夫婦がお互いを頼ることは依存なのか?情緒的飢餓からいい意味での依存関係へ
妻から冷たい対応を取られたとき、からだの中の組織が少しづつ壊死していくような感覚を感じたことがある。
それは、ゆっくりとした死のようなものだった。
誰もいない荒涼とした大地、生物の気配をまったく感じられない、恐ろしいほど広大で静かな砂漠に、たった一人で放り込まれたような感覚だった。
ギクシャクとした関係が長引くほど、その感覚も続いていった。
そのときは、その感覚の正体がわからずなんとなくやり過ごしたけれど、こないだある心理学者の本を読んでいてやっとその正体が分かった。
それは、「情緒的飢餓」と呼ばれるものだった。
「飢餓」というと大げさに聞こえるかもしれないけれど、人にとって「愛情」もまた、食料と同じように生きていくために必要不可欠な要素なのだとぼくも思う。
今日は、夫婦にとってなぜ「支え合うこと」や「相手にいい意味で依存し合う」ことが大切なのかについて書こうと思います。
夫婦関係に悩む方の参考に少しでもなれば幸いです。
情緒的飢餓とはなんなのか?
愛着心理療法を開発した心理学者スー・ジョンソンの著作「私をギュッと抱きしめて」の中にこんな表現があります。
いまでは、愛は進化の頂点であり、人類にとって切実な生存のメカニズムであることがわかっている。だが、それは愛が交尾や繁殖を促すからではない。愛がなくても交尾はできる。愛が生存のメカニズムであるのは、それが少数の大切な人たちとの「絆」を育むからだ。
少数の大切な人たちとの「絆」を育むこと、これがなぜ「愛の生存のメカニズム」であるかというと、現代人って孤独がデフォルトなんですよね。
自分が生まれ育った地域から一歩も出ずに、その土地で結婚して、子どもを産んで、死んでいくような生活スタイルはどんどん減っていると思うんですね。
ぼくも、18歳で地元を飛び出して、11回の引っ越しをしながら暮らしてきました。
新卒で働いた呉服屋は、地元の方たちとの心理的な距離が近くて、地元社員のお母さんのような先輩や、お客さまたちからご飯を食べさせてもらったり、健康を気にかけてもらったり、まるで小さな村の住人になったような感覚でした。
ぼくがタッパーに「白飯と目玉焼きと豚肉を適当に炒めたもの」を詰め込んだ超適当なお弁当をお昼に食べていると、
「あんた!これも食べんさい!」
と、ぼくの母親よりもちょっと年上の女性先輩たちが、自家製の漬物やらなんやらをぼくのお弁当に詰め込んできたのをよく覚えています。
正直しょっぱすぎて食べられないものをありましたが、そういう心遣いがめちゃくちゃ嬉しかったのこともよく覚えているんですよね。
看護師だったあるお客さまは、電話越しのぼくの声から具合が悪いことを見抜いて、「あんた、うちの病院に来んさい!」と病院に連れ込まれ、ほぼ無理やり看病をされたこともありました。
その後、会社が倒産して都会に出たのですが、そこは今まで住んでいた山間の町に比べるとあまりにも複雑で騒々しく、人々はそっけなく、ぼくの人生の中でもっとも孤独な時期でした。
都会で暮らして1年ほどたった春のある日のこと、アパートの近くの橋から桜の花が見えたんですね。
その日、ちょうど桜が満開で、薄紅色の花びらがひらひらと川面に落ちては流されていました。
それを見ながら(もう、死のう)と思ったんです。
それは心の中にストンと、あたりまえのように落ちてきた気持ちでした。
なにもおかしなことはなく、りんごが木から落ちるように、桜の花びらが川面に落ちるように、ぼくにとっては疑う余地のないあたりまえの結論だったんです。
次にぼくがやることは死ぬことなんだなと、心の内側から自然と出てきたんです。
でも、次の瞬間、死ぬことをこんなに簡単に望むなんておかしいと気がついたぼくは、その場で母に電話しました。
「実家に戻ってもいいかな?」
そう母に伝えると、母は何かを察したのか二つ返事で快諾してくれて、週末のうちにぼくは地元へと引っ越したのでした。
ぼくの情緒や愛着が飢餓状態になっていたのだと思います。
お互いの愛着欲求を認めたときに、ぼくらの夫婦関係は緩やかに改善した
実家で愛着を満たして元気になったぼくは、数ヶ月後に妻と出会い結婚しました。
ラブラブだった新婚期間が過ぎ、子どもが生まれ、ぼくらの生活環境がどんどん離れていった頃、冒頭のようにぼくらの関係はギクシャクし始めたんです。
