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3/11-43. あの日あの時。

※読み返すと、かなり感傷的な文になってしまいました。すんません。笑

おはようございます!水澤敦史です。
今日は日本にとって特別な日ですね。
あの日あの瞬間に想いを馳せながらも、今日1日を真剣に生きましょう!

実は僕も。

実は僕も、会ったことのない母親の祖母を津波で亡くしています。

震災から1〜2ヶ月後くらいに曾祖母の地元釜石市とボランティアとして石巻市を訪れた記憶は、中学2年生だった僕には衝撃が大きかったのを覚えています。

記憶から覆い隠した「現実」

就活の自己分析でも、今自分と向き合う時間でも、この震災の記憶はあまり思い出した記憶ではなかったです。

なんでだろ…?

たぶん、現実じゃないって思いたかった。

30m以上ある木の枝にブイが引っかかってて、真っ白な砂浜があるはずの海には白い軽自動車が沈んでて、錆びついた避難タワーがそこにはあって。そして、家なんてなくて。

とにかく、砂ぼこりが舞ってた。

現実を覆い隠すように。

少なくとも思春期を過ごしてた自分には、その現実は想定の範囲外だった。
脳から排除しようとした。

「生きる」

今の時代、真剣に働かなくたって生きていける。頑張らなくたって、生きていける。

命のありがたさを感じることなく、生きていける。

時として自然はそんな人間に「気づき」を与えるためにいたずらをするのかもしれません。

偶然のいたずらで命を失った人、その人たちの想いも勝手ながら僕は背負います。その人たちがきっと見たかった幸せな景色を僕は現実にしたい。

あのとき釜石、石巻にいったから今の自分があるって、「ありがとう」って伝えるために今日を生きます。

たかだか一般人が何を言ってるんだと、自然の成り行きだと、そう思う人もいるかもしれない。

そう思う人にはそう思わせておこう。
構ってる暇なんてないから。

おわりに

目を背けたくなる過去にこそ、自分が向き合う必要があったりしますよね。

今日本当は書こうと思っていたのは、嫌いな人こそよく観察せよ、というテーマも近しいものがあります。

直視したくない現実に向き合う必要が出てきたら、ゆっくりでも片目をつぶってでも、向き合うといいなって思います。

嫌いな人にこそ自分の弱さは鑑のように表れるし、思い出したくない過去にこそ深い学びがある。

明日のnoteは一応今のところそんなテーマで書こうと思います。笑

今日も一日、最高にするぞ!!

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