見出し画像

生活を最上位にする、完璧主義を緩めていく

 忘れないため、書くことで心に刻むための、自分のために書くnote。

 やりたいことがたくさんある。縦長のRHODIAメモ帳を使っているけれど、「1月分のコンテンツ月報」とか「ネスペ(ネットワークスペシャリスト試験)の過去問チェック」とか「片付け(子タスクがたくさん)」とか、やるべきこと、やりたいことをリスト化すると難なく1番下の方まで埋まる。

 でも生活が最上位、というのを最近思っていて、整理した言葉として頭に残しておくためにnoteに書いておこうと思う。

 生活が最上位、というのは、心療内科の先生に「身体の状態が最上位」と言われたことと、ちょっと似ている気がする。

 第4週の金曜日が心療内科だったのでそこで結構休んでしまって、心身の調子のバランスの取り方が……みたいな相談をしました。
 そしたら、休む基準としては、身体の調子が最上位にあるものだって考えて、体調が悪かったら無理してもどうにもならないので休んでいいし、でも身体はそんなに悪くないけど気持ちが重いときは、今は頑張りどころと思って踏ん張ってみてほしい、とのことで、基準をもらえてありがたかったです。

10月の振り返り

 これは自分の心身の調子として、身体が最上位にあって、その次に気持ちの面の調子がある、という話だったけど、生活が最上位にあって、その次にやりたいことやるべきことがある、みたいなことを、最近考えている――というか、感じているというか。

 今年の目標はタフになることで、元気にタフに活動したいんだけど、そこまでの気力を発揮できてはいないと思う。

 気力が足りていないのは、メンタルというよりフィジカルの不調(体力不足含む)がベースにあるように感じている。
 そして体調を万全に近付けていくためには睡眠・食事・運動が必要なんだけど、睡眠と食事が生活に直結している(というか生活そのものである)のはもちろんのこと、生活をまわしていないと運動する時間とか気分は作れない気がする。

 ここで言う「生活をまわす」寝て起きること、食べることのほかに、食器洗い・洗濯・最低限の部屋の片付け、シャワーを浴びる・歯磨きをするとか、家事や衛生面のことが含まれている。

 この1,2週間で気付いたというか受け入れたこととして、おそらく私の身体は7~8時間の睡眠を必要としている
 寝付きが必ずしもよい方ではないことを考えると、7時半に起きるなら23時半にはベッドに入っている必要がある(まあ例えば在宅で10時に開始するとかだと9時~9時半に起きるのでもいいんだけど。でも目標としては7時半に起きる生活にしたい)。
 23時半にベッドに入るためにはその前にお風呂とストレッチを終わらせていなければならず、かつご飯も済ませていなければならない。
 湯船浸かりがち&20分くらいストレッチするので、21時台にはお風呂に入ることを目指して、睡眠の質と寝付きを良くするためにも20時半までにはご飯を済ませていたい。

仕組み化が好きなのでアプリ入れた。これはmy niccaというアプリ。カレンダーで見れるのが気に入ったので。

 で、この目標にした時間は私のこれまでの生活サイクルの中で「早めにできたときはこういう時間になる」くらいの時間なので、他のやりたいことに手を付け始めると、これらを達成できない。
 だから頭の中で「生活が第一」と唱えながらえいっと腰を上げてお風呂を沸かしたり、ご飯を食べるタイミングを考えたりしているんだけど、そうしていたら本当に「生活が最上位」だなとしみじみ考えるようになったのが最近のことである。

 ここから家事の話に移るけど、なんか本当に当たり前のことで、家事には意外と時間がかかるのである。
 単純作業の割に時間がかかるというか、別に大変じゃない割に「意外と」時間がかかる、と思っている。

 でも洗濯とか食器洗いが溜まると「なる早でやらなきゃいけないこと」として頭の中で存在感を発揮し始めて、というか1Kのよくある間取りでキッチンが廊下にあるタイプなので、視界にそれらが入ってくる。どうしたってトイレに行くたびに食器洗いしなきゃなって思いながらキッチンを通って、手を洗うたびに洗濯物溜まってきたなって思うのである。
 部屋の片付けも一緒なんだけど、視界に物が多く入ってくる=処理情報が増えるのでストレスになるらしい、というのをめちゃくちゃ実感する。
生活のTODOの先延ばしは気力を削ぐ

 で、家事には時間がかかるという話に戻ると、時間がかかるから先延ばしにしたい、でもやらないと気力が削がれるのだから、生活をまわすことに時間を割くことを受け入れた方がいい、と思い始めたのも、「生活が最上位」の一環なのである。

 睡眠時間を確保する、そのために食事とお風呂の時間を早める、そして健やかなメンタルを保つために家事は溜めないようにする、これらをまあ6~8割以上は達成している状態でこそ、やりたいことやるべきことに時間を使える。
 でもそうすると、やりたいことに使える時間って限られてるんだなということも認めなきゃいけなくなる

そこでタイトル後半の「完璧主義を緩めていく」が必要になる

 完璧主義かというほどの性格かはわからないけど、少なくとも私は真面目ではある。褒め言葉とか揶揄する言葉とかじゃなくて、もうフラットに、真面目な性格で、そして私は自分の真面目さと付き合っていかなきゃいけない、と思っている。

 これは既に自覚していることなんですが、このnote、「~なきゃいけない」とか「~する必要がある」とかが多くて、たまに「~した方がいい」に言い換えるなどしている。私はそういう真面目さを持っている。

 で、やりたいことに使える時間って限られているのだけど、そうすると、「この時間で始めても終わらないからやらない」みたいに邪魔をしてくるのが完璧主義的な自分である。
「読み途中の本があるけど、10分もないから読まない」とか。でも10分もなくても読んだ方がいい。これは最近実際に積み重ねつつある実績で、カバンに本を入れておくというのを目標にしているので(目標に決めておくタイプの真面目さ…)最近は本を持ち歩いてるのだけど、10分もなくても本は読み進むのである。当たり前だけど。

 例えばnoteであれば冒頭だけでも書いておくとか、目次だけでも作っておくとか、そういう「終わらないこと・あまり進まないことを認めた上で着手する」みたいなことを増やしていった方がいい
 いつも2~3日分作るお弁当が翌日分だけしか作れないとしても作った方がいいかもしれないし、午後からだけでも出社した方が、運動量は増えるし集中できる時間は増えるから出社した方がいいかもしれない。

 多分真面目な私が陥るのは、ここまでに書いてきたことを「決めたこととして守っていかなきゃいけない」という観念に縛られることなんだけど、未来の自分のためにここに書いておくと、別にそんなことはない
 このスタンスでやっていこうとしているのは「元気にタフに活動していきたい」からである。あと健康が1番安いからである(医療費控除の季節)。
 そして元気にタフに活動していきたいのは楽しく幸せに生きていきたいから。

 よく寝て、よく(良く)食べて、毎日を磨いてゆく!
 読み直した未来の自分が、ちゃんと自分のことを好きでい続けていますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?