それは、ぼくが子どものケアは考えていたけれど、妻のケアを怠っていたことが原因だと思います。
でも、それ以上に、ぼくら二人がお互いに相手へのヘルプのサインをうまく出せていなかったことや、その微弱なヘルプのサインを受け止める余裕がなかったこと、そしてお互いに相手や自分自身への「情緒」や「愛着」に対して真剣に向き合っていなかったことも、不仲の大きな原因だったと思うんです。
相手も頑張っているんだから自分もがんばんなきゃ
これくらいできて当然、できない自分がおかしい
大変な状況の妻(夫)に頼るのは無理だから、自分ひとりでなんとかしよう
だから、あなたもしっかりしなさいよ
という感覚だったんだと思うんです。
子育てを手伝ってくれるおばちゃんたちがいない微弱な地域コミュニティ
自分一人でやらないといけないという使命感
子どものために金を稼がねばという仕事のストレス
TwitterなどのSNSで日々刺激される劣等感。
これらすべてが、情緒的飢餓を呼びこす材料になっていたんだと思うんです。
そして、その飢餓状態を癒すことができる唯一のものが「愛着」だったんです。
ぼくにとっては妻の「愛着」であり、妻にとってはぼくの「愛着」でした。
妻が愛着を求めていること、ぼくも妻の愛着を求めていること。
それをお互いに理解し、お互いに欠けているその溝を埋めていこう、お互いにいい意味で依存していこうと思った時に、やっとぼくらは飢餓を克服することができたんだと思います。
そして、ぼくらはお互いに足りないものを補い合い、いい意味で相手に頼る生活を始めたことで、毎日を乗り切ることが楽になったなとも感じるんです。
精神的にも強くなり、自己肯定感が高まったような気さえしています。
死につながる愛着不足
愛情不足が死につながるのか疑問に思う人もいるかもですが、1930年代から1940年代のアメリカの乳児院では、スキンシップや情緒的飢餓を与えられなかった多くの孤児たちが亡くなっているんです。
これは第二次世界大戦後の戦争孤児たちも同じ状況だったようで、スキンシップや愛情を与えられなかった多くの乳幼児が「愛情不足」が原因で亡くなったと言われています。
これって、子どもだけの話じゃないんですよね。
パートナーとの関係が悪い男性は心臓発作の確率が2倍に上がるし、女性も夫との関係が悪いと、心臓発作の再発の危険性が3倍に上がると言われていて、夫婦関係は健康被害に大きく影響するそうなんですね。
夫婦関係の悩みはホルモンや免疫系、さらには外傷からの回復力にさえも悪影響を及ぼす。
体にできた傷の回復力に影響したり
愛する人との諍いやその人からの敵意に満ちた非難は自信喪失や無力感につながり、うつ病の引き金となる。
わたしたちは愛する人に認めてもらう必要があるのだ。夫婦関係の悩みはうつ病のリスクを10倍高めると研究者たちは言う。
出典:「私をギュッと抱きしめて」
うつ病のリスクを高めることにもつながると言われています。
抱きしめられたり、背中を撫でたりすることでモルヒネに似ているエンドルフィンという神経伝達物質が分泌され、精神的な痛みや物質的な痛みが和らぐだけではなく、免疫機能も改善されるそうです。
ラトガーズ大学のディパク・サルカールは、このエンドルフィンが身体のナチュラルキラー(NK)細胞を活性化することを突き止めた。NK細胞とは白血球の細胞の一つで、病気の原因となるバクテリアやウィルスを探して破壊する、免疫システムの突撃隊だ。
出典:なぜ私たちは友だちをつくるのか 進化心理学から考える人類にとって一番重要な関係
大人なんだから、父親なんだから、母親なんだからと、パートナーが発しているヘルプのサインを無視するのではなく、それは「情緒的飢餓」のサインであり、場合によっては死につながることでもあるんだと気がつくことが大事なんだと思うんです。
育児うつで亡くなってしまった方も、仕事のストレスで自ら命を落としてしまった方も、「情緒」が飢餓状態になっていたんじゃないのかなって思うんです。
そして、子どもに優しくないこの国で(特に都会で)子育てをすること自体が、情緒的飢餓を引き起こしやすいんだろうなと思うんです。
だからこそ、ぼくらはパートナーの「情緒」や「愛着」のメンテナンスを大切にしないといけないんだろうなって、3人の子どもたちを育てていると特に思うんです。
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