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なんで英語やろうとしたか 4

シドニーでの3ヶ月のコースを終えてから、わたしはメルボルンの学校に移ったの。

大学付属の英語コースで、クラス分けのテストでは上級クラスに入れました。きっと文法テストのできがよかったからでしょう。
住むところも、以前は学校まかせのホームステイだったけど、こんどは自分から掲示板見てシェアメイトを探すことに成功。
一軒家に、イタリア系のオーナーとオージーの女の子2人と住んでたよ。ここでイタリア語訛りのおっさんと話すことで、あんまり緊張しないで英語を話せるようになったんだ。
が、ここでもやはり、クラスメイトの半数以上が日本人!しかもキャピキャピの女子だらけで、彼女らにはけっこうイライラしてたなあ。
できるだけスイス人の女の子と同年代の日本人の子と3人でいるようにして、英語を話そうと努力した記憶。
クラスが変わっても、初めてあった日本人に「Where are you from?」と聞かれて「I am from Japan!」と答えて英語で会話続けたりする、ちょっとイヤなやつだったかもしれません。とにかくそういうキャラで押し通したのです。

他によくやってたのは、『Dolly』というティーン女子向けの雑誌を買って、特にお悩み相談室のコーナーを読んでは文章を写しては覚えていたよ。美容や恋愛に関するボキャブラリーは、ここで増えた。「ニキビがひどいです。」「彼がコンドームを使ってくれません。」「親がキライです。」などなど、どこの国でも若者の悩みはおんなじみたいで。使えそうなセンテンスの宝庫でした。
あとはね、ジャパニーズクラブっていうのがあって、日本語を学ぶ大学生たちとの交流ができた。こちらでも日本語教える代わりに、生きた英語表現をたくさん教えてもらってて、それらをメモった手帳は今も宝物さ。
のちにフラットをシェアするゲイのDavidとも、そこで出会ったのでした。

英語コースは居心地がよくて、その後ビジネスクラス、アカデミークラス(進学クラス)とダラダラと2年もいてしまいました。
エッセイ書いたりIELTSやケンブリッジ英検を受験したりもしたんだけど、何しろ勉強がキライで進学しようなんて思わなかったんだよねえ。
今思えば、もっと真剣にアカデミックな学習を極めればよかったのかも。
結局、途中からカラオケスナックのバイトにのめり込んで、学校サボるようになるんですから。

ま、いろいろあったのですが、とりあえず、こうして生きた英語を身につけていけたので、わたしの留学はまあ役にたったかなと思うことにしてる。
あとは、日本帰ってらその経験をどう活かすかってことが大事になるんだけどね。
あまり参考にならなくてすまんです。

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