見出し画像

Facebook(5月4日の投稿)を見てくださった皆様へ

※こちらの文章は、友達限定公開のFBの投稿についての説明ですので、一部の方へのメッセージになります。公開しているのに、すみません。

こちらの投稿、すごくリアクションが多くて、びっくりしています。コメントもですが、メッセージもたくさんの方からいただきました。


まず一番感謝したいことは、こういった炎上しやすい、意見が分かれやすいテーマに対して、勇気を持って(もしくは勇気なんていらないで無邪気に?)コメントを投稿してくださった方々に心から感謝したいです。

この投稿に限らずですが私のジェンダーに関する投稿に対して、コメントを書いてくださる方々は、世の中を良くしたい、人と人との関係性を良くしたい、と心から思ってくださっている方々ばかりだと思います。その中で、立場や年代、生まれ育った環境の違いから、意見が分かれている、というふうに私は思っています。誰も意地悪しようとか、世の中を悪くしようとか、誰かを傷つけようとか思っていないと、信じています。

そういった思いやりのある素晴らしい方々ばかりだからこそ、私はきちんと情報やフィードバックをお伝えしたい、真摯でありたいと思っています。と、前置きが長くなってしまいましたが、たくさんお叱り、絶望のメッセージをいただいた、ということをここで皆さんにもお伝えしたいということです。

いただいたご意見の主なものは下記の通りです。

1.菅原さんの投稿にある価値観のギャップが、コメントで再現されていてカオスですね

一番多かった感想が、「コメントを見てしんどかった」「やっぱ絶望だ」みたいな声です。私も申し訳ないなという思いもありつつ、「でも、それが今の世の中の現実だから」とお伝えしています。


2. ①の意見の人たちにきちんと現実を伝えた方がいい

多様な意見を認める、と言っても、社会的にダメなものはきちんとダメだと伝える責任が菅原さんにはありますよ、とお叱りを数名の方々からいただきました。

時間外と言っても職場の飲み会でマスクをとった顔を初めてみた部下に「かわいい」と言うのは、「いろいろな考え方がある」「正解はない」と認めるのは、無責任過ぎると言われました(厚労省まわりの方からも言われました。感情的というより法令的にダメだよね、ということとちゃんと認識してます)。はい、これはNGです。そう認識していながらそれをはっきり伝えていない私は、優しいのではなく、逆に意地悪ですよね。


3.コメントをしたいが怖くてできない、やっぱり対話は難しい

1.のように感じた方々は、コメントを見てからずーと頭から離れなくって、反論した方がいいか、反論したらどうなるか…ということをたくさん考えてくださっていたようです。
どうして反論コメントを書けないか理解できないという方は、こちらが参考になるかも。スー氏の「マイクロアグレッションへの反応におけるキャッチ22状態」ととても似ています。

https://note.com/atsuko828/n/n5e3eb831b495

それで「怒りマーク」を押すというのはどうかな、という話も出て、怒りマークを押してみました。でも、結構怒りマーク押すのも勇気がいますね、相手はどう思っているんだろうか、と不安になりました(なので、瀬川さん、コメントありがとうございました!)。
「座談会をしましょ!」みたいな声もいただいていますので、SNSではなく、安全な場とルールを作って、顔を合わせて、話し合ってみたいと思います。

4.「クソジジイ」への反応について引き続き考察してほしい

コメントいただいた方の中で「クソジジイと言い方が良くない」といった声が少しですがあったこともとても興味深かったようでした。
お気づきの方々も多いと思いますが、私がたまーに「クソジジイ」みたいな下品な言葉を使うのは、トーンポリシングへのアンチの姿勢からです。
・・・
wikiより→トーンポリシング(Tone Policing)とは、社会的課題について声を上げた相手に対し、主張内容ではなく、相手の話し方、態度、付随する感情を批判することで、論点をずらすこと。 話し方のトーン(Tone)を取り締まる(Policing)という意味から、「話し方警察」等とも訳される。
・・・
いつも優しく上品に(?)ジェンダーの問題を指摘していると、ジェンダー規範に寄り添い過ぎていると思うこともあり、たまーに意図的に悪態をついたり、感情的な投稿をするようにしています。
一方で、今回「クソジジイ」に反応された方々は、トーンポリシングではないような気がしていて、優しさや傷つきやすさ、に近いのはないかな、という気もします。
最近、「傷つきやすいアメリカの大学生たち」という本も話題になりましたが、傷つきやすさって最近のキーワードな気もしています。
上記の本では、Z世代のリベラルな若者たちについて触れられていますが、最近のコラボへの攻撃などをみていると、コラボに反撃された男性たちもすごく傷つきやすいように感じます。
私は基本的には「傷つきやすい」社会っていいと思っています。鈍感で強くてずかずか人のことを攻撃するよりも、敏感で優しくて自らも傷つきやすいというのはとても優しい社会なのでは、と。でも、他者の傷つきには鈍感で自分の傷つきには敏感、というのは一番怖いかも。
すみません、だいぶ話が逸れました。

5. 菅原さんの投稿の効果ってどうなんだろうか?

これは私が考えていかなければならないいちばん大切な問いです。
「意見が分かれるような話題を出して、コメントからいろいろな意見を見える化させているのはとても価値があるが、時々罠のように見えることがある」というご意見。
ジェンダーのことを勉強されていて詳しい人たちの掲示板やコミュニティは他にもあるかもしれません。だけれど、私はそれはあまり興味がなくって。なぜなら、ジェンダーのことに詳しくない人たちが社会を変える鍵を握っていることが多いので、そういった人たちとのやり取りが私にはいちばん貴重なんですね。そうであるならば、やっぱりそう言った方々が学び、変化できるような魅力のある場にしなければならない、と改めて思いました(個人のFBでそんな使命感要らないのではないかとも思いますが、たくさんの方々が関わってくださるので)。そして、ジェンダーのことに詳しい方々にも、温かく見守っていくという協力をいただきたい。「なぜ、マジョリティに対して、温かく見守らなきゃいけないの?」「なぜ、教えて差し上げないといけないの?」と思われるでしょう。本当にその通りですよね、でもそれをしないと社会は変わらないと思っています。
一方で、学びたいという方、自分は人権やジェンダーに無意識でも困らずに生きてこられた、という方には、ぜひ自分の特権について自覚をしながら、その特権を持てなかった方々と今この時代に一緒に生きていることを想像していただきたいです。そう思って、コメントをしていただきたいです。私も含めて、です。
「無知は、全ての人に与えられた平等なスタートライン」という言葉がだいすきです。これからも、一緒に学んでいけたら嬉しいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?