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突然の遮断


私の母は巳年だからか…。

怒りの感情が表面化した頃には、目標追尾機構が目標をセットし、射距離・方位角・高低角を自動的に追跡する状態になりほぼエンドレスにエネルギーは補填され相手が動かなくなるまで…と、容赦がありません。


小学校低学年の頃、当時大流行していたファミコン。今で言う、スマホゲームでしょうか…。どハマりしました。

子供にとっては未知数な世界。むしろ感動すらしていて、ゲームをしながらも、なんでボタンを押すだけでこんなに反応するのか…なんてことも考えたりして…。新しい世界を知った喜びで胸がいっぱいでした。


ある時、学校から帰ったらファミコン本体もソフトも無くなっていて…。めちゃくちゃ探しましたが、やはりなくて。不自然にACアダプタだけ残っているのです。それもコンセントに刺さった状態で。


【……まさか…??】


私はゲームを始めてから視力が格段に落ちていきました。2.0あった視力はあっという間に1.0へ。

そう。全ての根元は…と、怒りに震えた母は全て捨ててしまったのです。


ゴミ置き場を見に行きましたがすでに無くて…。


【登校時、ゴミ収集車がゴミを回収してた…】ことを思い出すと泣けてきて…。こちらも怒りの抗議をしましたが、あれだけ言ってたのにいつまでもプレイ時間を守らないからよと言われ…。ぐうの音も出ず完敗…。

帰宅した父がそれを知り、何も捨てることはないだろう?とまさかの夫婦喧嘩に。


…あ、父も巳年です。


その後は視力も回復していき、無いなら無いで…と、ファミコンのない生活に順応していきました。その後、陸上と合奏クラブが忙しくなり忘れていきます。


しかし。大人になった今、今一度…。と思う心があって検索することがしばしば。そして、このタイミングで買おうかと考えるようになりました。


ゲームを否定するのでは無く、それよりも楽しい時間を知っているからこそ、なぜ執着するのかが疑問に。


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互換性のある機器があって、


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当時ハマっていたソフトたちは数百円ほど。片っ端から揃えようと動き始め、ネットのショッピングカートは既にソフトでいっぱいです。


ほんっとうに楽しかったし今でも大好きなんですが…、どーーーしても欲しいか…と問われると、ぃや、さほど…。と思うこの中途半端感は、やはり突然の遮断があったから。な、気がしています。


娘もやはりゲームが好きです。Xbox360が楽しくて、彼女の友達も呼んで家で一緒に遊んでましたが引きずる様子はなく。今はパソコンで建築設計できるゲームに勤しんでいて、Xboxは楽しかった思い出として残っているだけで、もう一度…とはならないようです。


仮に遮断されていなければどうなっていたか…と考えると、やはりここまでの執着はなかったと感じています。


子供の【なんとなく満足】という言葉を間に受けず、子供の興味対象に子供以上に興味を持つと子供は充足感で【本当に満足】という答えを出してくれます。

子供の頃の私は、初めて知った未知数な世界を自分と同じ温度で母に共有して欲しかっただけなんじゃないかな?と思うのです


テレパシーという能力を持ってないからこそ。対話って大事ですよね〜♪






娘がいるカナダにまだ行けていません。ご支援頂けましたら、 カナダで会えたとき、2人の時間がより深まるように...。 大切に使わせていただきます。