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文学少女とエロス

TBSラジオ『ジェーン・スー生活は踊る』の相談コーナー、「相談は踊る」が好きで、ときどき追っかけ再生している。

今日の人生相談。21歳の娘さんのお悩みに、つい自分のことを思い出す。
わたしは父の薬はたまたま見つけたことはないが、団鬼六作品ならたくさん見つけたし、読んだ。文学少年少女ならわかってくれると思うが、活字があれば何でも読みたい人間なのだ。だから訳もわからず見つけた小説を読んだ。牛乳パックの成分表・工場の住所、商品コンセプト、新聞、広告、団鬼六。

団鬼六が特別だったわけではない。五歳で読んだグリム童話の隠しきれないしっとりした感じにおや?と思ったし、九歳のころに公園に落ちていたエロ本(学童保育所の仲間がなんやこれーって騒いでいたから一緒になって読んだ)の今まで読んだことの無い文章になにこれ珍しい!と思ったことを覚えている。それがエロいとかドキドキするとかそういう感情よりも先に、なんかめずらしい感覚の文章だぞ、そういうことが子どもアンテナに引っかかった。

子どもが文学好きに育ってしまったら、親は覚悟しなければならない。性描写のある小説は鍵のかかった棚にしまわなければならないし、子育て本だってそういう子どもは読む。なるほど共働きの親の覚悟や準備とはそういうものなのか、と十歳はふむふむ頷いてしまう。

それが身に付く・身につかないではないよね。ただそこに文章があって、ただ読みたい。水を飲みたい人の前に水差しがある、それだけ。

成長してハイティーンになって村上春樹を読む。面白かった、と親に勧める。親はびっくりする。こういうの、読んでるの?こういうの、わかるの?と。

わかるわからない、で言ったら文字認識としてはわかるだけなんだけど、それをどう表せばいいのかわからないから「わかる」と言ってしまったときの親の顔。

子ども時代にいろんな本を読んだけど、成長してから別に団鬼六に特別な想いは持たなかったし、結局好きな物語は子ども時代の低い目線で見た世界のことだ。
でも、あの時読んだ縄で縛られている女のひとのことや、シャワーカーテンがしたたっているような描写。それはそれで別の引き出しに大切にしまってある。隠微というより、めずらしいものコレクション、という感じで。

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