みなさんいつもありがとう。

 フォローしていただいた方々、ありがとうございます。

 僕は肢体不自由の身体障害者です。細かいところはよくわからないのですが、脳性まひのため、動きにくいところがあるのと、喋るのがうまく行かない(サ行とタ行)ことがあります。

 バリアフリーですとか、合理的配慮ですとか、色々考えが進んでいて、日本は障害者にとってとても生きやすい国で、ありがたいことだと思います。

 その上で、障害者であることについて、考えたことをとりとめもなく書きます。

 まず、最近テレビなどでよく見る、「障害は、恥ずかしいことではない。むしろ個性や強みだ」というような論調についてです。障害は恥ずかしいことではないという前半は賛成しますが(賛成しなきゃ生きるのが辛いです)、後半は賛成できません。個性や強みであると見れば見ることはできると思いますが、「できないこと」でしかない障害を、何か良いもののようにして表現するのは、思い上がりを生みかねません。健常者と障害者と関係なく、人間として必要な感謝する気持ちを障害者から無くしてしまう考え方だと思います。

 次に、障害者と健常者の関係です。これは対立するものかもしれないのですが、その対立構造を強調すべきではないと考えています。「障害者の権利を認めてくれない、配慮の足りない、健常者中心の社会」というのは、たぶんあります。たぶんありますが、メディアの人や専門家の先生には、これをことさらに取り上げてほしくありません。理由は、「障害者の権利を認めなくてはいけない」というような同調圧力ができると、配慮されるかもしれないけれど、健常者の皆さんが、僕たちに対して、「同調圧力があるから仕方なく配慮する」世の中になるからです。その結果、コロナ禍のような、世の中が暗くなると、健常者の方々の「仕方なく配慮する」部分の我慢が爆発して障害者差別がよりひどくなる可能性が高いと考えています。そうでなくても、障害者も人間ですから、良い人と悪い人は健常者と同じ割合でいて、中には調子に乗る人がいて、「仕方なく配慮する」健常者の皆さんを、見下す可能性があります。これもよくありません。

 ではどうすれば良いか、について思うことを最後に書きます。僕も忘れがちになる場合もあるのですが、やはり僕たち障害者は、自分ができないことをやってもらっている以上、健常者の人よりもたくさん、感謝の心を持つしかないなあと強く思います。で、周りに感謝するとともに、得意な分野があればそこで活躍して周りのその分野が苦手な人の分までカバーして恩を返すしかないと思います。障害は恥ずかしいことではないけれど、また自分のせいではないけれど、「何かができないこと」ではあると思って、周りの人より多くありがとうの気持ちを持たんといかんなぁと考えます。

 まあでも、それが実行できていないこともあります。「自分の言った綺麗事を実行できていない」という人に共通する駄目なところを持つのが、障害者も健常者と同じ人である証明だったりして(笑)。

 読んでくださった方、ありがとうございました。










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