薬局にて学んだこと31 嫁姑

 ひと昔前までは、長男のお嫁さんは、結婚するとすぐにご主人の実家に入り、ずっと一緒に暮らすのが常でした。今でこそ二世帯住宅だったりはしますが、それでもすぐ近くで相手を気づかわないといけないので、一緒に暮らすことが大変なことに変わりはないのだと思います。

 お嫁さんにとって、ご主人との場合には甘えが許されても、お姑さんともなるとそんなわけにはいきません。格が高い家で玉の輿に乗ろうが、そんなこともない気楽そうなお家であろうが、何十年も別々に暮らしていた人と一緒に暮らすということは、お嫁さんもお姑さんもいろいろ気を使うことがでてきますし、互いに良いところだけを見せ合う間柄ではいられません。それでも、お姑さんは良い姑であろうとし、お嫁さんは良い嫁であろうとします。そのため、お互いに日々の思いを胸にしまい、黙ってしまうことも多いかと思われます。

 この方が、どんな風な嫁姑関係だったかは、おおよそのことしか知りません。ある時、高齢のお姑さんが心臓が弱って命を失いかけ、お嫁さんは「なんとかお婆ちゃんを助けてあげて。」と、医療家であるご主人に頼みました。そして、お姑さんはなんとか薬によって息を吹き返し、お嫁さんは息を吹き返したお姑さんの口に、スプンでゼリーを持っていき食べさせていたそうです。
 お姑さんは手を合わせて、「極楽でした、ありがとうございました。」と言われたそう。そして、そのことばにお嫁さんは、「お婆ちゃん、30年忘れた!」と言ったと聞きました。

 姑と同居することがなかった私には、人の話しを聞く度に、なぜそんな大変な思いをしてまで一緒に暮らさなければいけないのだろうと思っていました。彼女の、たったひとことで30年を忘れてしまう、それはどんな思いの積み重ねがあって、どんな気持ちなのだろうと推測します。でも、わかりません。ただ、お姑さんのその時の「ありがとうございました」は、本当の心から出たことばなのだろうとは思います。
 
 人は、経験をしなければ、その思いを知ることはできません。皆、それぞれの経験をして、それぞれの宝物を持つことができるのでしょう。

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