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明治維新の立役者、西郷隆盛とは何者だったのか①

11月初旬の鹿児島、桜島を綺麗に望む陽気な気候の中、風情のある温泉に行った。鹿児島市内、鶴丸上の近く城山という場所の湯乃山温泉というところ、その近くに西郷隆盛終焉の地という碑があり、内容を見ると西南戦争で政府軍に追い詰められてその地で自刃したとの説明文があった。

鹿児島・湯乃山温泉近く

西郷隆盛の名は誰もが知る名前で、「西郷どん」の愛称は一度は耳にしたことがあると思う。自身もその一人であったが、幕末・維新・日清・日露戦争の流れは司馬遼太郎の長編歴史小説の「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」を通じて学んでいるつもりでいた。
歴史的な流れを知ると共に、その時代の素晴らしい偉人の生き様を司馬さんの視点から学ぶことができ、結果的に人生で最も影響の受けた2冊になっている。単に歴史上の人物を知る・学ぶというより、これまでの常識や前提を大きく覆す時流や戦争の中で、極限下におかれたリーダーや人間はどうあるべし、という今に通ずる普遍的な事を多く学んだと思っている。

よって、幕末においては、主に坂本龍馬の視点で史実やその流れを学ぶことになり、西郷隆盛の人物像や成し遂げたことについて、表面的な理解に留まりほとんど知らなかった。
そういうわけで、坂本龍馬が近江屋で暗殺された以降の史実である次の事象については、これまでほとんど理解ができていなかったため、NHKの大河ドラマ「西郷どん」を通じて西郷隆盛の視点で幕末・維新について学ぶことにした。

①最後の将軍徳川慶喜を追い詰めた江戸無血開城
②薩長土中心の人事である明治新政府樹立
③日本史上最大の内戦といわれる新政府軍と旧幕府軍が衝突した戊辰戦争
④各藩主の地位を一変させた廃藩置県
⑤朝鮮との関係で大久保利通と意見が二分され決別することになった征韓論
⑥西郷隆盛率いる薩摩士族反乱により日本国内最後の内戦となった西南戦争

以前会津若松に訪れた際に、会津藩の白虎隊という少年も加わり武家男子を集めた部隊が多く自刃したという悲しい史実を歴史資料館で知ることがあったが、③の位置づけで会津藩主の松平容保が江戸幕府を支えてきたため新政府軍の仇敵となってきた時代の流れを踏まえると理解が進んだ。
薩長土を中心とした新政府軍と旧会津藩との闘いで、これまで戦嫌いだった西郷隆盛が欧米列強に負けない国づくり、一つの日本という国を作り上げるために徹底的に徳川幕府の名残を消し去るために必要だった闘いということ。

どんな想い・大義があって維新を生きた偉人は新しい時代を作り上げたのか。

明治維新の三傑とは、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允。ずっと坂本龍馬が入っていると思っていたのだが、それは自身の読書遍歴のせい。やはり坂本龍馬は亡くなるのが早すぎた。
三傑のうち、西郷隆盛と大久保利通は鹿児島市内で生まれ育った幼馴染。小さい頃から、島津斉彬という先進的な考えを持つ藩主の元で、良きライバルであり盟友として徐々に世に名が知られてきた。
斉彬に見込まれた西郷の方が早くから薩摩を出て、江戸や京に足を運び、最後の将軍となる一橋慶喜らと交流を持つ等の頭角を現す。一方、大久保は自身も早く、薩摩を出て新しい世の中を作り上げるために活躍したいと思うものの中々うまくいかない。
そのような中、西郷が斉彬の了承を取り付け、大久保に重要な役割を担わすべき働きかけ、徐々に大久保も世に名が知られていく。

西郷が大久保を世に引き上げる一方、西郷も大久保に何度となく助けられる。二度の島流しから戻すべく働きかけたのも大久保であり、二人の絆は何よりも深いものであり、事あるたびに西郷は大久保に対して命の恩人である事を口にする。

明治維新を成し遂げたこの二人がなぜ決別し、最終的に西郷が率いる薩摩士族と大久保が率いる明治新政府軍と戦うことになったのだろうか。(②に続く)

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