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健全な相互依存関係の話

(1551字/約3分で読めます)

https://stand.fm/episodes/60403af5ea0275f6c267fee1

おはようございます。

最近の話してることは、モーニングノートを書いてて気づいたことなんですよね。

今日は、「健全な相互依存関係」の話をしたいなと思います。

いま僕ははぐくむハウスっていうシェアハウスに住んでるんですけど、今朝モーニングノートを書く前に、そこに住んでる男の子と話してました。その子がメモを付箋に書いてノートに貼るってことをしてて、いいなというか何してんねやろって思ったので、どんなことやってんのー?って質問しました。そしたら、それがめっちゃよかったんでもう早速自分やろうってっ思ったんですね。

ここで何がポイントかっていうと、いいなって思うことをやってる人が近くにいる・すぐ盗めるっていう環境が、自分はいいなとおもってるってことです。

かつ、別の言い方をするとシェアをするって感覚がある。これいいなーって思ってます。この感覚って昨日も感じてました。昨日ご飯を作っててみんな作る時間が被ったんですよね。そのときにそれぞれ作ったのをシェアしたんですよね。なんか、これがすごいよくって。楽しいを共有してる感じ。(一緒に住んでる子が何人かいて、同年代の大学生ってのも関係してるかもしれないですが)

少し話はそれて料理に限ってみると、

例えば、1人暮らしで料理してるのは”作業”してる感覚だなあって思ってたんですけど、シェアハウスで料理したとき、(自分が食べたいから作るんですけど、)食べたい人がいてその人のためにもなってるなーってなりました。自分のためであり、人のためでもある。ある種win-winなのかなって感じで思ってます。

話を戻します。

シェアする感覚っていうのが身近にあるっていうのは、自分にとっていい効果をもたらすんじゃないかなとおもってて。これとリンクした話があって、尾原和啓さんの『あえて数字から降りる働き方』にある、”何者かになるためにはギブ(与える)をすることだ”ってやつです。とにかくギブ、人に与えることって結局自分のためになる。返ってくるっていうのが本に書かれてました。


それとすごくつながってるなーとおもってて、シェアすることは自分が持っているものを人に共有することなので、ギブすることだなーと思ってます。

このシェアするって感覚が当たり前になるって、(僕自身これを言語化するのが今の課題なんですけど、)自分にとって人にとっていいことなんじゃないかなとおもってます。ほんで、結局まわりまわって自分に返ってくるものがある。予期せぬリターンがあるって僕はおもいますね。

ちょっと話はそれちゃいましたね。

ギブするってなんか理屈っぽいけど、とりあえずはシェアするってことを僕自身が望んでるって感じです。好きでやってるんすよね。好きでやってるし、僕の願いは「人と楽しいも辛いも対話でシェアする」なので、

今回の場合は対話も踏まえたうえでシェアできてて、自分が満たされている感覚があります。まずは、楽しいというシェアができてます。日に日に自分の願いっていうのは確信に変わっているなっのはありますね。

ちょっとずつちょっとずつ話がそれてますね。

まあつまりはですね、健全な相互依存関係の「健全」ってポイントは、各々が自分の人生を生きてるんですよ。そうしてるんやけど、一緒に集まったところでシェアし合う。これがつまりは相互依存関係ってことなんですけど。

これがないと生きていけない~~っていうのは、あまり健全ではないのかなと思ってます。何かに依存してるってのはマイナスな面が大きいのかなと。(このあたり言語化難しいですね)

各々が生きたうえで人が集まった時にシェアし合うってのは健全な相互依存関係っていうふうに言えるんじゃないかなと僕は思いますね。

強引に結論付けちゃったかなっておもってます(笑)

今日はこんな感じで終わろうと思います。


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