3/4-37.「満たされた人生」なんていつまでも来なくていい。
おはようございます!水澤敦史です!
今日も最高の一日にしましょう!
満たされた人生を生きていますか?
Yesと答えた方は、たぶん何も得ることがないので早急にこのnoteから立ち去ってください。笑
きっと皆さん、心の内のどこかで「自分の人生は満たされていない」と思っているでしょう。
僕もそう思っていました。
でも断言します。そんな人に満たされた人生など来るわけありません。
だって「満たされた人生」ですよ?
「充実した人生」も同じく来ません。
これは他人が主語なんです。満た”された”人生。充実した人生なんてなくて、人生を充実させることができるだけです。
何度もお伝えしているかも知れませんが、
人に人生を任せている限り、満たされることを待つ人生か、充実させられてる人生しかない。
自分の人生、自分で豊かにすることを選びたいものです。
「人生を充実させよう」
「人生を豊かに満たそう」
まず主語を自分に変えること。
おわりに
話は逸れますが、
「渇望」という言葉が、結構好きです。
願望なんて叶わないし、希望なんて儚いし、野望ぐらいがちょうどいい。
でも最高クラスなのは「渇望」だと思う。
渇くほどに望むってどんな状態ですかね。
「喉から手が出るほどに」とでもいうんですかね。
そんな渇望を自分自身に抱かせるには、とんでもない泥沼の経験をすることが大事です。たとえば労基法も驚くくらいに働くとか、実際にいたら申し訳ないですが親をなくしてしまうとか、事故にあってしまうとか。
「縁起でもない」と言われれば申し訳ない限りです。でもそれほどにこの国は「自由」で「平等」で「何不自由なく」暮らせるように仕込まれています。普通の生活をしていればしているほど、普通でいることからの脱却が難しいです。
自分の中に渇望がない人、それは渇望を起こさせないように安全安心な国に生きている証拠です。一方で、渇望を抱かぬように教育されているとも言えます。
僕にはかつて「渇望を抱きたい」という渇望がありました。笑「他のものに見向きもしないほど、何かに熱中したい」と言い換えてもいいかもしれません。
やりがいや生きがいって、一つの生存欲求(承認欲求や自己実現欲求でもあります)だったりします。これがあるとないとでは生き方に大きな差が出る。
少なからず共感してくれる人はいるかもしれないですね。
「渇望を抱き、渇望をかなえていく人生」こそ最高です。
今日はこの辺で。
最高の一日にしましょう!
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