ピーター人形のストラップ

 以前、有識者と呼ばれる学者や研究者、官僚、経済人、ジャーナリスト、アスリートが多数、集う会議で、ピーター・フランクルさんの話を聞いた。

 最初に、華麗なジャグリングに目を奪われた。次に、数字を使ったクイズ。「解けたら、プレゼントを上げるよ」。そして、いよいよ講演開始。ピーターさんの多彩な経験を踏まえた、含蓄深い言葉に感銘を受けた。

 最後に、「クイズを解けた人いますか?」正解者は私ともう一人だけ(その方は将来、ノーベル賞を受賞するのではないか・・・と噂されている有名研究者でいらっしゃいます)。私とその方は、ピーター人形が付いたストラップをもらって、満面の笑み。

 ふと、思った。たぶん、大半の人は、クイズを解こうと着手しても、本題の講演が始まったら手を休めたのだろう。私のように、クイズが解けないと、気が済まないのは、発達障害の特徴の一つだ。周囲からは、「人の言葉を平気で無視する」「忘れ物が多い」「注意力が散漫」とすこぶる評判が悪い。直せと言われても、矯正には多大なエネルギーを使うし、たいていは良い面も失くしてしまう。

 小学校で考えてみよう。特定の生徒にしかできない難しいクイズを先生が出題することはまずありえない。しかし、授業の最中に突然、「なんでだろう」と難問がひらめくことはある。その時に、授業を聞かずに考えて、たとえ正解にたどり着いても、決して褒められるはずがない。「授業を聞かずに、おまえは何をやっているのだ」と叱られるだろう。

 ただ、私の両親は違った。千年続く宮大工の家系で大工の棟梁だった父は、職人気質で人としての原理原則さえ守れば、あとは自由にやれ、というタイプだった。

 また、亡き母自身もたぶん発達障害だったが、とびきり陽性な人柄を磨いて、接客コンテストの全国大会で優勝した成功体験を持っていた。だから、両親ともに、「たとえ欠点だらけの息子でも、一芸を極めれば、世の中でやっていける」という育て方をしてくれた。

 自分が親になって改めて、両親のような割り切りがいかに難しいかを感じつつ、ありがたいことだと思う。

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