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「安心と正常は800円で買える」、未来の自分へかける保険としての備忘録

『いっそこの踏切の中で立ち止まってしまえたらどんなに楽だろうか』

近所で最も人身事故が多いとされる踏切の中にぼんやりと佇んでいた9月の半ば。ドラマや小説に出てくる『このまま死んでしまった方がマシだ』なんて感情、あれって本当に抱くもんなんだ、と変な視点から自分のことを俯瞰視できたことを今でもなんとなく覚えている。日が傾きかけた頃に家を出たはずなのに、気づけばもう日は沈んでいた。じんわりとした暑さがまだ空気の中に残っていて不快だけど、ひんやりとした風が心地よさを誘うがために外に散歩に出たくなる季節だった。

踏切が赤いランプの点滅と一緒に喚きだす。『ここから出なきゃ』、頭ではわかっているはずなのに足が動かない。頭は回っていても、踏切の中から出ようとする理性は、足を動かしてくれなかった。『もう、現実をみたくない』。そんな感情が足を伝って線路の下まで根を張り巡らせているようだった。この時、理性は完全に感情に敗北し切っていた。『そろそろ動かないと周りに変に思われてしまう』そう思っていた時に通りすがりのおじいさんが自転車のベルを鳴らした。私に対して鳴らしたのか、他の通行人に対して鳴らしたのかはよくわからない。けれども、ちりんちりんと間の抜けた音が、あの瞬間の私をよく分からない不明瞭な思考の世界から引き戻したことだけは確かだった。

ふと我に帰って踏切から小走りで抜け出す。

『何してんだろう』

ふと我にかえって一番に抱いた感情だった。涙が溢れる、気持ちが溢れる、と言ったようなそれこそ映画や小説のようなを激しい感情を抱くことはなかった。悲劇のヒロインになり切っていたわけでもなければ、ドラマティックな空想に耽っていたわけでもない。映画やドラマの中のような強い絶望を抱いているのにも関わらず、運命的な何かや自分の行動を変化させるドラマティックな事件や出来事は起こらない。ただただ、そんな運命の中で、変わらず明日もボロボロになった自分と一緒に生きていかなければならないことを強く感じただけだった。絶望というよりも、ただ目の前に無常に存在する事実に気づいてしまった、という表現が近いような気がする。

真っ暗になった夜道を歩いて家に向かってゆらりと歩く。誰の連絡にも応答することができない。この日、私はインターン先に出勤することができなかった。いつもどおりに起きて、いつもどおりに支度を済ませて、いつもどおりに自転車を所定の位置においた。いつもどおりにいかなかったのは、自転車から降りて、インターン先に出勤するという行為だけだった。





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