50万円の枕を売ったら、性的対象になる恐怖を知った話
「いっぺん、寝てみいや」
野村さんはそう言うと、応接間の襖を開けた。応接間の奥は寝室になっており、そこにはなぜか一組の布団が敷かれていた。
ぼくは一瞬言葉を失い、野村さんを見つめたが、その目からは冗談なのか本気なのか、本心を読み取ることはできなかった。
ぼくは23歳の春に、望まぬ人から性的対象として見られる恐怖を初めて知りました。
男性は、望まぬ人から性的対象として見られるという経験をなかなかすることができないかと思うのですが、ぼくは幸い(?)それに近しい経験をすることができたのです。
本当に恐ろしい経験をされた方とは比べ物にならないようなお話ではありますが、この時の経験が女性との距離感を考える際にとても役立っており、今では妻との関係においても役立っています。
今日はそのことについて書いてみたいと思います。
50万円の枕を売る
呉服屋で働いていた時、関西から引っ越してきたばかりの野村さん(仮名)というお客さんと知り合いました。
野村さんは60代の女性で夫と二人暮らし。子どもはおらず悠々自適な暮らしをしており、10年ほど前から着物にハマり、関西に住んでいた頃にいくつかの着物を買ったとのことで、訪問した際にコレクションを見せてもらいました。
まだ経済的な余裕は残っているため、呉服屋から見た場合、太客(大きな金額を落としてくれるお客様)となる可能性が高い方です。
ぼくは熱心に手紙を送り、電話をかけ、自宅への訪問を繰り返し、京都での催事(販売会)になんとか誘うことに成功しました。
しかし、催事では「もう着物はいっぱい持ってる」と言い、なかなか買っていただけませんでした。
販売援助をしてくれた呉服作家さんも「あの人はしぶいわ・・・着物は売れんかもな」と言うほど野村さんのガードは硬く、なかなか呉服を買うモードにはなってくれませんでした。
途中で販売ヘルプに入ってくれていた女性販売員さんも、「あの人はあんただけの方がいいわ。あたしは抜けるわ」と言い、ぼくらは2人だけで呉服コーナーから珊瑚コーナーへと移動しました。
当時の呉服の催事では、呉服が売れなかった場合のために珊瑚コーナーが設けられており、珊瑚の雑貨(アクセサリーや小さな仏像など)を扱っていたのです。
珊瑚コーナーでも商品が売れなかった場合のために、最後の最後に寝具コーナーが設けられています。
呉服販売でお客様から商品を断られる言葉で一番多いものは「使わないから要らない」です。ですが、寝具を使わない人はいないですから、寝具コーナーは「必要ない」という言い訳ができないコーナーです。
あとは販売員との信頼関係次第で、売れるか売れないかが決まるのです。
結局、野村さんとぼくは寝具コーナーに流れ着き、ここでぼくが最後のクロージングをすることになりました。
寝具コーナーでは、チベットにある山でしか育たないという「幻の麻」を使った枕の実演会がその場で行われていました。
その幻の麻には、二酸化炭素を吸う効果があり、安眠効果もあるということで、実演会はビニール袋の中にその「幻の麻」を入れ、二酸化炭素濃度を測るという内容でした。
その枕のお値段は50万円。
(あ、怪しい・・・)
販売員のぼくですら疑念を抱くような商品だったのですが、「最近、寝れへんし、あんたに悪いからこれ買うわ」と、野村さんは幻の麻でできた枕を買ってくれたのです。
「あんたがこの店で一位になるためにボトルいれるわ」と言われるホストはこんな気持ちなのかと若干複雑な気持ちになりながらも、ノルマを達成できた安心感をぼくは感じていました。
「あんた、いっぺん寝てみいや」
それから1ヶ月後、また別な催事のお誘いのため、ぼくは野村さん宅を訪れました。
呉服屋では毎月なにがしらの販売会が行われており、2ヶ月連続で高額商品を買われる方はそうそういらっしゃいないのですが、先月の枕のお礼も兼ねて訪問することにしました。
「今日は旦那がおらんから、ゆっくりしてき」
そう言って、野村さんはぼくを応接間に上げてくれました。
今までは玄関でしか話をしたことがなかったので、家の中に入るのはこれが初めてです。
買っていただいた枕の感想を尋ねると「あー、ええわ、よー寝れるようになったわ」と、野村さんはおっしゃり、おもむろに襖に手をかけると
「あんたも、いっぺん寝てみいや」
と言い、襖をスッと開けたのです。
応接間の奥は寝室になっており、薄暗い部屋に布団が一組敷かれていました。
「自分が売ったもんやからな。自分で確かめなあかんやろ。いっぺん寝てみい」
(どうしよう・・・)と一瞬悩んだのですが、50万円もする商品を買っていただいたのでここで断るわけにもいかず、今後の付き合いも考えたぼくは意を決して布団に横たわりました。
「ああー!いいですね!柔らかいですね!はい!ありがとうございました!」
体を強張らせながら布団に横たわったぼくは、すぐに起き上がろうとしました。
ですが、起き上がることができません。
布団に横になったぼくに野村さんがまたがり、顔を近づけてきたのです。
そのまま顔を近づけられ、その距離は30cm、20cm、10cmと徐々に近づいてきます。
ぼくらの顔の距離が10cmほどのところで野村さんは止まり、永遠とも思えるような沈黙の後に、こう言いました。
「あんたぁ、今襲われると思うたやろ」
野村さんはそう言うと、カラカラと笑い応接間へと戻って行きました。
緊張の糸が切れどっと疲れたぼくは、その後、野村さんとなにを話したのかまったく記憶がありません。
ただ覚えているのは、野村さんの顔が徐々に近づいてきた時の恐怖感です。
どこにも逃げられず、これからどうなるのかという不安と恐怖。
野村さんとしては、ただからかっただけだったのかもしれませんが、ぼくはその時に初めて性的対象になる人間の気持ちを知りました。
性的対象になる恐怖と女性との距離感
それ以降、ぼくは女性との距離感についてたびたび考えるようになりました。
呉服屋のお客様は99%が女性です。
この人と自分との距離感は適切なのか?
もっと縮めた方がいいのか?
それとも一度引いた方がいいのか?
相手はこちらを好意的に受け止めてくれているのか?
それとも嫌悪感を感じているのか?
どこまでの距離感なら、この人は受け止めてくれるのか?
そして、この人はどこまでの距離感を望んでいるのか?
そんなことを考えるようになりました。
人によってこちらに望む距離感はバラバラですので、それらに合わせて個別に距離感を縮めたり広げる必要がありました。
枕営業、じゃなくて枕事件以降、ぼくは以前よりもちょっとだけ女性との距離感を縮めることができるようになった気がします。
ですが、これが夫婦関係になるとなかなか難しく、ついつい相手に甘えてしまったり、相手の気持ちを無視したりして、距離感を意識することを怠ってしまうんですよね。
妻としては距離を縮めて欲しい(気持ちに寄り添って欲しい)ところで、素っ気ない言葉をかけてしまったり、距離をあけて欲しいときに無理に距離を縮めようとしたり。
これは「自分が同じような対応をされたらどう思うか?」という想像力の問題であり、そして人によってものの捉え方は違いますので、「妻がどう思うか?」という視点での想像力の問題でもあるのかもしれません。
自分の感情や欲望だけで、相手との距離感を縮めようとしていないか?
その距離感を縮める行為や目的は相手のためになっているのか?相手が望む方法を取っているのか?
そんな考え方が妻に対しても必要なのかもしれないなって、思うのです。
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