一つをとっても、同じ表現になることもあるらしく、近況を当時のチームメイトに話すときに、同じこと言ってると突っ込まれることも最近ではしばしばあります。(笑)
たくさん怒られただけありました。(笑)

あとは、ポジションのコンバートがあったこともあり、高校バスケでは新たな挑戦をすることの繰り返しでした。
2・3番は慣れれば解決すると思っていたことも、そうではなく私の場合はリングに対して背中を向けた状態、ガードに対して目が合う状態でボールを受ける方が、状況判断がしやすかったようでした。あとは、ちょっとした偶然のミスから1番をやらせてもらったこともありました。

色々なポジションを経験できたことは本当に楽しかったです。特に、ミニバスや中学時代ではガードを経験させてもらえることがあるなんて思っていなかったので。笑
これはちょっと失礼に当たるかもしれないけど、ガードって楽なの?!とも感じてしまいました。(インサイドより走る距離が短いから。笑)けど、本当に楽しくて、自分のパスで点を演出することができると思うと、想いが込められるなあと。(笑)ただ、アシスト殺しの気持ちも分かったので本当に良い経験になりました。

その経験がリバウンダーとなった時にも生きていたと思います。リバウンド後にアシストをすることもできるから、取った後に味方にチャンスがあったら極力そのままシュートを狙えるようなパスをしようと思ったり。

とにかく、全部のポジションを経験することができたからこそ、色々な目線で物事を考えることができた。プレーとプレーのつながりを考えるきっかけになりました。
何より、それが指導者となった今、大きな財産となって活きています。

少し、脱線しますが、、、
私が指導者として持っている考えの中に、選手の人生の一部を預かっているというものがあります。

選手が在学中に結果を残すために頑張るのは当然のことかもしれないですが、それだけでなく、私としても残りの長い人生の上で活かすことのできる財産を与えることも、指導者としての私の任務の一つだと思っています。
その中の一つとして、結果としての良い景色を見せてあげられたら良い。という想いです。

別に恩師じゃなくても、同じような学びはあったかもしれません。けれど、将来的にではなく時間をかけずに生かすことのできる学びって、真似ができるかどうかだと思うんです。その機会を色々な場面、状況で提供してくれたのが偶然恩師だったということだと思っています。
地元に残る選択もあったし、他校に進学する選択もあった中で、成徳なら高いレベルで今までにない経験ができると思って進学したことは、真似をして学ぶ上では本当に良かったと思っています。

バスケットボールが人間をつくる

最後に、練習前にサークルでみんなで一言ずつ暗唱していた言葉をご紹介します。

『バスケットボールが人間をつくる』

バスケットボールを道として選び
それ故に礼儀を重んじ
コートで精神を鍛え
心を練り
敵は相手ではなく
自分であることを知り
己に勝てる人間になりたい

他人より二倍三倍も努力し
やらされる3時間よりも
自ら進んでやる1時間の価値を知り
最後までやり通し
決して諦めない
根性のある選手になりたい

失敗を人のせいにせず
簡単なボールほど慎重に扱い
同じミスを二度と繰り返さず
他人の気持ちになってものを考えられる
心の豊かな選手になりたい

練習は人生の縮図と悟り
今日できることは明日に延ばさず
研究の精神を怠らず
やれと言われたらすぐ行動する
プライドのある選手になりたい


きっとこの言葉が私の高校バスケで学び得たことの全てではないでしょうか。
選手としてはもちろんながら、生徒として、1人の人としての在り方
当時はまだまだ未熟ではありましたが、大人になって分かることって結構あ理ますね、、、(笑)
私は高校時代、バスケットボールを通じて人としての成長をすることができたなあと感じています。

「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉がありますが、その暇つぶしを偶然にもこんな素敵な場所でできた私は、なんて恵まれているんだろう!!🥺
「振り返りと得たこと」を綴ってみましたが、こんなので良いのでしょうか?!?!
こうして書いてみるとうまく書けないものですね。
いつかインタビューしてもっと素敵にまとめてもらいたい!!

てなわけで、かなりの暴露大会になってしまいましたが、、、
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました🌻

次回は、大学バスケを振り返ります💫

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