#31兼業生活「人と関わる仕事は、死ぬまで勉強だ」〜姜 由紀さんのお話(1)
今回は、看護師の姜 由紀(カン・ユギ)さんにお話を伺いました。きっかけは、私がつくっているリトルプレス『大人ごはん4号』で、姜さんのパートナーである鄭 堅桓(チョン・ヒョナン)さんを取材したこと。鄭さんは在日朝鮮人3世であり、39歳でCIDPという難病を発症します。筋肉が痩せ、しびれや痛みが発生し、症状がひどいときは体が押しつぶされるような重さも感じる。当時の取材では、そんな鄭さんが作る日々の料理を通して、思いどおりにいかない身体とどう向き合っているのかを探りました。
鄭さんを紹介してくれた、美学者・伊藤亜紗さんによる記事
その取材では、苦しい日々をともに過ごしたご家族のお話も印象的でした。とりわけパートナーである姜さんは、ともすれば世間から見られがちな「難病の夫を支える妻」というステレオタイプと全然違う。どこかユニークで勇敢で、鄭さんのお話を聞きながら、「いつか姜さんにもお会いしたいなあ」と思ったのでした。
それから2年後、この企画で福祉関係の仕事についてどなたかに伺いたいなと思ったとき、「いまこそ、姜さんに会うときだ!」と気がつきました。お話を聞けて、本当によかった(全4回。同席した鄭さんも登場します)。
「悔しさ」をはね返すために、がんばった
室谷 お会いできてうれしいです。今日は姜さんに、ずっと続けてこられた看護師の仕事について伺いたくて来ました。福祉の仕事は、営利目的のビジネスとは違うモチベーションがあると思いますが、姜さんの場合はどうなのかを知りたいです。そもそも、なぜ看護師を目指したのですか。
姜 実は、看護師にすごくなりたかったわけじゃないんです。背景として、在日朝鮮人は日本の企業への就職が難しく、進学先も限られているという事情があります(*)。私は朝鮮学校で幼稚園から高校まで通いましたが、そうすると日本の大学を受験するための高校卒業の資格がありません。進学を希望する周りの子は、ほとんどが朝鮮大学校に行っていました。
室谷 あの、朝鮮学校の高等教育は、日本では高校卒業と認めてもらえないんですか。ごめんなさい、そんなことも知らなくて。
姜 そうなんです。朝鮮の高校に通いながら日本の通信制高校の授業を3年間受けて、卒業資格を得る人もいました。私はそこまで準備していなくて、高校3年になってから進路を考えたんですね。日本の会社に就職するのは難しいし、生きていくには手に職があったほうがいいなと思い、その選択肢の中で、看護師だったら合っているかもしれないと考えました。
看護師になるには、看護大学や専門学校で学び、国家試験に合格しなければいけません。そこで高校卒業後は、日本の通信高校に通いつつ、大検(大学入学資格検定・2004年度末に廃止)を受けました。試験は21科目くらいあって大変でしたが、運よく1回で受かって。
室谷 すごい。勉強しましたね。
姜 とにかく悔しかったんです。日本の公教育と同じような内容を学んできたのに、高校の卒業資格がないなんておかしい。だから「こんなの受かって当たり前だ」という気持ちで……。回り道をしていることが悔しくて、少しでも早く大学の受験資格がほしかった。
それからは看護を学べる国立の短期大学を選んで、受験勉強を始めました。とはいえ、予備校も塾も行ったことがないから、受験のノウハウがない。裕福な家ではないから親にお金の負担をかけるのが申し訳なくて、参考書代だけ出してもらい、全教科を満遍なく勉強しました。でも1年目は不合格で。
親の許可を得て2年目も受けて、また落ちちゃったんです。これ以上親に迷惑をかけられないし、もうあきらめようと思っていたら、「補欠合格しました」と電話がかかってきた。補欠合格というものがあると知らなかったので、後ろにいたお母さんに「ホケツゴウカクだって。『来ますか』と言っているけど、どうしよう?」とうろたえてしまい、「いいから、行くと言いなさい!」と言われて電話を切って。2人でわーって泣きました。
室谷 そこから3年間、短大で看護学を学ばれた。
姜 親が心配するくらいがむしゃらに勉強しました。朝鮮学校から日本人の社会に出ていくときって、「ここで自分ができると証明してみせないと」という気持ちがあるんですよ。誰かから言われたわけじゃないのに、気がつくと在日朝鮮人みんなの将来や立場を“背負って”いる。それもあって、最初は「看護の道に進みたい」というよりも、「生きるために手に職をつけたい」「せっかく入れた日本の大学で、自分の力を証明したい」という気持ちが強かったです。
だけど勉強してみたら、すごく面白くて。
室谷 看護の勉強が、面白かった?
