親なら子供の幸せが分かるのか?

子供にできる限りのことをしてあげたいと思う親がほとんどではないだろうか。

母親にとって、子育てにおける選択はとても多い。
何を食べさせるか、何時に寝るかなど日々の暮らしのことに始まり、
習い事やどんな遊びをするか、どんなおもちゃがいいかなど子供が持つ能力を伸ばすための教育的なことなど。

子沢山で食べること・命を生かすだけで必死だった昔と比べて、今は効率化・便利化・快適化が当たり前になり、親が子供に対して、手間暇お金をかけられる余裕がある家庭が少なくないだろう。
その中で、親が子供に対して何を提供するか。しばしば親の悩みとなる。
我が子が大きくなった先々で困らないように、時代に置いていかれないように、ちゃんと食える大人になるように。
親なりに子供の幸せを考えて、世間で、子供の教育に良いとされているものを必死に探し取り入れたり、または良くないと言われるものを避けたり、子供が行く先々でつまずかぬように、とにかく石や穴や障害となりそうなものを避け、歩きやすいように整地することに必死なのが今の親なのではないかと思う。私自身も含めて。
これが親心というものか。

ある時大人の専門家たちによる子供に関するディスカッションの公開講座の動画を見た。
見ていてなんだかモヤモヤを抱えたそのデスカッション。
コメントを読んでいた時に、ドキリとした言葉がある。
「子供界隈の人達はどこか独善的な気がしてしまう」とあったのだ。
独善的。つまり、子供の幸せについての話をしているはずなのに、その考えは偏っていて独りよがりなのだ。

子供界隈の人達は、きっとそのほとんどが子供が好きで、子供のために、子供の幸せのために、と活動されている人がほとんどであろうと思う。
だけど、その人達が話す内容は、その界隈にいない人達から見れば、独善的という印象なのだ。

なぜなのだろうか?と思った。

子供が好きな人であればあるほど、
「我こそ子供のことを誰よりも考えていて、子供のことを誰よりも知っている」
と自負している部分があると思う。
もちろんそうである部分もあると思う。
子供が好きでライフワークにしている人であれば、子供に触れている時間も多いだろう、たくさん勉強もしているだろう、経験も知識もあるだろう。

だけど、子供が何に幸せかを感じるかは、
結局のところ子供自身の中にあるもので、
親であれなんであれ、子供自身の以外の周りの人間には分かりようがないものなのだ。

子供自身の考えも思いも、
子供自身から直接的に明確に
人に伝わる言葉として伝えられない限り
本当のところは実は分からない。
というのが本当なのだ。
幼ければ幼いほど、自らの思いを的確に表出する術を持っていない。
分かることは難しいし、正確にわかるなど不可能に近いことなのだ。

にも関わらず
「子供の幸せってこういうものだよね」
と決めつけて、
大人の独善的な好みで
見せるもの・見せないもの
与えるもの・与えないもの
を決めることは、
子供自身で幸せを見つけ、感じる権利を奪ってしまっているようにも思える。

私達が一人一人の好みや性格、生き方が違うのが当たり前なように、
子供も同じように一人一人違うのだ。
それは同じ屋根の下に暮らす家族でも、自分が腹を痛めて産んだ子供でも、同じことなのだ。

親だから自分の子供の幸せは全て分かっていると考えるのは、とても傲慢なことである。

我が子と言えど、「私」という人間とは全く別の好みや考え方を持つ1人の人間であると、深く自戒しなければならない。

じゃあ、「私」の子育てをする時に
何を選び、何を提供したら良いのか?
正解はなんなのか?
情報や世の中に振り回されて、親が迷ったり悩んだりしていては、
親を通して世の中を見、学ぶ子供は
不確かなものとして世の中を捉えるかもしれない。

だから私が考えるに、それは、先行きわからない未来を、恐れるのではなく、興味を持ち、楽しむこと。楽しむまでは行かなくても、否定をしないこと。
ネガティブな未来になるのか、ポジティブな未来になるのか、詰まるところどんな天才にも確実なものは分からない。
だから、正解も不正解もなく、未確定が真なのだ。
これをしたら安泰だという安易な正解があったら本当に楽だけど、それは無い。

子供自身の幸せは、親ではなく、子供自身が感じ選ぶのだとするなら、
親の好みを押し付けないことだ。
親が物事の表面的なことだけを捉えて、表面的に選り好みをして、悪そうなものについては深く知ろうとせず悪いものとしてレッテルを貼る。
子供は親を通して世の中を見て学ぶ。
親のフィルターを通して、薄っぺらいものにしか触れられずに成長するとしたら、それはどんな子になるのだろう。

親が見据える未来は暗くとも、子供が見つめる未来は明るいのかもしれないのだ。
若い者にはいつだってリスクと可能性が溢れている。明と暗はいつだってセットなのだ。

子供の柔らかい頭で考えた方が、希望や可能性に満ちた未来になる可能性が高い。
未来が先行きが分からなくて不安で…親がそう思うのであれば、子供に対して余計なことを言わない方が良いのだ。

話は逸れたが、親にできることは
未来を恐れず、分かろうとし、考え続けることだ。
大人になると大体、考えることをやめてしまう。不確かだけど可能性溢れる未来よりも、なんとなく生きてこられた過去を継続する方が楽だからだ。新しいものを受け付け辛くなってしまう。つまり保身になってしまいがちなのだ。
そうではなく、考え続ける。目の前に広がるよくわからない新しい未来を、分からないからわからないものとして悪者にするのではなく、まずは正しく知ってみる。知った先にはおそらくネガティブなものとポジティブなものがあるものに気付く。0か100かではないのだ。白か黒かだけではないのだ。物事にはもっとグラデーションがあるのだ。暗闇にしか思えなかったとしても、しっかりと目を凝らしてみたら輝くものが見えることもあるのだ。