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3/13-45. 骨は、語る。

おはようございます!水澤敦史です。
今日は「3/13」
去年も3/13は雨が降りしきっていました。

僕にとって、今日は特別な1日で、人生に対する覚悟を深めた日です。

当時、気持ちの整理もつかぬまま記したnoteを、ここに1年越しに残します。

出来るだけ、ありのまま。当時のまま。

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「骨は、語る」2020.4.13

今日このnoteを書くのは、僕に起きたある出来事をこの場所に記し残したいと思ったからだ。

いや正確には、その出来事を残すことで「けじめ」をつけたいからだ。その出来事は時には励みとして、時にはわだかまりとしてひと月経った今も僕の心に残り続けている。Twitterやnoteを始めたこの約半年間、始めるきっかけとなり、続ける原動力であり、そして今も僕に力を与え続けている。

3月13日、人生の半分以上を共にした愛犬、レアルが天国へ旅立った。


老衰だった。


心の整理もつかぬままだったが、当時悲しみに暮れながらもこの出来事や感情は忘れ去ってはいけないと直感した僕は、メモを残しておいた。少しずつ、心の整理はできてきたので、忘れないために、そして”記憶”から消すために、ありのままをここに残しておこうと思う。


 レアルが息を引き取った翌日、雨が降りしきるなか自宅に来てくれたペットの葬儀屋さん。まるで人間と同じように心を込めて火葬を行ってくれ、無事お別れをすることができた。今の時代、すごいもので自宅で火葬ができるのだとか。ほぼ無煙無臭でご近所様に迷惑をかけることなく、本当に丁寧に、丁寧に、火葬を行ってくれた。

火葬が終わり納骨の時間。そこには骨だけになったレアルの姿があった。

そして葬儀屋さんが、おもむろに話を始めた。

「正直に言いますと…、
レアルくんは、癌でした。」

知らなかった。
気づかなかった。

僕と一緒に世話を続けていた母は、床に崩れ落ちていた。

「それも、全身に転移してました。本当に辛くて、ここまで生きるのは、この仕事をしてる僕からしたら本当に凄いことです。」

全身に転移?もう意味が分からなかった。動物病院の先生にも一言だってそんなことは言われていなかったから。

葬儀屋さんは話をつづけた。

「でも見てください。顎と歯の骨が本当にきれいに残ってますよね。僕は一番これが驚きです。きっとご飯が楽しみで楽しみで、最後まで美味しく食べてたんだと思います。」

すでにこの時点で、僕には物を見分けられるほど澄んだ視野はなかった。

まさしくその通りだった。レアルは、ご飯の時だけは若返ったように歩き回り、あごが弱り口がうまく開けないレアルのためにつくった特製ご飯を、まるで怒ったように食べていた。

時には噛みつかれることもあって、うんざりして、いらいらすることもあった。でも、ご飯の時間がレアルにとって一番幸せな時間なんだと思っていたから、朝と夜それぞれ1時間を費やしてご飯をあげていた。

「この仕事をやっていると、色んなペットさんのご遺骨を見るんですが、ご遺骨にはその子が感じていた生きている間に抱えたストレスや感情が見えるんです。」

にわかには信じがたかったが、骨を見てレアルの全身に転移したがんの場所を教えてくれた葬儀屋さんの言葉に偽りはないと感じた。

「例えば、ストレスを抱えた子は骨の色は黒ずみ、燃したときには形に残らずに粉々になります。
 前に高級マンションの最上階で飼われて、3歳半で亡くなったワンちゃんを燃したとき、骨は跡形もなくて、黒ずんでました。ペットにとっては環境なんてのはどうでも良くて、やっぱり飼い主さんの愛情が一番大切なんですよね」

同意の気持ちとともに、不安が募った。全身をがんに蝕まれたレアルは、果たして幸せだったのだろうか?

「でもレアルくんは、癌で全身の骨をむしばまれてるのに、本当にきれいな白色で、形もしっかり残ってました。
癌と闘う勇気をご家族からたくさんもらって、精一杯生きていたんだと思います。何よりも飼い主さんがくれるごはんが嬉しかったんだと思いますよ」

もう、何も言えなかった。

たしかなことは、レアルはあの日、あの時あの瞬間に死ぬことをずっと待っててくれて、そこまで必死に頑張ったんじゃないかなということ。

兄二人以外、家族4人揃ってる時間はちょうどあの時しかなくて、父はたまたま仕事合間の休憩に帰ってきてて、姉はお腹の赤ちゃんの定期検診の時だから帰ってきてて、おれはアルバイトの新聞配達のあと少し勉強してこうかと思ったけどやめて早く帰ってきてた…。

みんなが揃ったあの時あの瞬間をめがけて命を燃やしてくれてたんだなと。
「全身に癌が転移して、骨も蝕んでたけど、全くと言っていいほどストレスのない骨でした」という葬儀屋さんの一言は、最後の最後に今まで世話してきたのをレアルが褒めてくれたみたいだった。動物病院の先生も、きっとレアルの老衰のこともあって癌のことは僕と母にはあえて言わず、黙ってくれていたんだと思う。

理由をつけたらいくらでも感動話なんて生まれる。けれど本当に、愛情を与えた結果が最後に分かって良かった。

たぶんレアルも体や心が自分の思い通りにいかなくて、吠えたり噛んだりしてたのも、本当はしたくないんだろうなって、なんとなく感じ取ってたことが、本当にその通りでよかった。ちゃんと感じ取れてよかった。

犬にはもちろん、言葉は通じない。語るのは最後に骨になった時だなんてあまりに残酷だなと思いながら、同時に大きな幸せも感じた。
たぶん苦しむことなくすーっと息を引き取ったのは幸せだったからかな。水澤家で一緒に過ごした13年が全部幸せだったって言ってくれてるみたいだった。


僕が自分と向き合い、内面を大切にしようとしたきっかけはレアルだった。世話をするために、家にいなきゃいけない、どうせ外に出かけることもできなくて家にいるなら有意義なことしようって思わせてくれた。僕の身近な人たちにはそのせいで遊びにも行けなかったりオールにも付き合えなかったり、申し訳ないことをしたと思う。でも、僕はあの選択をしてよかったと心から断言する。

レアルが身をもって"死"を見せてくれたことは、本当にたくさんのことを僕に残してくれた。

1.一人では絶対に生きてはゆけない。感謝を告げること。

2.誰しも、死ぬこと。

人間の勝手な解釈だろうけど、レアルは生き方と感謝の大切さを自らの命をもって伝えてくれたんだなって思ってる。

ありがとうって、
大好きだよって、
楽しかったよって、お別れまで一日かけてちゃんと伝えられてよかった。レアルに会えて、最期までお見送りできて本当に良かった。

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おわりに

自分でも驚くほどしっかり書いてた。笑
当時の記憶を思い出すし、あの時無理にでも整理して書いてよかった。

忘れないために書くんじゃなく、記憶から消すためにも書くことって大事だなって思います。

書いてるから、安心して脳みそから削除できます。脳みそは考えるためにあって、記憶するためにあるものじゃない。

こうやって一年前の「記憶」に思いを馳せられるのは嬉しいことです。

今日も最高の1日にしましょう!!

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