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#24 兼業生活「<しっくりくる感じ>を求めて」〜山下裕子さんのお話(2)

「やりたいこと」は見つかったけれど

室谷 会社をやめたときは、金継ぎを仕事にするつもりではなかったんですね。

山下 漆芸教室に通ううちに、お友達や知り合いからときどき金継ぎを頼まれるようになりました。直した器を渡すとみんなすごく喜んでくれるので、それがとても嬉しくて。「こんな風に人の役に立てるっていいな」と思いましたが、それだけで食べていけるとは全然考えていませんでした。

それよりも、金継ぎのおかげで漠然とではあるけどやりたいことがわかって、ホッとしたんだと思います。会社で自分の将来が見えなくなったときは、すごく不安でしたから。とりあえず会社をやめて一回まっさらにして、金継ぎを続けよう。食べるためにまた仕事をしなきゃいけないけど、それは後から考えればいいか。という感じで、そんなに焦りはなかったです。

室谷 収入面の不安はありませんでしたか。私は会社をやめるために、途中から貯金をしていました。小心者なので、やめたら毎月お給料が振り込まれなくなるのが怖くて……。

山下 うん、あまりなかったですね。意外と考えなし(笑)。会社で退職の挨拶をするときも、たぶん年齢的なことと、長く働いていたから「次はどこか別のブランドに決まっているんですか?」といろんな人から聞かれて。「いいえ」って答えたら、びっくりされました。「次も決まってないのに、40歳を前にしてやめるんだ」と。

退職後は金継ぎを続けながらできる仕事を探そうと、派遣会社に登録しました。私はそれまでずっとアパレルで働いていて、時間が不規則で夜も遅くなるのがふつうでした。だから時短でスパッと切り替えができる仕事ってすごい!という感じで。金継ぎだって何だってできる。やりたいことと仕事を両立できると、思い込んでいました。

でも、いざ始めてみたら……とてもじゃないけど、無理でした。

室谷 定時とはいえ、好きじゃない仕事を長い時間するのは疲れますよね……。具体的には、どんな感じでしたか。職場の雰囲気が合わなかったんですか。

山下 派遣先は教育関係の財団法人で、服装も自由だったし、ゆるいほうだったと思うんです。それよりも、会社の細かいマニュアルに沿って動くというのが、全然自分に合わないことに気がついてしまって。もっと「食べるための仕事」として、割り切れると思っていました。でも実際にやってみたら、割り切れない。

それまでずっと自分の興味とか、好きな感じに沿って仕事を選んできた。それが生まれて初めてお金のためだけに仕事をしたら、「何をしているんだろう?」と疑問がわいてきて、精神的ストレスに……。休日や帰宅してから金継ぎをしていましたが、ご依頼も少しずつ増えてきて、物理的にも気持ちも余裕がなくなっていきました。

2年ちょっとその状態が続いた後、東京の23区内から郊外に引っ越し、いったん派遣の仕事をやめました。できれば家賃を下げたかったけど、金継ぎの作業場をつくるために部屋を広くしたので、そんなに安くはならなかったですね。でも都心と全然違って、地域や人との距離が近くてすごくいいなと感じました。

派遣会社にはそのまま登録していたので、引っ越し先でも試してみましたが、前以上にシステマティックなところでもっとダメだった。そうするうちに新型コロナウイルスが流行して、世の中の人びとの働き方が変わり始めました。私ももう一回立ち止まって、ギリギリの生活ではあるけれど、金継ぎだけでどこまでどういうふうに暮らしていけるか、試してみようと思いました。

(つづきます→「『勉強中』から、『これは仕事』へのステップ」

※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです
※今回の写真に使用した金継ぎは、私も参加した教室の生徒たちが修繕したもので、山下さんのお仕事ではありません

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