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#36 兼業生活「生きるために必要だから、つくる」~中村紋子さんのお話(2)

「そのままの自分」を押しつぶすもの

室谷 あらためて、もんちゃんのこれまでのお話を聞かせてください。小さい頃から絵を描いていて、10代のころに写真を撮り始めたんだよね。

中村 初めて写真を撮ったとき、「早い!」って感動したの。繊細な光を絵で描くのは、すごく難しい。それを写真だとシャッターを押すだけで、こんなに簡単にできるのか!と驚きました。それからは絵を描くときに豚毛から馬毛の筆に持ち替えるように、「写真が合うな」と思うときにカメラを持つようになった。もんちゃんは頭の中にあるイメージを顕在化したいだけで、その方法に関心があるわけではないんだよね。

室谷 そこから東京工芸大学で、写真家の細江英公さんのもとで写真を学びます。そのころはどんな感じだったの?

中村 昔すぎて覚えてない……えーっと、割と放任でした。みんな独自に活動してて、楽しかったよ。当時の工芸は黄金期。一個上の先輩に本城直季さん、同期に志賀理江子さん(すぐ外国に留学していきました)や岡田敦さん(大学院)、一個下に高木こずえさんとかがいて。仲良くなくても学生時代から活躍する人が周りにいっぱいいたし、それがとても刺激になりました。 仲良しの人とも適度にピリピリした空気がよかった。

ただ、もんちゃんは絵も描いていたし、「絶対に写真じゃなきゃ」とは思っていなかったの。クリエイティブには関わっていきたかったけど、ジャンルを決めていたわけじゃない。4年間学んで、写真で食べていけるだけの技術は身についたと思ったけど。

室谷 卒業後は、海外のコンテストで受賞(米国 Cener For Photographic Art 13th Center Award 入選)し、現代美術で有名な英国ロンドンのSaatchi & Saatchiで展示をします。たしかに前者は写真、後者は絵画で、そのころから2つの表現を両立していた。

中村 当時はちょうど、インターネットが普及し始めたころ。学生でも頑張って調べれば海外の賞に応募できるようになっていて、先生や友達から「海外の賞に出してみたら?」って勧められたの。国内だと、「写真新世紀」「ひとつぼ展」が登竜門だったけど、もんちゃんは壁面投射でどでかい写真を撮っていて。12枚組と枚数も少なく、募集要項に合わない。それでアメリカの賞に出したら本選までいって、入賞しました。

Saatchi & Saatchiは、友達がロンドンで展示するというから、一緒について行ったのがきっかけ。大学院の修了式をサボって、当時つくっていた『週刊あやこ』という写真と絵をミックスした週刊誌100号分を持って、何軒もギャラリーを回りました。英語で質問されても全然わからないから、ひたすら「プリーズ センド Eメール!」と繰り返していたら、後で本当にメールが来た!それがSaatchi & Saatchiだった。

その人から「新作はあるのか?」と言われて、なかったけど「ある!」と言っちゃった。「新作はなんだ?」「ウサリーマン!」「それを送ってくれ」「わかった!」と話が進み、それからわーってがんばって作品をつくりました。

室谷 作品をつくりながら、仕事もしていた?

中村 帰国してから作品のブックをつくって、雑誌の編集部に売り込みに行きました。「海外で展示をした」と言うと、目の色が変わる人が多い。それで割とトントン拍子で仕事が来るようになって、いろんな雑誌でお仕事をするようになったよ。

室谷 「海外で認められた」というと目の色が変わる……どこかで聞いたような(笑)。ひとまず、すごく順調な20代に思えます。

中村 そのころは「いまががんばりどきだ!」と思っていたから、来る仕事を全部受けていました。はたから見るとすごく順調なんだけど。もんちゃんさ、人のお世辞とか社交辞令とかがわかんないの。言葉を額面通り受けとっちゃうところがあって、「また会いましょうね」「うん!」と別れてから3日後に電話したら、微妙な空気が流れて。「え、違うの?」ってようやく気づいたり。

雑誌の編集長に高級な外車のパーティーに連れて行かれたときも、きっとそこで「売り込みをしなさい」という意味だったと思うんだけど、何をしていいかわかんないわけ。おしゃれな人たちが新車のイメージカラーのカクテルを手に会話してて、その中に混じって「おいしいね!」と話しかけても誰からも返事が来ない。同じ日本語なんだけど何かがずれていて、ついていけない……。

写真の売り込みをするときに、絵を描いていることを否定的に捉えられるのもつらかった。ギャラリーで「どっちが本気なの?」と言われたのはいまでもはっきり覚えています。「写真を撮ることに、全部捧げなきゃいけないの?」とびっくりしちゃって。

日本の社会って、1つのことにずっと打ち込んでいる人が尊敬されるよね。私はそうなれないのがわかっていて、「それは自分が悪いのかな?」という気持ちもあって、しんどかった。海外だと「アーティスト」の一言で片づいちゃうのに。

室谷 日本だと「写真家」「画家」と分けたがるよね。画家といっても、日本画か洋画か、現代美術か?で業界での扱われ方が変わったりもする。

中村 日本で「アーティスト」という肩書きを名乗るなら、そこに藝大出身とか、アカデミックな裏打ちがないと信じられにくい土壌もあると思う。もんちゃんはそこで、分かりやすい肩書きを名乗れない自分、うまく説明ができない自分が悪い、「もっとがんばらなきゃ!」と思ってしまった。ストレスが限界に達して、毎晩のように強いお酒を飲んでテンションを上げないと、自分を保てなかったなあ。

室谷 そのままのもんちゃんを受け入れてくれる人はいなかったの?

中村 ファッション系の人たちは面白がってくれたよ。特にBEAMSの人たちは写真も絵も見て「いいじゃん!」と言ってくれて「わー!」「ありがとう」という感じで救われました。私にとっては革命的で、だから作品の展示はずっとB GALLERY(BEAMSのアートギャラリー)でやらせてもらいました。

室谷 よかった……!

(つづきます→「きれいごとの世界は、もういい」

※写真はすべてこのインタビューに出てくる写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです

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