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「ジェンダーとか正直面倒だけど、理解あると思われたい」と言うあなたへ

最近、こんな相談をよく受けるのです。
「ジェンダーって、正直面倒くさいし、うるさく言われるとうざいと思う。
だけど、職場の若い後輩たちや女性社員、娘とかには理解あると思われたい」と。

毎日のように、ジェンダー炎上案件が生まれ、中には何が問題なのかわかりにくいものや、言論統制のように感じられるものもあるでしょう。

それでも、私は思います。
「ジェンダーは学んだ方がいい。そして、ジェンダーに配慮した言動をできるように準備をした方がいい」と。
どうして、そう考えるかをお伝えしたいと思います。

世代ごとに見る、社会課題の捉え方の違い

まず、「理解あると思われたい」と考える方々はとても賢明だと思うのです。
なぜなら、一つ目にこれから社内に入ってくる若い世代の人達はどんどんジェンダーに敏感になってくるから、二つ目に、この傾向は変わらない、というかますます強まってくるだろうから。

だから、残りの人生を、やっぱり他者とコミュニケーションを取りながら、働いたり地域で生きたりしていきたいと思うのであれば、ジェンダーのことは学んでいくのが賢明だと思うのです。

日本経済新聞社Z世代サステナブル意識調査」では、世代ごとに関心のある社会課題を聞いていますが、「人種差別」「飢餓・栄養不足」「ジェンダー不平等」「LGBTQ(性的マイノリティー)差別」が他の世代では見られず、Z世代の特徴といえるとのこと。

ハフポスト日本版と若者世代に政治や社会のニュースを発信する「NO YOUTH NO JAPAN」の「選挙アップデートU30」アンケートでは、政治が積極的に取り組んで欲しい課題の1位がジェンダー平等、2位がコロナ対策で、3位が結婚・出産・子育てがしやすい社会環境の整備であったとのこと。

SHIBUYA109 lab.が20歳前後の男女を対象に行った「若者のSDGsに対する意識」でも、日本がより力を入れて取り組むべき課題と思うものは、やっぱりジェンダー平等。

若い世代に、日本で深刻な課題、取り組むべき課題を尋ねると、ジェンダー平等が上位になる、と言う調査結果はいくらでも出てくるのです。
一方で、年長者の意識はどうなのでしょうか。

朝日新聞社の第8回SDGs認知度調査の結果、「健康と福祉」「貧困をなくす」「海の豊かさ」「安全な水とトイレ」「気候変動」…と数えていくと、14番目です。第7回よりポイントが上がったとありますが、それでも全体の中では順位が低いです。

私が住んでいる北海道の意識調査もご紹介します。
こちらでも、「(コロナが流行したことにより)北海道で取り組むべきSDGsの目標」を聞いていて、ジェンダー平等は15番目となっています。
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/5/1/7/5/8/1/6/_/R03_05_sdgs.pdf

こういった調査結果からも見えるように、年長の世代と、10代・20代とでは、ジェンダーや持続可能性、人権などに関しての価値観が全く異なっており、ジェンダーに関する様々な事案についても見え方が違っているのです。

オレ達の景色と、若者達の景色の、圧倒的な違い

私は、よくこんなふうに説明します。
「一人ひとりの立ち位置が違うから、スタンスが異なり、見えてくる景色が異なってくる」と。

立ち位置:育ってきた環境、これまでしてきた経験。家庭や地域の環境、周りの大人からどんな言葉をかけて育てられてきたか、どんな大人たちの背中を見てきたか、嫌がらせやいじめ、暴力の被害に遭ったことがあるか、などなどの外的要因が一人ひとりの価値観を作ってきます。

見える景色:さまざまな出来事や他者の言動がどう目に映るか、どう心に響くか、が異なってきます。例えば、「夜道を一人で歩く」ということを全く怖くないと思うのか、できれば避けたいと思うのか、何かあったら自分のせいだと身構えてしまうのか…。
「男女平等は実現しているか、どうか」についても、「もうすっかり女性が強くなっているので、男女平等は達成しているよ」「男性の方が逆差別を受けているよ」「うちは妻の方が強くって、僕が言うこと聞くしかないんですよ」という声もあれば、「性暴力の被害者は圧倒的に女性が多い」「小さい頃から、女性という理由いでいろいろなことを諦めてきた」「これだけ賃金差や政治家の男女の人数差があるのを、能力差と言い切れるのか」など、一人ひとり全く異なるわけです。

