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大学院生、自動車免許を取る

車が嫌いだとか、運転できない持病があるとかではない。ただ自らの不器用さに対する不信感と、公共交通機関が網のように張られている東京近辺の環境から絶対に出てやらないという強い覚悟の表れであった。

などと言っているが、それらは嘘では無いにせよ、やはり私の怠惰の表れなのかもしれない。
ついぞ学部生のうちに免許を取ることは無かった。

しかし、その間にも人間の老いは進む。避けられぬ事象であり、いつかはぶちあたる問題、親の老化。親の運転する車が、右に意識を取られ左方のトラックに異常に接近した。
「このままではまずい」
私は一転して自動車学校に通った。

通い始めた時期柄、やはりみんな大学入学後の若人ばかりの中で自分は浮いている気がした。
それに比べ夕方以降の学科教習は、見るからに社会人という容貌の人間が多くて何だか安心感があった。

技能でイヤな教官に当たったこともあった。
教官「あ~(ここで助手席ブレーキを踏む)違う違う。何で分からないかな(呆笑)自分でやってておかしいって感じない?」「○○教官はそう教えたかもしれないけど~」「そんなにゆっくり走りたいなら××教官で教わればいいじゃない。あの人ならそれでいいよ?」


しかしそんな教官の中でも良い教官に出会えたことは心の支えになった。感情的になること無く何が間違っているかを端的に説明してくれた。私が大学院生で、ディレッタントな人間であることを知ると古地図や日本史、そして旅と酒を愛する教官とは話が弾み、路上教習は車内ブラタモリにもなった。


教官ごとに違う指導内容や多忙、自らのセンスの無さから時折億劫になりながら、最後は駆け足で何とか期間内に指定自動車学校卒業を終えることができた。(油断していると本当に間に合わない)

そのあたりでAmazonミュージックでドライブ用のプレイリストを作ったりしたぐらい気持ちは前向きになった。


大学院のレポート課題を処理し徹夜明けで迎えた学科試験当日。

来る二俣川免許センター。二俣川駅の雰囲気は町田と大船を足して3で割ったようなテイストだった。

ふてぶてしい試験官の警察官にムッとしながら合格をもぎ取り(点数を見忘れたことを悔やむ)、交通安全協会の入会用紙は入る必要性が無いことを予習済みなのでスルーし、晴れて免許証が交付された。
徹夜明けの酷い顔写真だが、そんなことがどうでもいいと思えるほどに自動車免許の取得の感激もひとしおだった。



祝杯をあげたい 酒税を払って国のために役立ちたい気分だったが免許センター内を回って食堂にはもちろんコンビニにも酒が無かった。


明日からは少しだけデカい顔して生きていけると思う。なぜならぼくは自動車免許を持っているから。

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