【雑感】9月入学の議論のための視点の持ち方
「できない理由ばかりを並べてる」「解決案を出すのが仕事だろ」
賛否の分かれている「9月入学」案について、日本教育学会からの声明が出されました。それが紹介された記事に対して、このようなコメントをする人をTwitterでかなり見かけました。
記事の中では「9月入学」案の代替案も紹介されており、上記のような批判の趣旨をわたしは十分に理解できません。
ただ、それ以上に「できない理由を探してる」のはおかしいといった発想自体が気になります。この意見は、場合によっては「やる気がないだけ」といった情意面の問題に発展して議論されている場合もありますが、あまりにも結論を急ぎすぎた意見ではないでしょうか。
わたしは、これらの短絡的な議論が議題の本質を見誤ることにつながりかねないと感じています。今回は「9月入学」案について、どういう視点で読み解いていくべきかについて考えてみたいと思います。
(推敲していないので、読みづらかったらすいません)
対策を考える上での3つの視点
一般に、何らかの対策(ここでは「対策A」とします)を行うべきかを判断するためには、次の3つの視点が必要だと考えられます。
①「現状のデメリット」を「対策Aのメリット」によって解決できるか
②「対策Aのメリット」と「対策Aのデメリット」を比較したときに「対策Aのメリット」の方が大きいと言えるか
③「対策A」が実行可能か
ここで「9月入学」案について、具体的に考えていくために簡単な図を作成しました。様々なリスクが関わってくる問題は「現状ー対策」と「メリット(ベネフィット)ーデメリット(リスク)」の2つの軸から全容を把握していくことが重要ではないかと考え、それに準じています。
今回は、議論に必要な「現状のデメリット」「9月入学のメリット」「9月入学のデメリット」の中から代表的なものを書き出しています。多くの論点が主張されていますが、その中から一部を選びました。
繰り返しになりますが、あくまで一例に過ぎません。実際にはもっと多くのことを考える必要があります。
①「現状のデメリット」を「対策Aのメリット」によって解決できるか
対策を行うかどうかを決める上では、まずその対策に効果があるということを示す必要があります。効果がないものを思い込みで進めるのは資源のムダ遣いです。
たとえば、現状のデメリットの一つに「休校中の子の授業時間が確保できない」という問題があります。これは9月入学の導入によって物理的に時間を増やすことができるので、解決できる問題であると考えられます。
では、オンライン授業の導入をめぐって指摘されている「教育格差」の問題はどうでしょうか。これは「9月入学」によって解決することは難しいと考えられます。なぜなら、もし9月まで学習を保障しなければその間に差が開いてしまい、9月以降は同じように授業を受ける以上、差が縮まることはないと考えられるからです。
留学に関しての議論が盛んなので、この点についても考察しておきます。まず、「学年暦が海外の標準とズレている」というデメリットは9月入学によって解消されます。しかし「留学しない学生が多い」という問題は、留学しない理由について費用や語学を挙げる者が多いことを考えれば、「9月入学」によって解消できる問題ではないでしょう。
さらに、留学の議論は「国際競争」の議論とも通じると思いますが、いま行われようとしている9月入学は入学を遅らせる案であるため、義務教育の開始が先進国トップの遅さになると指摘されています。これは、国際競争という観点から見れば大きなマイナスでしょう。
以上をまとめると、ここで挙げた論点のみに限定すれば、9月入学という案は”表面的な”解決(授業時間の機会均等・学年暦の統一)にはつながる可能性が高いですが、より大きな目標(教育格差の是正・留学の促進)の達成には役に立たない可能性が考えられます。
②「対策Aのメリット」と「対策Aのデメリット」を比較したときに「対策Aのメリット」の方が大きいと言えるか
次に、9月入学のメリットとデメリットを天秤にかけるという作業が重要です。何らかの薬を服用するときにも「副作用」が大きくて「主作用」が小さい薬を選ぶ人はいないでしょう。同じように「デメリット」が大きく「メリット」が小さい対策なら、選ばない方がマシとなってしまいます。
