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カメタごっこ

5人+1匹(名刺大)


「ママ、助けてきたよ。飼ってもいいよね」
小学5年生になるわが娘、はるちゃんが、いくぶん顔を上気させてキッチンに走り込んできた。
「本当につかまえられたの?」
と、声が裏返ってしまうわたし。
「うん、だってママ、電話で言ったじゃない。いいよって。」
 小学校は夏休み。はるちゃんは公園の池で3人の中学生が騒いでいるのを見かけた。傘の先でかわるがわる何かをつついて遊んでいる。近づくと、小さなミドリガメだった。生き物はいない池なので、捨てられたのだろう。逃げても何度でもつつかれる様子に心を痛め、助けようと決心した。友達から10円借りて、公衆電話からカメを飼ってもよいか聞いてきたのだ。どうせつかまえられないだろうと、わたしは気軽に答えた。
「おうちに連れてきてもいいよ」
そこで中学生がいなくなるまで待ってから、虫取り網を何回も池の中でふりまわした。昆虫用の網は水に弱く、大きな裂け目が出来たがとうとう捕まえた。
「見て、ほらっ」
と、右手に持った名刺くらいの大きさのミドリガメを裏返し、おなか側を見せてきた。わたしは心の中で悲鳴をあげ、固まった笑顔でその場を取りつくろった。こうして小さなミドリガメは家族の一員となった。名前はカメタ。飼い始めるにあたってひとつ約束をした。「最後までちゃんと面倒を見ること」

 我が家は二世帯住宅で、1階にわたしの父と母、2階にわたし達夫婦とはるちゃんが住んでいる。カメタは昼は2階のベランダをお散歩、夜は家の中の水槽で眠る。冬になるとヒーターを入れて水槽を温めた。2階のベランダで後ろ足をあげて日光浴をする姿は、わたしたち2階の家族を和ませた。あくびもすれば、くしゃみもする。夜には、鼻ちょうちんを付けて寝ている。

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 亀の面倒を続けさせるために「カメタごっこ」という遊びを始めた。カメタの立場になりきり、声色も変えて、その場面をレポートするのだ。
「オイシイミズ、ノミタイ」
「サムイカラ、オウチニハイリタイ」
さらに『ミドリガメの飼い方』という本を購入。カメは汚い水は飲まないため、掃除しないと水中にいても脱水になってしまう。
「水を飲んだらフンをするからすぐ汚すのは当たり前」
とすすんで毎日世話をするようになった。 その後、カメタごっこは客観的にその場を表現する方法として日常に溶け込んだ。
「ママハ、コッソリオカシヲタベテイタ」
「あ、、、見ていたの、これから減らします」
笑いとともに行動をなおしたり、ほめたりできるようになった。


4人+1匹(ハガキ大)


 はるちゃんが高校生になった頃、サルモネラ菌騒動があった。ミドリガメはサルモネラ菌を持っているという理由で、捨てられている。親戚からも大丈夫なのか、と意見された。世話をしたあとに必ず手洗いをする我が家では、何も問題は起きなかった。カメタごっこで
「ナニモワルイコトシテナイノニ、ステラレルノ」
という言葉が出て、絶対に捨てないと決めた。亀は官製はがきぐらいの大きさに成長し、相変わらずベランダでの散歩を楽しんでいる。人には慣れないといわれているが、ベランダで洗濯を干して移動する私のあとを追って一緒に歩くまでになった。たまたま家のリフォームで入った職人さんが
「奥さん、 亀がベランダに脱走していますよ」
と血相を変えて知らせに来てくれた。
「あ、散歩しているんです」
と答えた時の拍子抜けした顔、思い出すと今でも笑えてしまう。

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 実父が入院をしてひと月あまりで亡くなった。家族にほとんど面倒をかけずに旅立ち、人に迷惑をかけることを嫌う父らしい最期だった。 残された実母は気落ちしたのか、徐々に歩けなくなった。2年後には要介護3でほぼ寝たきりになってしまった。母はわたし以外の人におむつを替えられることを嫌がり、食べ物の好みもうるさかった。わたしは会社を辞めた。長時間の外出もできなくなった。血がつながった親子だけにことばのやりとりも激しく、わたしは急に白髪が増えていった。


3人+1匹


 
 はるちゃんは大学を卒業して社会人になった。面倒を見るのは休日のみとなり、平日は母である私が担当した。 昼間はベランダを散歩、 夜は部屋の中の水槽というルーチンは変わっていない。

 実母を有料老人ホームに入居させた。介護を続ける私は気分の落ち込みが激しくなり、とうとう夫から「君はおかしい、心療内科に行ってきた方がいい」と言われるまでになったからだ。周辺の老人ホームをリストアップして、良さそうなところをすべて直接訪問した。説明を聞き、ホーム長に会い、施設直属のケアマネージャーと話をした。大事なポイントを表で点数化し、最終的にはお試し入居して決定した。母は
「私はカメと一緒だわ。老人ホームから出られない、カメの方がベランダを散歩できるだけいいね」
と言って出ていった。寝たきりに近かったのに、母の頭はしっかりしていた。もうこの家に戻って来られないことはわかっていたのだ。

 その日の夜遅く(もう少し私が頑張って自宅で介護すれば良かったのでは)とぐるぐると思いつめた。あんなにケンカしたのに、母に申し訳なかった。薄暗い明かりの中、カメタが水槽の中からこちらを見た。
「ヤルダケヤッタジャナイカ」
なぜかカメタごっこの声色で、言葉が口から出てきた。思いっきり泣いた。


2人+1匹(A4用紙)

 はるちゃんは結婚して家を出た。賃貸マンションではペットを飼うことができず、実家で引き続き面倒を見ることとなった。60歳を超えて、カメタの世話がだんだん負担となってきた。カメタは体長30cm近くになっていた。水槽が大きく水が重いのである。カメを外に出す、水を捨てる、水を入れるという一連の動作がスムーズに出来なくなってきた。
 そして、はるちゃんは一児の母となり、夫の海外駐在に伴い国外に行くことになった。このコロナ禍で出国が遅れていたのだ。カメタと一緒に出国することも考えたが、ミドリガメは外来危険種に指定されている。なんと一部地域ではミドリガメの駆除も始まっているのだ。再び日本に帰ってきた時、カメタだけが入れない可能性がある。カメたちにしてみれば勝手に外国から連れてこられて、勝手に捨てられて、迷惑な話である。だからなおさらカメタを守ろうと決めた。環境省のホームページにも「ずっと一緒にいるよ」って書かれている。

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 カメタと暮らして20年がたった。カメは40年くらい生きるらしい。はるちゃんが10歳の時にした「最後まで面倒を見る」のを果たすのは大変だ。相手が人間であっても動物であっても、先を見通す力、経済力、行動力、そして何より思いやりが必要な約束だったのだ。 
 実母に残されている時間も少ない、そしてわたしが自由に動ける時間も少なくなりつつある。わたしは面倒を見る側から、少しずつ面倒を見てもらう側になっていくのだろう。それが年を取るということだ。

 母には、都合の付く限り面会に行くようにしている。カメタは、できる範囲で面倒を見て、その後は娘に託す。もし娘がまだ海外にいるのだとしたら、その時は何か考えよう。自分のためにも母のためにも亀のためにも、もうひとふんばり、ふたふんばり。定年後の夫にも協力願おう。深夜にひとり考える薄暗い部屋で
「ガンバレヨ」
とカメタごっこの言葉が響いた。

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