そういう意味では、昭和→平成→令和と生きてきた大人達の立ち位置と、Z世代と言われる世代の立ち位置は、全く異なってきます。小さい頃からどんな情報に触れてきたのか、どんな教育を受けてきたのか、…全く異なりますよね。
自分たちと、若い世代と、見えている景色が全く違う、というズレを知っておくことが重要だと思うのです。

ズレを知って、微調整すること

ズレがあると知って、その後、どうするか。何か、行動を変えるのか。
私のおすすめは「自分のありたい姿をイメージしておいて、そこに合わせるように意識すること」です。

恥ずかしい話なのですが、私自身、ある属性の人にバイアスがあることに気づく機会がありました。
SNSなどを見ていると、自分が尊敬する人、自分がこうありたいと思ってフォローしている人たちの意見を見ていると、自分とちょっとズレていることにある時気づいたんです(「自分と」ではなくて「自分が」ズレていたんですね)。
自分自身に問いました。
その属性の方々に感じていること、それは本当に正解なのだろうか。
あまり確信がありませんでした、なかなか答えがない問いでした。
ただわかっていることは、私が「こうありたい」と思っているイメージに近い人たちは、私とは少し違うスタンスを示していたということ。
それで、私は自分のありたい姿より少しズレているということを自覚して、何かその属性について考えるときは、微調整をして、思考したり、発信したりするようにしました。具体的には、「とっても◯◯だと思うのだけれど、自分にはバイアスがあるから、もう少しこの部分を差し引いて考えてみよう。」とか「とっても○○だ、という表現ではなくて、◯◯のように自分は感じてしまうという表現に抑えておこう」といった具合です。

だから、あなたがもし「ジェンダーとか本当はよくわかんないし、面倒くさい。だけれど、理解があると思われたい」と考えているなら、あなたの「理解があると思われたい」というありたい姿をイメージして、ズレを微調整することをおすすめしたいんです。

ジェンダー配慮をしなかった場合に起こりうる結果

とりあえず準備をしておくことが大切だと思います。準備をしておいて、その時がきたら、もちろん、それを選ばなくてもいいわけです。
選ばないとどんな結果が起きるかを予想して、起きる結果から、行動を選択すればいいのです。
選ばないとどんな結果が起きるか、ということはたくさんの炎上事例が教えてくれます。

例えば吉野家の「生娘をシャブ漬け」。
もし、あの発言をした役員の方が、自分のズレに気づき、それを微調整することを選んでいたら、あのように発展することはなかったはずです。
ビジネススクールとはいえ、現役大学院生はもちろんだけれど、自分より若い世代の方々が多い授業の場では、「生娘」「シャブ漬け」「男に高い飯を奢ってもらえるようになる」という表現は、当たり前ではないこと、つまり自分の面白いと思う表現とはズレがある、ということを気づけたはずです。
また、自分はそのような表現が面白いという価値観であったとしても、ズレを微調整することで、そうではない講師の顔でマーケティングを語ることもできたはずです。
ズレに気づかず、ありたい姿をイメージしなかったらから微調整することにも至らなかった。その結果が、吉野家からの役員解任であり、早稲田大学からの講師解任でした。

学び続けるために

しかし、このズレに気づくことはなかなか難しいのです。
おそらく吉野家の方も、きっとこれまでは何も咎められずに、来られたのでしょう。この早稲田大学の授業でも、笑いが起きたとのこと。笑いを「ウケた」と捉えて、このまんまでやって行けたかもしれません。だけれど、先ほどお伝えした通り、若い世代を中心に相手側のジェンダーのアンテナが敏感になっているのです。敏感にふざけや嘲笑いを感じ、笑いで済ませずに、違和感をもち、それを表明する人が増えているのです。
そういう意味では、ズレに気付きやすい環境ができてきていることがありがたいのかもしれません。
では、そのズレを感じた後に、どんな行動を取っていくか、それをこのnoteで一緒に考えていけたらいいな、と思います。
私もまだまだ学ばなければならないことが多いので、書きながら、フィードバックをいただきながら、一緒に学んでいきたいと思います。

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