①の話題とも関連づけて、いくつかの論点から比べていきたいと思います。たとえば、教育の権利を確保するという観点から言えば「教育機会の均等(メリット)」と「教育格差の拡大(デメリット)」を天秤にかけることができると思います。この比較については、教育機会の均等を目指して格差を拡大させるというのは、元も子もない話だと感じますね。デメリットの方が大きいのではないでしょうか。
また、「学生・家庭・学校法人などへの経済的ダメージ」は大きなデメリットの一つですが、これを打ち消せるようなメリットはあるでしょうか。同様に、9月入学を実施すること自体のコストもデメリットに含まれます。こういったものをすべてまとめた時に、果たして9月入学のメリットはそれを上回れるのかというように、合計によって考えることも重要です。
まとめると、(本稿で取り上げた)9月入学のメリットはデメリットを超えられるほど大きくない可能性が示唆されます。ここで大切なのは、対策のメリットの立証責任は対策に賛成している人にあるということです。
つまり、冒頭に出てきた「できない理由ばかり探してる」ということを主張する人は、「そもそも、『9月入学』という案が、それらの『できない理由(デメリット)』をこえるメリットを持っているか示す必要がある」ということを自覚する必要があるということです。
③「対策A」が実行可能か
ここまでは、対策としての良し悪しを論じてきましたが、いくら対策がよくても実行者がダメならば意味がありません。「9月入学」も本当に実行可能なのかという観点を考えておく必要があると思います。
ここで重要なのは、「9月入学」を実行にうつそうとする人たち(場合によっては自分たち)に本当にそんなことをやる能力があるのかを疑うということです。
今回で言えば、政府と文科省が主な役割を担うことになると思います。ところで、つい半年ほど前の”大学入試改革”の議論の中では、明らかな準備不足が見られ、あまりにも散々な状況であり、大きな批判を集め、結果的には記述式も英語民間試験もやめるといったことがありました。本当に、いまの文部科学省に「9月入学」なんて期待して良いのでしょうか。
政府はどうでしょう。今回のような「熟慮的な判断」が求められる法案については、安倍政権下においていわゆる「強行採決」が多くありました。彼らもまた「9月入学」のような事案の対処は期待できそうにないと感じるのですが、いかがでしょうか。
おわりに
わたし自身は、現時点で「9月入学」案に強く反対しています。理由は非常に単純で、デメリットは散々なくらいに指摘されてきたのに、有力なメリットはあまり指摘されていないからです。そんな中で、賛成派らしき人が「できない理由を探してる」「解決案を出せ」と言っているのを見て、いくらなんでもひどいのではないかと感じています。
薬の例をもう一度出しておくと、いまやろうとしている「9月入学」という薬は副作用が大きく、主作用が小さいことが懸念されます。そんな中で主作用ばかりを強調しても意味がありませんし、ましてや「副作用ばかり言いやがって」みたいなことを言うのも間違っていると思います。
また、本稿で扱った「メリット」「デメリット」はこの話題で考え得るもののごく一部に過ぎません。だからこそ、他の観点を導入すれば「メリットの方が大きい」という結論も出てくるかもしれません。賛成と反対の意見を感情的な対立としてではなく、意思決定のための比較の材料として、また全体的な把握をするための材料として用いる態度が求められると思います。
参考にしたサイト(抜粋)
・中里 透 -「9月入学」について考える――誰のために? 何のために? - 2020.05.07
・末冨 芳 - 火事場の9月入学論は危険だ/先進国で最も遅く義務教育を始める「コロナ入学世代」への懸念 - 2020.05.03
・田中 愛治 -「9月入学」課題多く 現場の声聞き戦略緻密に - 2020.05.10
・山下 知子 -『教育格差』を著した松岡亮二・早大准教授「9月入学で学力格差は埋まらない」 - 2020.05.07
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?