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OL写真論

学生時代より、なんだかお酒を飲む頻度が増えた気がする。会社の人と飲むお酒もそうだし、自分1人で飲むお酒の量も増えた。夜更かしをあまりしなくなった。次の日の活動に責任を持たなければならなくなったから。ビジネス書を読むようになった。ビジネスの世界で生きていくにはあまりにもビジネス的な考え方や知識が足りないから。カバンを、リュックサックから牛革の鞄に変えた。「別にリュックでもいいよ」と上司は言ってくれているけど、あんなに身嗜みに気を使っていなかった私が「さすがにいつまでもリュックてワケにはなあ…」と思うくらい、自分は「見られている」自覚を持たざるをえなくなった。

なんだか、とるに足らないことばかりかもしれないけれど、少しずつ大人になっていく私。こうやってちょっとずつ変わっていく自分を受け入れながらこれからも「学生」を卒業していくんだろう。変化した環境に少しずつ慣れていく中で、変わらないどころか、少しずつ育っていく感情がある。

「写真が好きだ」

写真が好きで好きで、どうしても諦めきれなくて、今の会社を選んだ。会社の同期に写真の話をしている時、「あづあづ、いつもヘラヘラしてるのに写真の話をするときは目の色が変わるんだね」と言われる。「写真を仕事にしなくても趣味で撮り続ければいいじゃん」とよく言われるけども、私が一生懸命写真の事を話している姿を見れば、その助言がおそらく無駄だということにみんなが気づくだろう。それで納得できていれば、ここまでトチ狂って東京になんて出てくる必要はなかったのだ。(私はもともと高松が好きで、東京で就職しようなんて気はさらさらなかったからね!)胃腸炎になったり、コロナで入院したり、良からぬ勧誘を受けたり、吐きそうになりながらカレーを食べたり、紆余曲折を経た就活を実らせた上で、今の会社に落ち着いた。写真やカメラを扱う会社です。だからこそ、いろんな人の写真やカメラに対する考え方に触れることができるし、何なら写真の事を考えることが私の仕事の一部と言っても過言ではない。カメラや写真に直接触れる機会はフォトグラファーやデザイナーよりかは遥かに少ないけれど、そうやって自身の写真に対する考えに刺激をもらえる環境自体を何より幸せに思っている。

それでも、少しモヤモヤすることはある。


「中途半端だよな」

「カメラマンになればよかったのに」と言われたときに、「君は夢を諦めてサラリーマンになったんだね」と言われているような気がすることもある。決してそんなことはない。あの時の私は写真とうまく付き合っていけるいろんな道を考慮して今の道を選んだ。学生からそのままカメラマンを名乗っても、しばらくはやっていけたのかもしれない。だって名乗るのは自由だから。けれど、何より足りなかったのは自信。独学で、学校も出てなければ何者でもない自分がカメラマンとして仕事をもらっていけるような気がしなかったのだ。自分のした仕事に自信が持てなければ、責任も取れないような気がした。とにかく、すぐカメラマンになってもうまくいかないような気がした。多分、私も人の言葉の裏をいちいち読みすぎる節があるから、「中途半端なんだよ。君は」って本当の意味で言ってる人はそんなに多くないと思う。でも、何より自分自身が私に対してそう思っているんだろう。

けれど、自分自身に「中途半端だ」とレッテルを貼るきっかけになっている「写真が好きな私」は、これまで何度も「OLの私」を助けてくれた。「写真が好きです」ということで、何度誰かとのコミュニケーションを助けてくれただろうか。写真に対する気持ちが、今の仕事へのモチベーションを保っていてくれることは間違いない。中途半端だと切り捨てるには、あまりにもOLの私の一部になりすぎているのだ。

それに、きっと今OLとして受けている刺激は、私の写真に少しずつ影響を与えている。写真を撮る時間は制約を受けてしまっているけれど、その分一枚一枚を大事にしている気がする。そして。写真撮る時の自分がより好きになった。何かを撮ろうとする時、人の目を気にしがちな私だけど、撮ろうとしている物以外は見えなくなって、生きてる世界から少し離れたように世間の音も遠ざかる。何も気にせず没頭できる時間を知っている。それだけで、私を私たらしめてくれているような気持ちになる。

きっと、世界を感じる軸が明確に2つになった。「OLの私」「写真が好きな私」。両軸で世界を感じてくれるからこそ、今までとはなんだか違う写真を撮るようになった。きっとこれからもたくさん写真に関して問いが増えていくだろう。そんな自分を少しずつほどいて言ってあげたいな、そんな話。




コジキなので恵んでください。