姜 そう。学べば学ぶほど、なんて面白い学問なんだと思いました。看護って、病院で注射をしたり、患者さんの介助をしたりするイメージじゃないですか。私もそう思っていたんですが、本来は「人間そのものを見る」ことなんですね。
いろんな背景をもつ人がいて、お腹にいるときから亡くなる瞬間まで、人生を歩んでいく。その途中で病気になったときに、どうやって自分らしく生きていくのか。そこにケアという側面からアプローチするのが看護であって、家族との関わりをはじめ、その人が置かれたさまざまな状況を知ることが必要です。看護を学ぶうちに、「人間って面白いなあ」って思えてきた。それまでは、別に人間が好きだったわけではないんですけど。
室谷 その感覚、わかります。「好きだ」というのと、「面白い」と思う感覚って、違いますよね。
姜 うん、違う。「面白い」けど、「好き」とは思えないこともありますよね。「人間サイテー」と思うこともあるし。
室谷 たしか短大に通っているときに、後にパートナーとなる鄭さんに出会うんですよね。
姜 そうですね。その頃、在日朝鮮人の学生が集まる勉強会で出会いました。私は大学で看護を学ぶのが楽しくてしょうがなくて、そのことを熱く語ったんじゃないかな……。(鄭さんに)そうだよね?
鄭 ぷぷっ。
室谷 なんで吹き出すんですか(笑)。
鄭 いや、いろいろ懐かしく思い出しちゃって。そのとき彼女が看護について熱心に話すのを聞いて、感心したのを覚えています。補足すると、彼女が合格したのは難関の国立大学でした。朝鮮学校から進学するのは珍しく、僕らのコミュニティで話題になっていました。朝鮮学校の出身だと進路が狭いといわれる中で、「勉強をがんばれば、外の世界に出られるんだ」という希望になっていた。だからこそ、彼女には「後に続く人たちのために、ここでこけるわけにいかない」という思いがあったんじゃないかな。
姜 いちいち、なんで存在を証明しなきゃいけないんだろう?と思うこともあるんですけど。日本人ならこんなことを考えなくていいのに。
鄭 このあたりって、言語化が難しい。僕の看護学校の先輩で台湾から来た人が職場で「『やっぱり台湾の人はルーズだ』と言われるから、軽はずみに遅刻できない」と言っていて、「ああ、僕たちと同じだな」と思いました。遅刻1つとっても、民族に対する印象づけにつながってしまう。
「民族を背負っている」というのは多くの在日朝鮮人に共通する感覚だけど、「背負いたくない」と思っている人もいます。僕も若いころは、周囲から「在日としてどう生きるのか」「在日のコミュニティにどう恩返しするんだ」と言われるのがすごく嫌で、「そんなの関係ないし」「自分の人生だし」と言い返していた。でも気づいたら、自分が子どもに同じようなことを言っていて……。ハッとした経験があります。
姜 本当は、そんなの背負う必要がないほうがいいんだよね。だけど今の子たちにも、30年以上経って同じような思いをさせていることが悲しくなります。もっと時代が良くなると思っていたけど、そんなに変わっていない。むしろ悪くなっている部分もありますから。
鄭 在日として生きていると、進学とか就職とか、人生の節目でどうしても差別に直面します。ただ、僕たちの場合、そういうことを話し合える場があったのは良かったですよね。付け加えると、そのとき彼女に一目惚れしてふられました。僕からの報告は以上です(笑)。
(つづきます→「幸せか、不幸かを測る視点は1つじゃない」)
※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです